「花束みたいな恋をした」感想 - 恋の賞味期限について
ずっと楽しみにしていた「花束みたいな恋をした」をようやくみてきた。どれくらい楽しみにしていたかというと、公開されるまでに飽きるくらい何度もYoutubeの2分弱の予告をみていたくらいである。
映画のあらすじは、驚くほど好きなものや価値観の合う大学生の絹と麦という人の男女が出会い、恋に落ちる話である。絹と麦はキラキラした、一生忘れられないような恋を経験する。だがお互いの就職を境に少しずつ歯車が合わなくなっていき、最後には別れを決意し、お互い別の恋人を見つけて話は幕を閉じる。
作中では、「恋の賞味期限」というワードが何度も出てくる。「恋の賞味期限」の捉え方は人それぞれなんだろうけど、私は、大好きな人といるときの一番楽しい時期のことだと思った。それが出会ったばかりのころなのか、それともその先の話なのか、それはきっと人によって全然ちがうと思う。作中の2人は、それまでのお互いの人生のパズルのピースをはめるみたいに、好きなものやお互いの価値観について夢中で話す。2人はびっくりするくらい全部の趣味があって、一緒にいて楽しくて、運命を感じていた。付き合ってからも順調で、同棲も始め、順風満帆なように見えた。
しかし就職を機に、仕事は適度にこなしつつも趣味を楽しむ絹と、仕事に追われる日々のなかで、少しずつ小説や映画、音楽への興味がなくなっていく麦の間で、お互いの価値観が少しずつずれていってしまう。そんな中で、絹は、麦におすすめの小説を渡したり、ずっと見に行きたいと話していた舞台に誘ったりする描写がある。絹は、麦がもう自分と同じ価値観ではなく、前みたいに好きなものについて肩を寄せ合って夢中で話すような時間を過ごすことができないことは分かっているように見えた。このままじゃ多分もううまくいかないって分かってるし、一緒にいて息苦しいことのほうが多いのに、前みたいに戻ろうと必死でもがいてしまうのは、きっと一番楽しかったときのことが忘れられないからだ。あんなにキラキラした時間を過ごしてしまうと、どうにか戻れるんじゃないかと、もう一度以前と同じようにしたいと思ってしまうんだろ思う。でも、一度ヒビの入ってしまった2人の間には、「恋の賞味期限」が切れてしまった2人には何をしてももう元には戻れないだろう。
誰かとの関係性は、時間の流れとともに自然と変わってしまうものだと思う。高校生のときはお酒も飲まずにカラオケでバカ騒ぎしていた友達と、居酒屋で仕事についてしんみりと話すとか、小さいころは自分にとって「パパ」でしかなかった父親を一人の人間としてみるようになったとか。そうやって自然に変わっていければいいんだけど、恋愛においては、少しずつ環境が変わっていくなかで、自分も変わらなきゃいけないって頭では分かっているのに、楽しかったことのときを思い出して、それに縋ってしまうときがある。そんなことしてもうまくいくわけないのにって分かってるのに。作中の絹に自分を重ねてみてしまい、途中からしんどくなってしまった。
別れを決めた2人は、同棲を解消するまで3か月程度その後も一緒に生活することになるが、そのときの2人はまるで最初のころみたいに楽しそうで。それはきっと、前の2人に戻ることを諦め、「恋の賞味期限」に縋らなくなったからである。私はその描写に少し救われたように思う。たとえ恋愛という形じゃなくても、というか、恋愛じゃないからこそ、楽しく過ごすことができるんだと思った。
その後、絹と麦はそれぞれ一人暮らしをすることになり、お互いに別の恋人もできる。ただ、ふとした瞬間に過去に2人が過ごした時間を思い出している様子も描かれており、そのときは「あのときは楽しかったな、今どうしてるのかな」と、優しい気持ちになっているように見えた。結婚するとか、長く付き合い続けるだとか、そういうことが「報われる」ことだとするならば、世界中の報われなかった恋に対して優しく語りかける、そんな物語だと感じた。また見たいです。