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総称して善意

他人に迷惑はかえてはいけない。馴染みのある言葉である。
 僕は幼少期から両親に他人に迷惑をかけてはいけないという言葉に加え、迷惑ばかりかけていると周りに誰もいなるよ、人に優しくしなさいと教えられ育ってきた。
 一方、私の兄は、他人に迷惑は〜は、同じだが君は強いんだ他人にやられたらやめてとはっきり言いなさい。と言われ育ってきた。
 同じ両親から生まれ、遺伝子レベルでも世界中で最も似ている兄と僕は生まれた時からベースとなる性格は異なっていた。

 兄が生まれ約30年、2年遅れながらにして僕が生まれた。2021年兄と大阪の夜を散歩したがら善意についての話をした。電車の中で目の前に席を譲ることが必要そうな人がいた場合どうするかというテーマであった。僕は譲る優先順位を決めている。
1.妊婦さん、幼い子を連れた家族
2.しんどそうな人
3.老人
基本的には1の場合は必ずと言っていいほど声をかけるようにしている。では、声をかける理由だが、おそらく3つほど理由があると思っている。
1.声をかけず見過ごした時の後ろめたさ
2.困っている人にはなるべく手を差し伸べたい
3.自己肯定感
言語化してみると,1,3は同じに思える。まとめると僕は行動を起こさなかった時に後々悔やんでしまい自身の感情を乱すことに繋がるのなら、初めから行動を起こし相手も自分もなるべくwin win な感情でいたい。ということである。
さて、そのような話をすると面白いことに兄も同じ理由で同じく行動をしているとのことであった。僕らの両親は同じように等しく育ててくれたていたようである。思い返せば、両親ともに困っている人にはすぐ声をかける姿を見ていたという背景も今の僕らに繋がっているのだろう。僕ら兄弟の行動の理由は100%他者への善意ではないが、自己と他者を思いやる気持ちあっての行動であり、総称して善意であると思っている。
 人に迷惑はかけてはならないけど、迷惑はかけつつ、かけられるものであるため困っいる人にすぐ手を差し伸べることができる積極的な道徳を今後も自然と行えるようにしたい。

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