気づき
26歳11ヶ月、自分について漸く気づいたことが山ほどありました。遅いと思うけど20代で気づけてよかったな。
・人のせいにしてる時間はめちゃくちゃ勿体ないこと
・自分が一番自分に優しくなかったこと
・ポジティブな考えは健康な時でないと、気持ちに蓋をしてしまうこと
・人間できることしか出来ないこと
・なんでも引き受けることは責任ではない
・私は責任に命をかけられないこと
・私が発達障害の診断を欲しがってたのは対処法を学ぶ為じゃなくて不幸の大義が欲しかっただけなこと
・見えてないだけで幸不幸は意外と平等なこと
色塗りできた
あとね、AC(アダルトチルドレン)専門のカウンセリングの初回お試しを受けました。
結論から言うと良かったです。私は前々から自分はそうだと思ってたし、色々調べて知識をつけたりTwitterに吐き散らかしたりしてたけど具体的なレスポンスが返ってきたことがなくて(逆に言うと専門家でないのに滅多なこと言えないなという民度の高いフォロワーばかりなのでそこはありがたいです)だから、知識も経験もある人から理解とレスポンスが返ってきたことが思っていたより嬉しかったみたい。
月並みな例えですがずっと水の中にいたのが漸く水面に出て息ができた気分になった。
経済的な理由で残念ながら継続はしなかったんだけど、「アウトプット出来る専門的な知識を持った依存先は絶対必要」とわかったので今後何とかお金ゲットしてどこかでカウンセリング契約はしようと思います。
今後どういうスタンスでいくべきか
今まで私、否定されるの辛すぎて先に自分でネガティブバリアを張ってたなと思うんです。
例えば、友人知人が私の何かを褒めてくれた時「いやでもね…」で返してしまってたなと。それを逆の立場で考えると気分良くないなと思った(今までそこに気づく余裕もなかった)
ので、褒めてもらったりなにかしてもらったらできるだけ沢山ありがとうを伝えていこうと思う。
それから割と無理くりポジティブな意見を言いがちである。ポジティブは悪くないけど自分の醜い部分、ネガティブな部分に蓋をしてしまう効果も少なからずあるらしい。
これはここ数ヶ月でわかったんですが自分の醜い部分ちゃんとあるって認めた方がめちゃくちゃ楽というか、思考を次に進めるのがスムーズになる。
多分なんだけど、嫌な部分を見ないふりすることによって本当に見えなくなって自分の思考のコントロールできる範囲が狭まっちゃうんだと思います。
当たり前だけど霧まみれの道より霧が晴れた広い視界の道の方が安心して進める。それが汚いでこぼこの道でも
自分が思ってるより自分ってしょーもないなって理解した方が先に進みやすいのかもしれませんね。
長くなっちゃった。おわり
反対向きの猫
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