愛しい人の笑顔のためにできること
先日(1/25)、介護の母に対して『元気に生きてくれているだけで良い』と、私の在り方を決めたら、その週の日曜日(1/28)には母が変化した。
今回も、他人を変えるのではなく、自分が変わる方が早いことを実感した出来事です。
父が亡くなってから、何に対しても興味を示すことのなかった母が、私がウクレレを引き終わると、私の手からウクレレを取って、弾き始めた。
弾くといっても、弦をはじくだけなんだけど、思うように動かない手で、何度も何度も音を鳴らす。
弾きやすいようにピックを渡すと、少し良い音が出るようになる。
『楽しい?』と聞くと、『うん』と頷いた。
ほんの10分程度だったけど、何度も何度も、弦をはじいては嬉しそうな母。
病気をしてから、こんな風に、何かに集中して自分から楽しむことができなくなっていた母。
私には、母が楽しむことを放棄しているようにも見えていたから、本当に嬉しい出来事だった。
母は、笑うととても可愛い。
(病気になる前の母を可愛いと思ったことはない。どちらかと言うと、お互いに可愛くないと思っていたと思う。)
ちょっと品の良い、幼い少女のようにはに噛んで笑うのだ。
父は、この母の笑顔が見たかったんだなぁと生前の父を思い出す。
父は、しょうもないことを言ったり、やったりしては、母から『やめて!』といつも窘められていたけど、嫌がられてもやめなかった父(笑)。
昭和15年生まれの父は、この年代には珍しく、家族に対してスキンシップで愛情表現をする人だった。
そんな父を、半分冷ややかに見ていたけど、
父は、純粋に母のこの笑顔が見たかったんだと今ならわかる。
いま、私が父の代わりに同じことをしているから。
父と全く同じ口調で、同じことをして、母を笑わそうとする私がいる。
そんな時、父が私に乗り移ってるんじゃないかと錯覚するほどだ。
父のスキンシップは拒んでいた母だけど、私のは、迷惑そうな振りをして笑いながら受け入れる。
父も、もっと母と触れ合いたかっただろう。
母も、本当は照れていただけで、嬉しかったのだろう。
もういない父を憶い、父の代わりに、この母の笑顔のために私ができることをしよう。
もとい、私ができることをしたいのだと気づく。
やだ、私、めっちゃ男前じゃん(笑)。
私も欲しいぞ!
そんなひと(笑)。
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