韓国ミュージカル「EQUAL」

【前置き】

 日本の劇作家&演出家の末満さんの戯曲「EQUAL」。
 最近推している韓国のアイドルグループDKZのメンバーのギョンユンくんとジョンヒョンくんが出演するという情報が飛び込んできた2022年5月。
 しかも日本でも配信が見ることができる、そして日本公演があるということで、公演が始まるのをすごく楽しみにしていました。
 ちなみに「EQUAL」は2年ぐらいほど前に1度だけ配信で朗読劇という形で見ていて、あの狂気的で破滅的、そして複雑で重い印象だった作品をミュージカルしかも韓国で公演するって聞いた時はとてもびっくりしたものです。
 あの爽やかで可愛いお二人がどんな風にあのエグい狂気を演じるの?と想像もつかなかったものですから…。
 初めて二人の韓国公演を7月3日の配信で見た時の衝撃といったら…。
 え?私が観た「EQUAL」と違う!話の本筋は同じはずなのにこうもラストの印象が真逆になるとは…頭の中が大混乱でした(笑)
 

【作品全体の感想・日本朗読版と韓国ミュージカル版の違い】

 ざっくり私の記憶の中にある日本朗読版と韓国、韓国ミュージカル版の違いを書いてみると

【私の記憶の中の日本の朗読版】
◆曜日によってテオとニコラの中の人が入れ替わる。
(演者はテオとニコラを交代で両方演じている)
◆マリエッタの殺害はニコラ。自分が錬金術を行なっているところを
 見られたと思って、秘密を守るために殺したと告白している。
(確かそうだったかと記憶がうっすら)
◆ニコラは実はテオ本人だった、テオはテオ自身の血を使って錬金術
 により生まれたホムンクルス、だからテオのホムンクルスであって
 ニコラのホムンクルスではない。
 もう一人のテオはテオ本人
(こっちは特に時間軸についての描写がないけども、二人
 の間では韓国版のような年数が経つような描写はなかった
(と思う))。
◆どっちがオリジナルのテオでどっちがホムンクルスのテオなのか?
 生き残った方が本物のテオ。そして生き残ったテオはその代わり
 マリエッタ殺害について警察に出頭する。
(結局のところどっちが生き残ったのかというところは描かれていない)
◆結局のところニコラはホムンクルスとしても蘇っていない。
 テオがテオ自身のホムンクルスを作ってニコラと思い込ませて
 いただけ。でも結局のところホムンクルスのテオはやがて自分が
 ニコラではないことに気がつく。お互いが自分を本物のテオと
 主張し、生き残った方が本物と結論づけて二人は殺しあう。
(ナイフを振り上げたところで暗転して終わる。結局のところ
 こういうことが繰り返されていた可能性もあるので、テオ本人
 はすでに死んでしまっていて、お互いテオのホムンクルスを
 作り続けていたということも考えられるかも。)

【韓国ミュージカル版】
◆日本版ではテオと二コラが入れ替わって演じる演出だったけど、
 韓国版では演者はテオはテオ、ニコラはニコラで入れ替わって
 演じることはない。
 ただし、ストーリーの中でテオは実はテオの記憶を植え付けた
 ニコラのホムンクルス。
 ニコラは、実はテオでテオ自身もホムンクルス
(実は52年間二人はお互いのホムンクルスを作り続けていたと
 いうことらしい)。

◆マリエッタは、自宅に黒魔術の道具が見つかって処刑されて
 しまったのだけども、それは闇の修道院によって仕組まれた
 罠だった。テオは最初ニコラを疑ったけど、ニコラはその
 処刑の様子を窓から見ていて苦しむ描写があるし、最後に
 犯人は闇の修道院だったという話をしている。
◆(実はニコラのホムンクルスだった)テオを蘇らせる錬金術
 に使われたのは死んだニコラの肉体の一部。
◆二コラを名乗っていたテオは自分がテオ本人だと思って
 いたけど、実はテオのホムンクルス。
◆今回の結末は、途中まではニコラ(本当はテオ)の思うテオ
 (本当はニコラ)だったけど、テオがマリエッタに恋をしたこと
 によって、徐々にニコラが望むテオではなくなっていった。
 でもそんなテオをニコラは手放し難くなっていた。
 最後に作って7日以内なら消滅させることができる薬を
 二人一緒に飲もうとしたけど、結局のところ、ニコラは
 飲ませなかった。二人で生きていく道を選ぶ。
(この展開にも色々余白があるので、二人がどれだけ生きていられる
 のかも分からないし、ニコラの病気もどうなったのかわからない。
 共依存しすぎているとしたら、また相手を失ったらどうなるの
 だろう?なんとなくジョンヒョンニコラとギョンユンテオ
 だったら、この悲しい円環は断ち切って、静かにお互いに
 命が尽きる時を迎えるような気がする。
 (私の願望かもだけど)あれ?でもホムンクルスって
 寿命あるのかな?)

 今、改めて韓国ミュージカル版を観終わって振り返ると、
 ミュージカル版のパンフレットの末満さんのコメントに、「鏡に映る自分を見て、自分が何者であるか定義を見失ってしまった。でも自分以外の存在が自分を定義してくれたから正気を保っていられた」と書かれていたのですが、日本朗読劇版は、その「鏡に映る自分を見て、自分が何者であるか定義を見失ってしまった」というところに重きを置いた演出のように思えた印象でした。
 一方韓国ミュージカル版は、どちらかというと「自分以外の存在が自分を定義してくれたからこそ正気を保っていられた」という部分に重きを置かれた演出だったように感じました。

 だからなのか「イコール」の解釈が違うところが面白かったです。
 日本朗読版は、テオ本人とテオのホムンクルスが、実験を重ねるごとに本人自身が錯綜してやがてどっちが本物でどっちがホムンクルスかわからなくなる。どちらかがテオ本人で、どちらかがホムンクルス。
 ひょっとしたらオリジナルは死んでしまって二人ともテオのホムンクルスかもしれない。どちらもテオという「イコール」。
(日本朗読版では、二コラを病で失ったテオは、テオ自身も病にかかってしまったため、まずは二コラを蘇えさせるための実験を続けるために、もう一人の自分を作るところから始めめた)

 韓国ミュージカル版は、テオは二コラのホムンクルスを作り、二コラがテオのホムンクルスを作る。お互いがお互いを繰り返し作り合っていて、安定性を図るために自分の血をホムンクルスに使っているから(今回の話の流れから行くと同じような過程でお互いのホムンクルスを作り続けていたのだと思う)、結局のところテオと二コラはお互いの血が混ざりあったホムンクルス。テオであり二コラである二人のホムンクルスという意味でのイコールなのかなって思いました。

 そして二人の行く末も真逆な展開なのも面白かったです。
(日本版の方がちょっと救われない感があって、個人的にはしんどかったですが。)

 末満さんの脚本の作品舞台をいくつか観ていますが、哲学的要素があって壮大な世界観が魅力なのかなって思うのですが、結構余白があってご自身の考え方を押し付けない感じがあり演出家さんや演者さん、観ている人にその余白が委ねられているな〜って思っていて、でもここまで同じ作品でもこの余白の埋め方次第でここまで雰囲気が変わるとは思いもよらなかったです。
 いつも末満作品を観た後って、メンタル結構削られてでも一回では飲み込めなくて(話の組み立て方も前半に布石をいっぱい散りばめて、最後に回収していくから余計に。)何度も見て地獄を味わう感じなのですよね。
でも韓国ミュージカル版はシンドさ(というより切なさかな~)はあるもののどこか救われるラストシーンが個人的には好きで、こんなに何度も観ているのにメンタル削られないのがとても不思議な気持ちでした(これまでどれだけメンタル削れてたか!www)。
 
 いろんな違いがまた作品の面白さに私は繋がっていったので、日本で過去に私のように朗読劇やストレートプレイでこの「EQUAL」を観たことがある方に、韓国版ミュージカル版も観てもらいたかったな~なんて残念な気持ちがありました。
 パンフレットに書いてある演出家さん、脚本家さんや作曲家さんなどのインタビューを読むと、日本で生まれたこの作品を日本のお客さんに見てもらうのか楽しみといったコメントもありましたし。
 この日本公演でたくさんの方に見てもらいたかったな…。

 人によっては受け入れられない人もいるかもですけど、キャストの皆様、演技力、歌唱力ともに素晴らしかったですし(私はすべてのキャストさんの公演は見ていませんけど)、それぞれの個性もあり、公演によってキャストやペアが変わったりするとまたそれぞれの特色が出て、同じ話なのにまたニュアンスが変わったり、話自体も面白いですし、何度観てもいつの回をみても楽しむことができるそんな素晴らしい公演だったので、きっと1回観てもらえれば多くの方にこの面白さを共感してもらえたのではないかなって感じたのです。
 だから観客動員数がちょっと振るわなかったのが本当に残念でした。(本当はこういうネガティブ発言はよろしくないかなって思うけど、本公演終わったし、せっかく丁寧に作品作り上げて日本に持ち込んでくださったのに、それをちゃんとたくさんの方に観てもらえなかったことが心の底から残念でたまらなかったので)
 
 コロナ禍になってから、演劇を見る気力が落ちちゃって、何度も同じ舞台を見て楽しむ元気がなかった私ですが、久しぶりに(懐はとっても寒くなっちゃいましたが)何度も観て何度も感動する楽しさを再び与えてくれたことに出演者や関係者の皆様に感謝したいです。
もちろん、たくさんの感動をくれたギョンユンくん、ジョンヒョンくんにも!

 それとシンプルな舞台セットだったからかな?プロジェクションマッピングや照明を存分に使った効果で、すごく幻想的で綺麗なシーンが出来上がっていたような気がします。
 秘密のおまじないや錬金術シーンなんて見ていて自分がファンタジーな世界に入り込んだように感じて、そういうのが好きな私はうっとりと堪能させてもらっておりました。
 照明を使ったシーンでもう一つ印象的だったのが、「神はなぜ」の最後にレーザー光で作った光の壁を挟んでテオとニコラが向かい合うシーンがあったのですが、お互いを見ているようにも見えるし、鏡写しの自分を見ているような「EQUAL」の象徴的なシーンだなって思いました。(この時のジョンヒョンニコラは、先に背を向けるギョンユンテオの背中を寂しげに悲しげにちょっと見てから自分も背を向けていたように見えたのよね。配信ではそこが画面の切り替わりで見えなかったような気がする。)

 あと、配信では曜日が変わる時の場面転換は、画面が曜日とサブタイトルの表記に切り替わっていましたが(これはこれで良かった)、実際の会場では配信の表記(字幕のところにあったかもですけど、私が座っていた場所からはほぼほぼ字幕は見えにくかったので、完全に視界から抹消してしまってた)はなくて、暗転(といっても完全に真っ暗になっていない)の中で二人の動きが見えるところが生観劇ならではのお楽しみシーンだった気がします。(場面転換中の動きが見えたり、二コラが外に出かけるときに、ベットのシーツをナイフで切り裂いてその布を被って出かけたりするところも配信では見えなかった)

【主演2人に対する感想】

 さてここからはこの「EQUAL」での推しギョンユンくんとジョンヒョンくんを観た感想を書いていきたいと思います。
 記憶力が鶏並みで、3歩歩けば忘れてしまうぐらい記憶力がなく、こと細いことは書けないので、二人の韓国公演初日から、日本公演千秋楽まで見てきた中で印象に残っていることが中心になってしまいますがご了承を。
(誰かに読んでもらいたいというより、自分のこの思いを吐き出しておきたいだけなので、ここを読んでくださる方がいたら、とっても読みにくいと思います。すいません。というかここまでも相当読みにくいですね。)

 今回、ミュージカル初出演、しかも主演で2人芝居。しかも難解な末満作品。
 ミュージカル(おそらく演劇自体も?)初挑戦の若い二人が、この高いハードルをどのように乗り越えて演じてくれるのか、すごくすご〜く楽しみにしていました。(お二人とも歌は歌うのはお上手なので、その点はあんまり心配してなかったです。)
 
 私が最初に観た7月3日のお二人は、すごく緊張していたのかな?表情も動きもどことなく少しぎこちない感じに見えました。
 でもやっぱり二人とも歌がお上手!(ジョンヒョンくんの方が少し高音を出すのがきついのかな〜っていう感じがしましたが)。
先輩キャストさん達に比べたら、技術的にも表現的にもまだまだ粗削りな部分もあったかなと思いますけど、ミュージカル初挑戦で、しかも二人芝居!ここまで準備するのは本当に大変だったと思います。
 それに二人ともどんどん回を重ねるごとに気負いが抜けていったのかなというのと、自分の役が身体に中に入っていってより理解が深まっていったのかな、表情や動きがすごく豊かになっていって、歌声もどんどん伸びやかになっていって、韓国公演千秋楽では本当に映像越しでも伝わるぐらい二人の気迫や気持ちが伝わってきて、客席も満員御礼だっただろうから、さぞや熱量高い空気になっていたのだろうな〜。二人もだけど客席の熱量も相まって会場全体がZONEになっていたのではないかしら?
 この日の公演は映像越しでも鳥肌が立つくらい凄かったです。
 現地で観ていたらきっと感動のあまり涙止まらなかっただろうな…。(多分)

 そして日本公演。
 昔、私が日本の最推し様の舞台を初めて観にいった時のような、ドキドキワクワク感に包まれながら、何度も足を運んだことのある劇場ヒューリックホールへ。
 ずっと映像越しに見ていた二人を自分の目でこんなに早く観る機会がやってくるとは…。
 昔、今の日本の最推しの舞台を初めて見に行った時のようなドキドキ感を久しぶりに味わいました。
 そう、映像越しでしか見たことなかった二人が、私の前の日本の板の上に立っている…。
 ここ数年海外の推しができて、でもコロナ禍でもあったから、みんな来日する機会もなく、全て映像でしか見たことなかったですからね、それだけでまず感動的でした(笑)。

 配信ももちろんどうしても現地に行けない時にとてもありがたいサービスなのですけど、やっぱり演劇やミュージカルはその会場に行ってその場で感じるのが一番ですよね。
 映像では伝わらない空気感や、言葉や歌の響きを自分の身体で直に受け止めることによって感じるものはその場にいないと分からないなと。
 頭で理解するよりも身体全体で受け止め感じ取る感覚。(前の方の席だと字幕がほぼ見えないから余計にそう感じたのかもしれませんけど。)
 韓国で行うミュージカルを配信でしかも日本語字幕付きで観られることにも感動しましたけど、こうして日本で公演してくれて本当に幸せなことでした(何度もしつこく書いちゃいますが)。

 あと、配信では気が付かなかったのですが、ギョンユンくんの視線はまっすぐ板の上からその先に広がる広い世界に向かって遠くの先にいる人にまで届くけるかのような感じだったのに対し、ジョンヒョンくんは、会場にいる一人ひとりの観客に直接訴えかけるように視線を投げかけていたのですよね。
 どっちがいいということではないです。視線はまっすぐであったとしても、板の上から客席にいるお客さんの表情がよく見えると私の日本の最推し様が言っていましたから。
 そうよく見えるらしいです(笑)だから、お客さんの反応によってもアプローチや声の張り方とかも変えたりするって言っていました。
 ミュージカル初挑戦であっても、DKZでファンの前でたくさんパフォーマンスをこなしてきている二人ですから、きっとお客さんの反応や更なる役への落とし込みや前回の反省点を生かして、次の公演に望んでいたのでしょうね。

 二人の大千秋楽だった8月13日の公演は、本当に私、観ていて涙止まりませんでした。
 こんな素晴らしい舞台を日本でも見せてくれたことに本当に感謝しかありません。
 実は13日は別の予定が重なって観にくるつもりはなかったのですが、急遽予定を変更して観に行って本当に良かったなって思いました。
 終わった後も色んな感情がこみあげて、しばらく涙をこらえていたぐらい(笑)。
 すでに数日たった今でもその余韻が身体に残っているぐらい、とても素晴らしかったです。
 
 ギョンユン二コラは、明るくてまるで太陽みたいでキラキラしていて、とっても純朴な感じ。
 しかも公演重ねる毎にどんどん可愛さが増していって、ほんと可愛かったなぁ。
 どこか精神的に幼さがある表現は、ホムンクルスとして作られて数日しか経っていなくて、人間としての成熟さを得られるまでは内面(アイデンティティ?)が出来上がってないからなのかしらね?
 
 ジョンヒョンテオは、病弱でどこか影のある二面性を感じさせるそんな雰囲気を視線や表情で上手く表現していた印象だったな。
 映像でも所々拾ってくれてましたけど、劇場で生で観た時に映像で観た以上にそれを見て取れたので、一挙一動目を離せなかったです。
 2人芝居で良かったなと。
 ニコラを見つつも、テオの表情や目線を同時に見ることができたので。
 これを生観劇できて本当に良かったな〜って思いました。
 多分映像だけでは拾いきれなかったと思うので。
 
 このふたりの陽と陰という対象的なキャラが演者である2人にとてもよく合っていたなって思いました。

 またEQUALをやるとしたら、また2人に演じてもらいたいな〜。
 そしてまた生で観たい。

 まだまだ成長の余地がある2人なので、今後もミュージカルに出演していって技術を学び演技により深みを増していった時に、このEQUALをやったらまた違った印象となる気がするんですよね。
 そしてその時にまた日本でも公演してくれて、もっとお客さんが入ってくれたら嬉しいな。。。
(いつか本国でも見れたらいいな〜)
 
 後、韓国ミュージカル版はギョンユンくんとジョンヒョンくん以外の回もちょっと気になり4回(うち2回は、ギョンユンくんだけが違うキャストさんと組んだ回を含む)ほど見たのでキャストさんですが、演じられるキャストさんによってセリフの言い回しや歌の音域が違ったり、個々の解釈が違ったりするからなのかな同じ役なのに全然雰囲気が違うし、組み合わせによっても違うのがまたすごく面白かったです。(日本朗読版も日替わりでキャストが入れ替わったのですけど、当時コロナ禍で自分のメンタルが見ていてあんまり持たなくて、当時の推しの回のみしか見なかった) 

 なんだかんだ配信も含めてなんだかんだ結構観たな。。。
 日本の最推しだって同じ公演でそんなに見たことない。。。
 これも韓国公演から日本公演まで全公演ライブ配信をしてくれたおかげですね。日本でもなかなか全部の公演を配信ってするところは多くないですし。
 日本公演では、SNSで知り合った皆様にも会えて、お話たくさんできて楽しかったというのも、あってとても充実してたな〜。
 コロナ禍になって、自分自身の仕事柄、感染するわけにいかない中、気軽に舞台を観に行けるような雰囲気がなくなって、公演も中止になったり、とだんだん自分自身が舞台を観に行くモチベーションが下がって、最推しの舞台さえ最低限の観劇に抑えていたけども、配信も含めてだったけど、「舞台は生モノ」である楽しさを久々に思い出して、楽しむことができたそんな公演でした。

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