優越感をプレゼント
誰をかも知る人にせむ高砂の
松も昔の友ならなくに
藤原興風『小倉百人一首』より
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人と対等でいたいと思う。
一方で、僕の周りの人は誰かを見下すことが多い。悪口が飛び交っている。
そんな環境に少なからず影響されている。
悪口が飛び交うのが当然かどうかは知らない。
それを「怖い」と思い始めたのはいつからだろう。
「見下されないように生きなきゃ」という焦燥感は、どこで生まれたのだろう。
「見下せるポイントが一個でもあると見る人は楽なんじゃないかな」
「見下されること自体をちょっとメタ的に見れたら、陰の英雄になれる」
だからそんな言葉を聞いてしまったら、頭から離れない。
「見下されている人」は、「見下している」人を安心させているのか。
「人の下にわざと見られるっていうのはすごくかっこいいと思う」
弱みを全部ぶつけて笑っていられるのはかっこいいのか。
虚勢を張って人と付き合わなくてもいいのか。
見下されるのが相手にとって悪くないなら、弱みを見せてしまう自分を大切にしたい。
それも含めて、対等でいられるのが一番いいな。
そうやって今年は自分を大切にしていけたらいい。
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