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大晦日だなあ

2020年最後の投稿が「呑みながら書きました」になりそうだったので、
慌てて書いております。
慌てすぎて、さきほど誤って中途半端な何かを投稿した気がしますが、もうすぐ今年が終わるので大丈夫です。今年に置いていきます。

12月に入って年末が見え始めてくると、みんな今年を振り返り始め、普段以上に「コロナ」の話題が避けて通れないという空気を感じました。
あえて避けてやろうかと思ったのですが、やっぱり何を語るにも関わってくるようです。なるべく避けつつやってやります。


今年、個人的にはnoteを始めた年でした。
どうしてはじめたのか、一生懸命思い出しているのですが、はっきりとした理由が思い出せません。
仕事で部署異動があり残業が減って自分の時間が増えたこと、知人がnoteをやっていることを知りnoteがどういうものか調べてみたこと、何かと自宅にいる時間が増えたこと、元々書き溜めたものを吐き出す場所を探していたこと……、たくさんの要因が重なって始めることを決めました。
たぶん、どれか一つでも欠けていたら、noteの「美紗」はいなかったのだと思います。

「何か一つでも欠ければ今はない」

というのは、わたしが常に意識していることです。「何か」は良いこともありますが、悪いことや、つらいこと、苦しいこと、悲しいこともあります。
そして、その「何か」がわたしに襲ってきているとき、後からやってくる「今」がどんな形になるのかは分かりません。
ただ、「今」がわたしにとって悪い形であったことはありません。
だからこそ、つらいことや悲しいことは、後になって「あの時の一つでも欠けたら今はなかったんだ。よかった」と思えるものの一つになると信じるようにしているのです。

わたしは基本的にネガティブなので、来年が良い年になると信じることはできません。
「よい年になりますように」というのは嘘にしかなりません。
だから、わたしが今生きていることが、後からきちんと意味付けできるように、来年襲ってくる「何か」もきちんと乗り越えて、また「今」につながることを信じていけるようにと祈りつつ年を越そうと思います。

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