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営業のちからは、たとえ営業マンにならなくても、社会で生きるちからの土台になる

去年の7月、社長から突然
「宮崎で旅しようよ」といわれて、
ちょうど連休で大学の授業もなかったので、他の全部の予定をキャンセルして、4日間の宮崎滞在をしたことがきっかけで、私は自分には縁の無いと思っていた「営業」のセカイを覗くことになった。

その時社長と食べた宮崎のチキン南蛮が美味しかったのを思い出して、写真を見返してみたら、ちょうど一年前だった。
宮崎のチキン南蛮のタルタルソースの味は、今でも忘れられないぐらい美味しくて、ほっぺが落ちそうになるくらいタルタルしていた。

どうして1年も続けてきたのか、いろんなことを経験した1年だったし、学びだけじゃなくて嫌なこともたくさんあったし、大変なこともあったし、なんで続けているのか分からなくなってしまったときもあったけど、最初にどんなことを感じて始めて、どんな現場、どんな感情を経験してきて、1年経ってどう感じているのか、ちゃんと言語化して頭に残しておきたい。

宮崎で初めて立った現場で、初めて営業のイベントでのキャッチというものを経験した。よくあるイオンモールとかではっぴを着ているお姉さんみたいなもの。
宮崎に向かっている車の中でずっと、社長にいろんなことを聞いたり勉強したほうがいいことを聞いたりとか、正直最初は不安しかなくて、ソフトバンクや携帯の知識なんて全然ないのに本当にできるんだろうか?っていう感情しかなかった。
でも、実際に現場に立ち始めてみたら、ある程度の感覚が掴めてきて、恐れず声出しもできるようになって、褒められて、自己肯定感も高まって、自分はある程度こういう仕事が向いているんだと直感で思った。

正直全然難しくなかった。明るく声出しをして、いろんな人の目を見て声をかけて、イベントに誘導して、座ってもらうだけ。それの数を積めば積むほど褒められて、数字を評価される。逆にできなかった時は評価されない。
数字は目に見える。簡単。

こういう「キャッチ」っていう仕事に対しての第一印象は良くて、自分にもはまってるし、やりやすい、評価を得るのは楽しい。そんな感覚だった。

でも、実は宮崎の旅は自分にとっては悪夢のようなものだった。
思い出すだけで、目を背けたくなってしまう瞬間しかない。

4日間の出張で私は、はじめて「社長」という上司と丸一日共に過ごすという経験をした。朝起きて、ホテルから一緒に車に乗せてもらって、現場まで移動して、営業の仕事をして、そのあとに夜ご飯に行って、帰って仕事の反省する。
こんな単純な流れなのに、私は毎日毎日、やらかしてばかりいた。

社長がまだ乗っていないのに、先に入って車に座っているとか、領収書もろくに取っておけないとか、助手席に座っているのに、道案内もろくにできない、とか、自分が入店する店舗なのに、社長に頼って入店の仕方も把握していない、とか、目上の人と一緒にいるのに、現場が終わった後の行きやすいお店とか、そこまでの行き方を調べていない、とか、目上の人と一緒に行動する際の「気が利く行動」「マナー」「礼儀」「先読み力」、いろんなものが欠落していた。

今だから、欠落していた。って言えるけど、その時指摘された瞬間は自分の落ち度に全く気付けていなくて、次は絶対指摘されないようにする!と気を付けてもまた違うことを指摘されたり、とか。「自分のできない部分」を完全にさらけ出されてしまった日々だった。

「キャッチ」はできたけど、「社会の常識」が欠如している現実を突きつけられて、毎日毎日落ち込んだし、嫌になったし、認めたくない気持ちもあった。
でも、4日間を終えて東京に帰っているときに、「いつもお世話になっている方にこんなことを指摘させた自分が情けない」という感情でいっぱいになって、そして自然と、次仕事する時には絶対に成長した姿を見せたい!という思いに変わっていた。

だから私が営業を続けたはじめの理由は、「営業」がしたかったんじゃなくて、「社会での常識」をちゃんと付けて出直したかったからだった。
ただもちろん、キャッチに関して宮崎で評価をもらったことは自分の自信にもなっていて、そんなこんなで東京でもできる範囲で営業の仕事を継続することになった。

宮崎でお会いした社長のお知り合いの方のご厚意で、東京でも営業の仕事がもらえるようになった。
時には田舎のスーパーで必死にキャッチ(ほとんどおじいちゃん、みんな携帯そのものをもってない)、時には静岡まで1人で出張に行って歩行者天国で1人で歩き回ってキャッチ、時には都会のイオンモールで魔女の姿になってお菓子キャッチ、思い返したらとんでもないことをいっぱいやってきた。

私は東京でもそれなりに高い評価をもらっていた。
悪い評価をもらったことはあまり無かったし、指名をもらうことの方が多かった。でも、だんだん、何かが物足りなくなってきた。
たしかに、評価はもらえるえけど、ただただ現場を盛り上げて、座らせるだけ。そのあとのヒアリング(営業していく際の最初の段階)はさせてもらえないし、営業トークみたいなものは全然経験できない。
人間、慣れて簡単すぎるとつまらなくなってしまうのは当たり前で、だんだんただのイベントのお姉さんはつまらなくなってきた。
しかも、直属の社長と一緒の現場ではないから、ミスをしてもほとんど指摘されることはないし、良くも悪くも何も言われずほっとかれる現場もあったし、ただ座らせているだけでは全く貢献している感じがしなくて、腑に落ちない日々が続いた。

そんなことを社長に伝えてみた結果、なんと私は沖縄で働くことになった。
去年の11月のこと。
せっかくみょんちゃんがこんなにやる気なんだから、直属の社長さんと一緒に現場に入ってたくさん学びなさい、というご厚意だった。
そんなこんなで私は、土日と授業の無い平日の日を使って、沖縄出張に参戦することになった。


「社長」と一緒に4日間の出張。しかも沖縄。
出張。4日間。

思い出されるのは宮崎の悪夢だった!!!!
(また4日間も一緒に仕事をして過ごしたら、どこかでボロを出してしまうかもしれない・・・)
せっかく営業を学びにいけるのに、そんなことが怖くて仕方なかった。

そんなこんなで始まった沖縄での四日間。
着いてから、先に現場入りしていた社長に合流して、稼働が始まった。イベント会場まで向かうときも、何か指摘されたらどうしよう、あれ、格好間違ってないよね、とか。いろんなことが頭によぎった。
稼働がおわって夜ご飯の時間になった。
反省を活かして私はいくつかごはん屋さんを調べていたけど、なぜか社長が色々と提案してくれて、いろんなところに連れて行ってくれた。
必死にグーグルマップに頼って、駅から現場までの道に迷わないように案内した。お店までの道もがんばって調べた。
グーグルマップを使っても迷うくらいの方向音痴だけど、なんとか道案内でボロが出ることはなかった。
お店が開いている時間もちゃんと調べた。何事もなく、3日間美味しいものを食べに行けた。
最終日には1件わたしが決めることができて、すごく褒めてくれた。

と、簡潔にまとめると、すごーくあっけなく、恐れていたことはまったく起きず、毎日社長とふたりで美味しいものを食べて、フィードバックしてもらえて、逆に謎に思えるぐらいなにも怒られないまま、平和に沖縄はおわった。
いまでもなぜなのかわからない!!笑
少しでも成長できていたのか、社長が見過ごしてくれていたのか。
けど、たのしかった4日間。

そんなことから、わたしはよく、週末を使って沖縄出張に出掛けることも増えて、春休みには泊まり込みで沖縄で働いて、留学直前まで関東でも枠を頂いて稼働していた。

営業をしていると、自分の嫌な部分にいやでも向き合わざるを得なかった。

もっとできたであろう努力をしなかったから、いつまで経ってもできなかったこともたくさんある。
うまくいってるときは楽しいのに、うまくいってないとき、言われたくないことを指摘されたとき、自分でもそのとおりだとわかっているのに、すぐに表に感情が出てしまうこともあった。
はじめてやる仕事も、そつなくちゃんとこなしたいのに、焦ってしまうことばかりで、かっこ悪くて、全然完璧じゃなくて、辞めたくなるときもあった。
うまくいってないとき、その原因に向き合わず、むきになって、機嫌が悪くなって、周りのせいにして逃げようとしたこともたくさんあった。
自分のはっきりしない性格のせいで、営業トークがうまく進まないこともあった。
言いたくないこと、報告しづらいこと、自分にとって都合の悪い話を先延ばしにして怒られたこともたくさんあった。
なんで学生なのに?ここまで?って、いやになるときもあった。
向き合わないといけないことを、どんどん後回しにする自分の癖が嫌いになった。
飲み会とか、目上の人とのコミュニケーションで全然うまく動けなくて、恥ずかしい気持ちをしたこともたくさんあった。と

でも、自分のそんな、いろんな癖に気づいたし、「仕事」というものに向き合う姿勢と、いかに社会の中でのコミュニケーションのとり方が大切なのか、どんな人が活躍しているのか、自分はどんな人と働きたいのか、自分は働くとき、どんな人でありたいのか、いろんなことに気付かされた。

自分の長所にも気づいた。
わたしはあんまり営業のセンスは無いほうだけど、人との距離感を詰めるのは得意だし、懐に入っていくのが得意だ。
全然ドライヤーなんて詳しくないのに、炊飯器のことなんてまったくわからないのに、トースターの違いなんて気にしたことなかったのに、それを買いに来ている女性の層との相性がとってもよいことがわかって、その付近に絞って居て声をかけ続けた。そしてなぜかわたしはドライヤーをたくさん売っていた。(もちろん携帯もね)ものを売るのに知識は最低限必要だけど、知識がなくても心が開けばものが売れることを知った。

ある日には、たまたま掃除コーナーを通っただけなのに老夫婦の方に声をかけられて、掃除機の相談をされた。掃除機の接客なんてしたことなかったけど、自分の持っている知識、説明書からわかることすべてを活用して、とりあえず頑張って接客をしたら、なぜかその掃除機を購入してくれることになった。私の仕事は家電を売ることではないので、信頼関係のできた状態で携帯の話をしたら、すごく高額をふたりとも払っていて、とんとん拍子に話も進んで、携帯も変えてくれることになった。身分証明書を持っていなかったのに、今日しかわたしはいないと言ったら、取りに帰ってくれた。結局、キャンペーンで掃除機はめちゃめちゃ安くなったし、ふたりとも携帯代がぐんと安くなった。そう。営業は人を騙すものじゃない、本当にお客さんのためを思ってものを売ること、それだけ。でも、その最初のお客さんの警戒心をほぐして、うまく関係を構築していくことがとても大事だし、同時に難しい。

こうして、関係性の構築からまずは心をほぐして、相手の心に入りながら営業をしていくコツを掴んだ。あなたと今日話してよかった。あなたから買えてよかった。そんな言葉をお客さんから言われたときは本当にうれしかった。

どう動いたら、目上の幹部の人からどう思われるだろう、何をしたら自分たちへの評価に直結して繋がるだろうか、営業を経験した期間の最後らへんはそんなことを思いながら動けるようになった。(ちょっとずるい考え方だけどね)でも、努力の可視化、能力の可視化は社会において不可欠だなとも思ったし、意外と成績だけじゃない、人懐こさや、信頼できそうな雰囲気、自信のある雰囲気、頼れそうな雰囲気、そんなものも社会では必要なんだなって思った。逆に能力はあるのに、活躍の仕方が下手だなと、学生の立場ながら思う人もいた。

東京の現場は、なぜか過剰に評価してくれる人が多くてすごく働きやすかった。
何度も指名してくれたり、結果が出ていないのにまた来てねといってくれたり、蓋を開けたら自分は全然貢献できていなうのに、どうしてこうも指名してくれるんだろうと、不思議に思うこともあった。でもやっぱり、指名されたり、成績を評価されると自分はすごくやる気が出る。必要とされているような感覚は、すごく気持ちをポジティブにさせるし、会社のため、先輩のため、取引先のため、自分の数字が直接貢献していると感じられるときは、すごく嬉しくなる。
でも時には、真っ当な評価を受けられずに反発したいときもあった。営業の世界はグレーだ。とってもグレーだ。筋の通っていないまま、評価をもらえず突き落とされることだってある。
でもそれにうじうじ言っていたら、なにも変わらないということも学んだ。
数字をあやむやにされるなら、数字を横取りされそうになるなら、自分たちで毎日自分たち起因の数字を紙に起こして、一番上の立場の人間に直接手渡せばいいい。ちゃんと目に見える形にして、どうしたらちゃんと評価されるから、自分たちで考えて持っていくしかない。

現場での人間関係の構築は、すこし難しいときもあった。自分は薄っぺらいコミュニケーションが嫌いだから、あ、この人と仲良くなりたいなと思ったら結構話しかけちゃうタイプだけど、営業の現場ではいろんな派遣会社から人がきていて、言っていいこと、言わないほうがいいこと、関わらないほうがいいこと、自分がする行為によって会社にどんな影響がいくかまで、全部ちゃんと想像してやる必要があった。自分はたまにこういう思考が抜けるから、ひやっとしたときもあった。

でもやっぱり、どんな仕事も努力次第だと心から思う。本当に、できる人は、想像以上に、努力をしている。
営業は最後はセンスなのかもしれないけど、自分のできる最大限の努力をしたのかどうかって、すごく大事だと思う。携帯コーナーは人が余ってて、家電にいかないといけなくて成績がゼロだったっていうのはただの言い訳で、家電が売れない自分の力不足、家電の勉強をしていない自分の勉強不足、準備不足。ただそれだけ。
人に助けを求める前に、結果を嘆く前に、自分ができる最大限のことを本当にしたのか?ってきかれると、できていないときがわたしはあったし、逆に本当にやりきったと思うときは、結果が出なくてもそこまで落ち込まなかった。

もっと気の利く発言、行動ができたらいいのに、なんでできないんだろう。
そんな後悔をするときもたくさんあった。なんであの飲み会のとき、最初に動けなかったんだろう、どうして一番はじめにお礼のメッセージを送らなかったんだろう、どうして先に座ってしまったんだろう、気の使える子になりたいのに、いつもいろんな小さな後悔がまとわりついていった。飲み会は、私にとって一番大きな社会勉強の場所だった。

いろんな大人に出会った。
この人が現場にいると、すごくみんなが活き活きするなぁ、動きやすいなぁ。
この人の営業は本当にきれいで、お客さん想いで、信頼されている人だなぁ。
この人は本当に丁寧に教えてくれる人だなぁ。
この人は変にわたしの成果を取ろうとしてくるなぁ。かっこ悪い大人だなぁ。
この人はきっと誰よりも一番努力をしている人だなぁ。
この人は営業はできるけど、飲み会でのコミュニケーションはあまり上手じゃないなぁ。
この人はかっこいいのに、生き方がかっこよくないなぁ。
なんでこの大人たちは営業の仕事をしているんだろう?そう気になって何人かに聞いてみたときに、お金持ちになりたい、実はいま気に入ってなくてやめたいと思ってる、ちょうど知り合いに誘ってもらったから、将来起業したいから、いろんな理由と生き方を知った。
どんな人の理由も人それぞれで、人それぞれの形があるけど、やっぱりちゃんと思考して、考えて、人生に目的を持って、生きている大人が私にとって一番かっこいいな、ついていきたいなって思った。

いろんな大人に混じって、社会人のふりをして働いて、そんな、すごーく貴重な経験だった。

私が営業を続けたはじめの理由は、「営業」がしたかったんじゃなくて、「社会での常識」をちゃんと付けて出直したかったからだったけど、でもわたしはこの「営業」の考え方から、本当に大切なことを学んだ。
相手が何を欲しているのか?何をしたら相手は一番喜ぶのか?それはお客さんへものを売るときだけじゃない、上司とのやり取りでもそうだし、取引先の人とのやり取りもそうだ。やらされることをやるんじゃない。いま自分が何をしたら、この人が求めていることにベストに対応できるのか?そうやって想像して、コミュニケーションを取る。営業はコミュニケーションの核だと学んだ。営業は同時に聞き力だ。うまく説明するプレゼン力じゃない。なぜなら聞かないと相手の求めていることはわからないし、それを知らないままプレゼンをしていっても、不信感が募るばかりだ。それは日常のコミュニケーションでも全く同じことが言えると思う。だから営業のちからは、例え営業マンにならなくても、社会において働く力の基礎になるんだと思う。

そして当初の目的、本当に常識は身についたんだろうか?まだまだそんな気はしない。社会で生きるには、分かっていても、できないことばかりだ。でも、わからないと、指摘されないと、気づけないこともたくさんある。だから、失敗して、恥ずかしい思いをして、学んでいくしかない。

今、私はスウェーデンで留学していて、アルバイトも全くしていない、目上の人と関わることもない、そもそも英語だから敬語もない、英語に必死過ぎてコミュニケーションを円滑にする話の回し方なんて考えている暇もない、年下の女の子がグラスを全部まとめて片付ける、そんな文化もない、仕事力というものが頭から一旦離れた生活を送っている。
いまこうやって振り返ってみると、すごく別の世界にいたような気がする。

でも、いろんなことを考えながら仕事をした期間がとてもかけがえのない期間だったし、いまの学生生活もいいけれど、時に、はやくまた社会人に混じってはやく仕事がしたい、そう思うこともある。
日本の飲み会も恋しい。笑
と、ずーっと下書きに収まっていた営業のお仕事日記を、スウェーデンで簡潔させてみました。

まだまだスウェーデンにいるから、こんな仕事というものに向き合うのは少し先になると思うけど、でもいまは自分の生活を大切に。自分の長所、自分の悪い癖、そんな営業で学んだことたちを片隅に、また日本に帰ったときまで、大事に収めておこうと思います。   

そして最後に、こんな大切な経験をさせてくれた、寝る間を惜しんでいつも貴重なお話をたくさんしてくれた、他の人は指摘してくれないことをわたしのために伝えてくれた、わたしの悪い癖にとことん向き合ってくれた、沖縄でたくさん美味しいものを食べさせてくれた、わたしの尊敬する社長から頂いた恩を忘れず、感謝の気持ちをこれからも大切にしたいと思います。


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