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穏やかな介護は不可能ですか

介護がしんどかった最初の頃、愚痴を聞いてくれていた友人に何度も言われました。
(私の場合、苦しかったのは最初の3ヶ月だけでした)

『無理をせず、施設に預けた方が良いよ』

彼女も介護が必要なご両親を施設に入れていて、経験からの私へのありがたいアドバイス。

一緒に母をみている姉からも、『お前の負担が大きいから、お前が施設に預けると言うなら反対はしない』と言われていました。

でも私は、最終的に、一緒にいることを選びました。

親をみるのは当たり前とか、世間体とか、そんな理由ではなく。

私は、何度も何度も自分に問いかけました。

『私はどうしたいの?』って。

そうして出た答えは、『私が母と一緒にいたい』でした。

母のためじゃなく、私のためだと自覚できたとき、覚悟が決まりました。

決めたのは私なので、姉への不満も、母への行き場の無かった怒りも、徐々に減って行きます。

そしていま、かなり穏やかな介護生活を送れていると自負しています。(今年で2年目です)

つい最近、noteで知り合った現役看護師の木村まりさんが書いた『幸せに人生を終えた人から学んだこと』を読みました。

冒頭にこう書かれています。

病院に入院している患者さんの多くが口にする言葉があります。どんな言葉だと思いますか。
それは、『家に帰りたい』です。
この言葉は入院している患者さんの誰もが口にするものではありますが、言葉の重みは、高齢者とそうでない方とではまるで違ってきます。

そして、

入院したときには『早く元気になって家に帰って来てね』と励ましてくれた優しい家族に、いざ退院が決まるとこんなことを言われてしまうことがあります。
『家に戻られても、困ったことにお世話できる人がいないんだよ。施設のほうがお父さんも安心して過ごせると思うよ』
病気をきっかけに家族がなんとなくぎくしゃくして互いの心が離れてしまう。
そんな寂しい人生の終末は誰も望んでいないでしょう。

はじめにー『愛されてこの世を去った人たち』より

この最初の導入部分を読んだだけで、私は涙が止まらなくなりました。

なぜなら、その想いは、母から痛いほど感じてきたからです。

想像してみてください。

いつか訪れる自分の老後を。

私は、どうしたって因果応報という言葉が浮かんできてしまうのです。

元気だった頃の母は、仕事柄も、元々の性分も、頭が下がるほど人のために動くひとでした。

いま、母の介護に、多くの手を借りることができるのも、母がしてきたことが巡り巡って還ってきてると感じる出来事をたくさん経験して、そう思います。

介護は、確かに大変です。

綺麗事では語れない感情のオンパレードです。

よく育児は育自と言われるように、介護もまた育自です。

多分、子育てよりも、親をみるということは、大きな成長のチャンスを与えられているんじゃないかと思うのです。

そして、自分の人生がより味わい深く、豊かになっていくのをいま体験中です。

私が20代の頃、介護問題が少しずつニュースになり始めていました。

当時の私は、介護は家族の人生をめちゃくちゃにするものだと信じて疑いませんでした。

その私がいまは、介護は人生をより良くしてくれるものだと思っています。

実際、私の人生は良くなっているからです。

そういう介護もあるのだと知って欲しい。

介護の不幸なイメージを変えたい。

そして、愛する我が家で安心して老後を過ごせる家族を増やしたい。

いま心から願うことです。

もし自分が介護される側になったとき、どんな老後を過ごしたいですか?

自分の希望する未来を、あなたの大切な人にしてあげることは不可能でしょうか?

私がいま心がけている大切な考え方があります。

それは、『どうしたらできるかな』です。

常に、この思考を心がけています。

できない理由を考えるより、できる理由を見つけることはとても楽しいです。

そうして、私は母との介護生活で浮上する数々の問題を解決しています。

これは介護に限らず、問題だと思っていることを解決してくれる魔法の思考です🪄

人生最期の時は、必ず平等に訪れます。

『いい人生だった』と微笑んで死にたい。

そのために、いまできることはなんですか?


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