鳥と蝶と影と花~インターミッション~

 静まり返ったバーチャロイド用ガレージを歩く。レザーブーツが硬質の床を叩く音が響いた。手すりからの景色は高い。全高十五メートル級の人型ロボットを管理、レストアするためのメカニカルキャットウォークだ。当然と言えば当然高い。怖い。
素材のままコバルトシルバーの鉄骨で組み上げられたガレージには、危険域を知らせる虎模様のペイントと、赤いフレームがいくつか走っているのが見えるが、俺ともう一つの気配を覗いて人のいないこんな場所の空気は、冷たい。
 行く先には相棒のテンエイティが新品同様に修理されて、ハンガーにかけられている。メンテナンス用のキャットウォークに座り込む白衣の男。シオン・アルトストリクス。ホワイトナイトの基礎設計に携わっていたドクターであり、バーチャロイドのメカニックでもある。そして俺のカナリア専属メンテナンスマン。もう一つ加えるなら、ブラックナイトのパイロット、その兄だ。
「あんまりテンエイティちゃんのおっぱいばっか見てんじゃねえぞ。俺んのだ」
「ばかいえ、お前だけのもんじゃねえんだよ」
 気心のしれた野郎同士の軽口は気分が楽だ。DNAやRNAの上から定期的に入ってくるクソみてえな連絡の百億倍楽しい。あいつらは、感情ってもんがねえんだよ。全部が全部そうだとはいわんが。
「ほらよ」
 と言って俺はフィルムに包装された一凛の、白い花を投げ渡してシオンの横に腰を下ろした。角はねえが、やっぱりテンエイティは最高に可愛いな。
「プロポーズなら答えは、はいだぞ秋桜(アキオ)」
 メガネを通して手にした花にテンエイティを見ながら、シオンは表情も変えずに言った。リボンでくくったヘアテールが揺れる。
「そこは断るところじゃないのか」
「行く当てもないからな」
「ふざけるな。返せ」
「返さねえよ、せっかくのアキオの愛だ。離すものか」
 どこか白々しく、力のない棒読みだがシオンが笑っているならまあいい。これでいいんだ。
 シオンがふいに肩を落とし呟いた。
「あいつの、なんだろう」
 白い、白い飴細工の花は、献花だ。
「ああ。何回目になるか知らんが、アステルにだ。MIA(作戦行動中行方不明)なんてことになってるらしいが……」
「お前の話と、カナリアのメモリを見たらわかる。人格があっても、肉体があったとしても、あれはもうアステルではないよ。シャドウに全部取り込まれてる。いや、シャドウの依り代になっている。シャドウという現象がこの世界に実存するための、理由というべきか。はは……勝手してくれるよな。俺はホワイトナイトの基本設計とシステムで、アステルは才能を買われてこれから白虹騎士団に入れるかどうかってところだったんだ。それが、シャドウに全部もっていかれちまった」
 一凛の飴細工を握りしめる手にも力はなく、緑色の瞳が見つめている景色はあの日記憶なのだろう。
 その昔にブラックナイトとの闘いでカナリアを大破させた俺は、メンテナンスを請け負うガレージを探して歩いていたがどこも門前払いだった。当たり前だろう。シャドウ汚染の可能性があるテンエイティとパイロットをメンテナンスマシンに通そうなんていうのは、狂気の沙汰だ。万が一、シャドウが顕在化したならば、ガレージもメカマンも全部おしまいだ。そんな中で、昔馴染みに紹介されてここにたどり着いた。聞いてみればまあ俺みたいな素性じゃないか。
ホワイトナイトの基礎設計と起動実験をまかされていた兄弟。しかし、ホワイトナイトの前進、通称プロトナイトはシャドウと変わり果て、逃走。実装段階では、フレッシュリフォーからの通達で、汚染防壁は128層で十分と言われてたがあっさり現象を許してしまった。現在のホワイトナイトの防御フィルタは2048層まで強化されているそうだ。なお、その数字は初めにシオンが提示した数字だというから笑えねえよな。
「なあ、アキオ。いつか墓参り、きてくれな」
「俺が倒したらな」
「ああ、そこで結婚の報告をしよう」
「その話、まだ引っ張るのかよ!」
 シオンはやっとこっちを見てかかかっと笑った。
「それにしてもよくやるよ。これまでシャドウとやりあった数は」
「二十四戦だな。そのうち大破十一の中破八か。ブラックナイトと出会ったのは五回でやりあったのは結局二回だけ。一回はヤガランデを挟んでか。よく生きてるよ。そいや、こいつを新しいバーチャロイドに買いなおすってのは結局できなかったのか」
「私もいい加減に精密フルリバコン(フルリバースコンバート/すべてのパーツを新たに電脳虚数空間より取り出して再生させること)なんてやってられないからね。でも、シャドウ汚染の可能性があるクリスタルを放置できないし、なによりあとでわかったんだけどアキオがこれ以外に乗ると死ぬ」
「死ぬ」
「死ぬ」
 俺のオウム返しに真顔でオウム返しやがった。
「どういうことだよ」
 シオンは花で空中になにか文字を書き出すが、さっぱりわからん。多分こいつの眼鏡を通せば計算式やらデータやらが出ているのかもしれんが、俺には見えん。
「いいかい。今のアキオとクリスタルのシャドウ汚染率は計算上、マイナス七十八パーセントだ。この数字は私も疑って何度も計測したし、クローンデータを作ってもみたし、タングラムオルタにアクセスして尋ねてもみた。しかし結果は変わらない。これはおそらくクリスタル自身がシャドウフィルタ、というよりアンチシャドウな気持ちなんだと思う」
「気持ち、とは」
 研究者の言葉はいまいち理解ができん。
「そのままだな。バーチャロイドにも感情があるって聞いたことあるだろう。カナリアはシャドウに対して絶対的な対抗意識があってその結果、数字がマイナスになっていると思われる。少なくとも、このテンエイティスペシャルこそが、シャドウ汚染を跳ね除け、アキオを人の姿に保ってくれているんだ。そういえばこの間に代理でオラトリオアリーナに出てたみたいだね。TAI(テラ・アウストラリス・インコグニタ)くんだりまで出向いて747Aに搭乗した気分はどうだった?」
 狐のように意地悪な目を向けてきやがった。おい、口元が笑ってんぞ。
「つええよ。なんでもできるし、負ける気がしなかったし事実圧勝だった。でも、それまでだ。なんつうか、緊張感がねえな。一体感もないし、俺には合わないってのはよくわかった」
「やっぱり、カナリアとは相思相愛なんだろう。やはり私は身を引くしかないか」
 まだ引っ張るか。もう突っ込んでやらん。
「はははっ怒るな。そういえばリバコンついでにアドバンスへの改装だけどやっぱり失敗した。カナリアは今のままがいいらしい。シャドウクリスタルに同調させるミラージュシステムは受け入れてくれたのだけど、その他はドノーマルだ。アンチシャドウな気持ちがマーズクリスタルまで跳ねのけているのは興味深いけど、とにかくこれまで通りだよ。システム周りなんかのほんの少しは手を入れてるが、それもカナリアが許してくれる範囲だ。妬けるぜ」
 そういいながら、シオンはフィルムを剥がし献花……飴細工だけど……をつまみ始めた。甘いもん好きなこいつには、そろそろ耐えられないころだろうとは思ってたけど。
「面白い話思い出した。この間、『バタフライ』に会った」
「まひか!」
 シオンは花を口に入れたままこっちに身を乗り出してきた。目が見開かれ、今にも押し倒されそうに鼻息が荒い。バタフライは最近噂されるようになった幻の青いテムジンだ。構造色を持っているらしく、黒くも見えるのだが蒼く輝く外装をしている。そして、どの話も都市伝説の域を出ず、確証には至っていないのが現実だった。その理由として、バーチャロイドのログに残らないのだ。
「噂通り蝶のように見えるスタビライザーが特徴的なのは聞いていた通り。あと、やっぱり蝶の幻を見るって本当だったわ。ラプターシャドウに会う直前だったんだがな、蜃気楼みたいに青い蝶がいくつか舞っているのを見たんだ。火星嵐とか、反射かと思ったんだけど、位置が特定できない上に、近くの建物からの大きさも推測できないときてる。多分、俺自身の意識が見てるんだと思う」
「ほうほう! それで! どういう武装で、どういう戦い方をしてたんだ! お前は戦ったのか! 勝ったのか! どんなパイロットだった!」
 シオンの前髪が俺の鼻をくすぐる。カナリアが妬くから離れろ。そう思って横目で、テンエイティを見やるが彼女はなにも語りはしなかった。
「ええい、暑苦しい! 離れろ! いてえ! 飴が顔に刺さってる! まあ結論から言えば、共闘と会話はしたよ。変な女だったな」
「ほう! 女性パイロットとはまた異なものだな。ファイアフライのこともあるがパイロットは素養さえあればだれでもいいという典型かもしれん。それで、どういうこと話したんだ」
「まあ、それがびっくりするほど丁寧な話し口調で『ルリ・モルフォニカと申します。不束者ですが、よろしくお願いいたします』って普通に通信してきたからな。軽く作戦をやりとりしてそいつがシャドウラプター二体、俺が一体相手にしてって感じだ。機体はなんつうの? 呂布の頭の羽飾りみたいなツノセンサーついたテムジンで……」
「翎子(りんず)、な」
 急に真顔で短く注釈入れてくる。これだからオタクはめんどくせえ。
「スライプナーっぽい武器だけど、あれは槍に近いかな。でも基本は射撃特化って感じだった。で、ここからが面白いんだがな。射撃がすげえ、下手」
「はあ!? 俺の聞いた話だと、めちゃくちゃつええって……っとお」
 シオンは空いた口から落としかけた飴を空中キャッチし、また口に放り込む。献花なんだぞ、それ。
「一応勝ったあとに少し話たんだけど、バタフライにゃ面白い特徴があってな、思ったことを操作するより早く機体が動くらしい」
「わからん。説明を乞う」
 一応思索は巡らせたようだが、シオンの眉間に深い皺が寄る。ひどくいぶかしげに、そして不審に感じているようだ。
「あーんー、俺もよくわからなかったんだけど、結果が先に起きて、操作が後からおいついていくらしいんだ。ちと考えただけで、頭がおかしくなりそうだった」
「そうだろう! もとより操作というものは物理的、あるいは電気的なアプローチがあって結果システムが判断、その上でアクチュエーターの作動やリバコンが発生し、現象に至る。そういうものだ。だが、感覚、想像、思惑そういったものを、操作も介さずにバーチャロイドが動くなど、時間を越えているとしか思えない。いや、待てよ。カナリアに搭載しているミラージュシステムはクリスタルのハーモニクスを電脳虚数空間を介して相手と同等の出力を得るものだ。ここにあるタイムラグは計測ミスだと思っていたがゼロコンマ1%同調先より早くエネルギーが送られていたことがあった。つまり電脳虚数空間というものが実は時間軸を遡る性質のものであるならば、リバースコンバートの基礎理論に対して証明に至る理屈が解明されるかもしれない」
 なんか勝手に話し出したが、俺にはわからん。ただのパイロットだからな。
「話がなげえよ。んでそのパイロットもバタフライにしか搭乗したことないらしいんだけど、それでもその戦闘ごとにリズムや雰囲気が体に入ってきて、バーチャロイドと意識が一致しないとまともに戦えないそうだ。そんな話を一方的に話して仕舞に『予定がございますので、失礼いたしますね』なんて言って気づいたらいなくなってた。本当に、気づいたら、って感じ。ログにもないから、ちょっと自分の脳みそ疑ったけどな。当局に報告したけどログがないからラプター三体俺が倒したことになっちまってたな。俺だってありえんて」
「もしかしたらバタフライエフェクトを解析したバーチャロイドかもしれないな。ありがとう、また出会えたら情報をよろしく頼む。話のおかげでミラージュの問題点である過剰なエネルギーの調整が可能かもしれない。システムで抑え込むのではなく、虚数空間での時間経過を組み込んだら流入する量を自然に調整できるだろう。もっとも、調整できたところでブラックナイトに勝てるとは思えないけどね」
「シャドウボックスリー二十体に囲まれたときなんかはありがたいな」
「ははは! あれは本当に傑作だったな!」
「ばかやろう、こっちは死ぬかと思ったわ! ……ははは!」
 シオンは腰を上げ、カナリアを見上げた。
「カナリア、アキオを頼むな。よし、もう少しメンテナンスをしてみようか」
「んじゃ、俺のカナリアちゃんを頼むぜ」
 俺も腰を起こし、シオンに背を向けた。
 次の戦場まではまだ少し時間がある。
 それまでは、しばらく羽を休めていてくれ。
 きっと俺はまたお前をぼろぼろにさせてしまうからな。
 もと来たキャットウォークを歩き出す。

––あなたとなら

 背中でなにか、優しい声が聞こえた気がした。