見出し画像

最適化が進む時代に、目の前の世界を愛せるか

ハッピーニューイヤー2020
1月3日から〜 お正月休みを利用し、少し遠出する期間をいただき、台湾へ旅行してきました。

ちなみに、台湾は2017年にも訪れており、(その時は台北だけだったけど)今回2回目。高雄という第二の都市にも行きました。相変わらず、街はバイクと車が溢れ空気はよどんでいるものの、繁体字の看板やネオンが幻想的で、屋台や食堂も遅くまで開いているから、深夜に街あるきをしても危なくなることはなかった。日本の値段の約1/3程度で受けられるマッサージも行きまくり(指圧が強すぎて内出血を起こすレベル)、最近のカルチャー・アートシーンもだいたい観れたし、地元の人たちとの交流もありで、もうそろそろ仕事したいな、、と疼きだしてきた頃合いでの帰国便。名古屋に向かうはずが、上空の突風のために飛行機が入れず、急遽搭乗口で「中止」を言い渡されてしまいました。

過去にも何度も飛行機に乗ってきましたが、実は欠便を経験したのは今回が初めて。台湾といえど、海外であることや、言語の壁があって状況を理解するまでに若干の時差があり、戸惑いました。飛行機のリスケにカウンターに向かう途中、隣にいた人に声をかけられると、同じ状況に陥ってしまった日本人の方々で、一人は現地の学校に通う大学生、もう一人は、70代で一人旅などもバンバン行っているパワフルなおじいさん。結局意気投合して、ホテルや航空チケットも一緒に購入することができ、ことなきを得たのですが(日本での仕事は一日遅れになってしまってまして、多方ご迷惑をおかけしております)夕飯を一緒に食べに行ったり、夜の街をタピオカミルクティーを飲みながらあるきつつ、つくづく、人生ってどんな出会いがあるかわからないよなあと思っていたわけです。

今、私が生きている社会では、Aiや機械化などによって、どんどん便利になっているし、(下手するとかなり非効率な生き物である)人間を介するサービスはどんどん減っていくだろうなと思っています。それによる便益もきちんと享受してるんですが、これによって予想されるのは、自分のコントロールできる範疇にないものとの接触がどんどん減っていくんじゃないかな、ということです。
でも、今回このようなハプニングがあったことで、私が予定通り名古屋着の飛行機に乗れていたら(おそらく一生)出会えなかったかもしれない二人に会うことができ、欠便が報告された数時間後には、高雄の街角の食堂で一緒に夕食を食べているということが実現していました。なんかこれってすごいなあと思ったのです。

ちょうど、かどうかはわからないけれど、旅の最中に読んでいた浅井リョウ著の『ままならないから私とあなた』でも最適化と偶然の出会いというようなテーマが扱われていたし、もう一つの本では、ヒュー・エヴェレット3世の「多世界解釈」という解釈にも出会って、考えていたこととも、結構重なったというか。私たちが認識している世界は、その観測を行った瞬間にいた人間しか感知できないものであるとすると、別の場所で観測を行えば、そこにも決まった世界があり、別々の結果を見ているかもしれない・・として、人間が観測するたびに世界が分裂するという解釈のようですが(全く理系じゃなくて詳しくない)要は、自分の身に起こったことや自分で選んだことによって世界が生まれていき、それ以外の世界のことは知ることができないんだよなあと。これは、いくら最適化された社会でも、それが本当に「最適解」だったかということなんて、誰にも説明できないってことでは・・?と。

だとしたら、「目の前に広がる世界や状況を自分が愛を持って感知できるか」ということが大事なんじゃないかな、という考えに、これまた突如乗ることになった高速バスの中で至りました。笑

現状に苦言を呈したり、自分はこうあるはずじゃなかったとか、一般論的にこうなんですよね、とかいうのって簡単なんです。自分も結構そういう部分があったなと思う。でも、だからといって本当に自分がありたい姿を探しに行動をしていたかどうか・・?

これって、洋服選びも似てると思っていて、なんとなくいい感じのものとか、周りが着てるから着るんじゃなくて、自分が着たいという服をきちんと選んで、着るっていう感覚。それが、ファストファッションやブランドショップで手に入る人も入れば、古着屋に行って、独自のストーリーを纏う服を着たいと思う人もいるかもしれない。大事なのは、そこに愛があることなのではと。

「愛」なんて、クサすぎてほとんど話してこなかったし、なんだかんだ重要な局面で「愛だよ愛」なんて言われると、「何、結局、精神論ですか」と興ざめしてしまうこともあったけれど。昨年末に友人との議論でたどり着いた、「愛 = 意思と選択」という仮解釈が妙に腑に落ちている。ようは、愛とはカチッとした定義があるということではなく、自らの意思を持って選択をしていくという生き様にあるんじゃないかと。

いつの日か、無数に存在しているかもしれない連続した世界の中を行き来できる時代がくるかもしれないけれど、それまでは、自分の生きる世界をひたすら楽しく、愛を持って生きて行けたら、と。台湾での一連の経験を通して、思ったのでした。

なんだか、2019年は、思考しまくってた1年でした。もしかしたら考えすぎなくらい考えていたので、2020年、なるべく自分で切り開いていく1年に、かといって思考もやめることなく進んでいきたいと思っています。抱負っていうよりも、こうありたい!みたいな、行動指針的なものですが、皆様本年もどうぞよろしくお願いします。(ぺこり)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?