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してもらったことは忘れてしまうから。そんなときは・・・

年老いた親をおんぶしたことはありますか?

私の母は今年の9月で80歳を迎えます。
(2022年から介護しています)

補助があれば自分の足で歩けますが、今年の4月に1週間の入院を2回したら、一気に筋力と体力が低下しました。

100メートルを歩くのがやっと。

それ以上になると足が追いつかず、前のめりに倒れそうになってしまうので、そんな時はおんぶしてあげることにしました。

母に何かあったとき、いざという時のためにも、おんぶできた方が良いので、私の筋力トレーニングも兼ねて!笑

最初、遠慮がちで私に身体を完全に委ねることができなかった母も、今では私の首にギュッと手を回して委ねてくるようになりました。

この瞬間、母が可愛いくてキュンとします。

子供が親におんぶされるとき、親が子を愛おしいと思う感覚ってこんな感じなのかなぁと想像します。

そして背中に感じる母の体温、首に回された手の細さを感じながら、母におぶわれただろう遠い記憶を手繰り寄せます。

日々、色々あるんですよーー。

歯磨きを嫌がって、毎回磨くの苦労するとか。

私の作った料理が好みじゃないとマズいと言って、絶対に食べないとか。

本当に2才児、3才児のような時があります。

それでも、母をおんぶすると、なんだかチャラになるんですよね。

きっと私もイヤイヤしただろう幼き頃があって、母も毎日それに付き合ってくれたのよねって思うから。

ぜひ機会があれば、老いた親をおんぶしてみて下さい。

どんな親子関係であっても、愛された記憶が甦って感謝が湧くと思います。

愛された記憶、忘れないように。。。

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この記事を書いたら、以前知ったある詩を思い出したので載せておきます。
この詩は作者不明とされています。

『手紙〜親愛なる子供たちへ』

年老いた私が、ある日、今までの私と違っていても、どうかそのままの私のことを理解して欲しい。

私が服の上に食べ物をこぼしても、靴ひもを結び忘れても、あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい。

あなたと話す時、同じ話を何度も何度も繰り返しても、その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい。

あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は、いつも同じでも私の心を平和にしてくれた。

悲しい事ではないんだ。 消え去ってゆくように見える私の心へと、励ましのまなざしを向けて欲しい。

楽しいひと時に、私が思わず下着を濡らしてしまったり、お風呂に入るのを嫌がるときには思い出して欲しい。

あなたを追い回し、何度も着替えさせたり、様々な理由をつけて嫌がるあなたとお風呂に入った懐かしい日のことを。

悲しい事ではないんだ。 旅立ちの前の準備をしている私に、祝福の祈りを捧げて欲しい。

いずれ歯も弱り、飲み込むことさえ出来なくなるかも知れない。

足も衰えて、立ち上がることすら出来なくなったら、あなたがか弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように、よろめく私にどうかあなたの手を握らせて欲しい。

私の姿を見て悲しんだり、自分が無力だと思わないで欲しい。

あなたを抱きしめる力がないのを知るのは辛いことだけど、私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい。

きっとそれだけで、それだけで、私には勇気が湧いて来るのです。

あなたの人生の始まりに、私がしっかり寄り添ったように、私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい。

あなたが生まれてくれたことで、私が受けた多くの喜びと、あなたに対する変わらぬ愛を持って、笑顔で応えたい。

私の子供たちへ、愛する子供たちへ。



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