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寝台列車とキャビアとオーロラ

ドイツを東西に分断していたベルリンの壁が崩壊した頃、まだソ連と呼ばれていたロシアの北極圏へ行ったことがある。C.W.ニコルさんの北極紀行を読んでいたら、オーロラ越しに見る星の美しさについて綴られた一文があり、ああ、いいなあー、私も見てみたいなあー・・・・いや、見たいと思ったら見に行けばいいんだ、と。あまり有給を使わずにオーロラを観に行けるツアーとかないだろうか?と探してみたら、あった。

モスクワに到着したのはクリスマス・イブの早朝だった。
翌日、飛行機でレニングラード(現サンクトペテルブルク)へ移動。
そこから列車で26時間かけて北極圏の町ムルマンスクへ向かう。
ところが乗車前、駅員とガイドが口論を始めた。私たちの席がなかったのである。書類を見せながら何かまくし立てているガイドのナターシャさんに、
「我々はそんなことは聞いていない」
駅員は漫画に登場するKGBみたいな一点張りのセリフを述べたが、それでもこちらに落ち度はないわけで。結果、解決策として「車両を一両連結して席を増やす」ことになった。半分凍ったような車両が引っ張り出され、駅員がドアに手を掛けたが凍っていて開かない。どうするのだろうと見ていたら、マッチを擦り、ドアにかざして・・・・それで溶けるのか?(最後は屈強そうな男性が力ずくで開けたようだ)

列車はコンパートメントから成り、2人で一部屋を使う。さすがに中は暖房が効いてとても暖かく、座席にはぺったんこの小さな枕と古い手触りの毛布が置いてあった。室内の5か所に付いている照明は一つも点かない。暗い。この辺は午前11時頃、ようやくうっすら日が差したかと思いきや、3時間後には日が暮れる。あまりに暗い室内に、翌日、駅員がかちゃこちょいじって天井の照明だけは点くようにしてくれた(最初からそうして欲しかった)。食事は食堂車で取る。最初の一皿がシンプルなウフ・マヨで、ぱさりとした黒パンがテーブルに沢山あったことだけは今でも覚えている。

残った黒パンとバターを少し持って帰ろうと言い出したのは誰だったのか。そしてどういう経過からか、大阪から来た元薬剤師と言う男性が、モスクワで買い込んだキャビアを「食べて食べて」と気前よくぱっかんぱっかん開封し、提供してくれた。ならばと同室の女性と私とで黒パンをステーキナイフで切り、バターを塗り、キャビアをテーブルスプーンでがぱっとすくってはぽろぽろこぼれ落ちるまで黒パンに乗せ、簡単なカナッペのようなものをこさえて皆のコンパートメントへ届けた。イクラの旨味の濃縮感あるキャビアをぷちぷちと噛みしめつつ、今日、一生分のキャビアを食べたなと思った。ムルマンスク到着まであと20時間。
降りしきる雪が流れて行く様以外、窓の外に見えるものはほとんどない。

旅は2週間弱で終わった。さすが、バレエと美術館は素晴らしかった。
肝心のオーロラだが――
あまり見えなかった。暖冬で。
それでも夜の暗い海の上をぼんやり眺めていた時、突如、鮮やかなグリーンのベールの端がひら…と現れ、ゆたゆたと波打ち、翻り、すー…っと消えて行った。期待よりずっと小さく、オーロラのカーテン越しに瞬く星も見えなかったが、自分は確かにオーロラを見たのだ。真冬のロシア北極圏の空に。

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