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199X年9月 台風とすべての始まり

2021年も9月に突入した。
テレビには、有名になった役者が出ていた。思う事あって、あの年の9月1週目、ひどい台風が来た。 そこから繋がった一つの縁のお話、と匂わせて終わった記事を着地させる事にしました。ありがたい事に、今だにあの記事反応がぽちぽちある。先日、熱心なファンの方より、本人が同じエピソードを語っていたという事を教えていただきました。
どんな風に語っていたのか知りたくもあり、恥ずか怖い。

中野サンプラザ、2024年めどに解体されるらしい。東京に出てきてだいぶ経つし中野の町へも行きましたが、中野サンプラザ内 近辺へは行く機会が不思議となく今日まで来てしまった。年齢の10の位がまた変わってしまう前には、解体される前までには見ておきたい。

ヘッダーの画像は、公式サイトから借用いたしました。この記事には、この画角、この距離感の画像を、置かせてください。

少女の頃の私が、憧れと尊敬と、少しの恋心を持ったある男性。
その人が、中野サンプラザで夢への一歩を踏みだす日、その日は関東地方にひどい台風が近づいていました。
地方に住んでいた私は、陸路で行ける距離とはいえ行き帰りの交通機関が確保出来るか、万が一の際、足止めされた東京で”どうやって過ごせば良いのか”、そもそも、自宅から駅まで自転車で行けるのか と、当日の東京行きに二の足を踏んでいました。
荒天で行けない「しょうがないよね~」という、その程度だったのかもしれません。
絶対行った方が良い! そう引っ張り出したのは、生涯二度と会う事もないかもしれない、今は途切れてしまったけれど私にとって大事な唯一の親友。
(この話もいつか)

中野サンプラザに着いた頃は、台風が通り過ぎたのか近づいてる最中だったかもう思い出せませんが、傘は必要なかった記憶。とあるイベントのACT。それを見るのがこの日のたった一つの目的、その為だけにここに来ました。

イベントの中盤、その人のコーナーが始まると、休憩に出る人たちが席を立ち、最前列にいたグループも、快く私たちに席を貸してくださいました。

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ステージ上の人の名前がこの世に馳せるのは、もっと後です。
その彼に憧れと尊敬、少しの恋心を抱いてた私は、この日の事も手紙に書いて送っていました。ほぼ毎日書き溜めては、切手を貼って送っていました。こわい(笑)
手紙には些細な日常、思っている事悩んでいる事、技術を身に着けるため努力している事、それから感謝と、この日私はあなたのステージ観に行きます、という事を便せんに詰め込みました
(なのに、私は行かない選択をするところだった)。

>ステージ上の光の中、その人は最前列にすぐに気づいてくれました<

何年何十年経っても、あの時の音も笑顔も、あの空間も、言葉なき会話も、忘れません。

 因果な事に、私はその後、この人と近い世界まで夢をつかみに行くことになります。そして長らく、この光景が脳に沁みついて、もう二度と”あんな思い”したくはないのに、たくさん苦しい事も寂しいこともあったのに、繰り返し、あの光景を追い求めてしまっています。私の鼻は”効く”んです。

中野サンプラザ近くの植え込みで果ててたのは、そんな事を繰り返した何度目かの事です。

2024年で、あの建物がなくなるし、
そろそろ成仏させてあげたい。

全て現実の出来事だけれど、奇跡の連続は、夢だったと思う事にしようと思う。ステージを見たことも、何年後かに役者に拾われ20日間暮らした事も。両方、今の生活している私には手に負えない世界の話になってしまいました。
あの時同行した親友とは、もうたぶん死ぬまでの間二度と会う事もない。
それは、私は彼女に本当に感謝しているから。私は私で東京でがんばっています。
中野サンプラザにまつわる出来事、それにかかわった人たちの存在は、
私が人生踏み外さず、なんとかギリギリやってきてこれた防波堤です。

今年も9月に台風はやってくるのだろう。
ちなみに、新生活を始めるにあたり上京した日、8月最終週の天気も、台風でした。

※2021.09.12 追記
曲貼るなら、こっちだったねごめんな。

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