全てを語るべきじゃないという話

 腐っても大学生なので一応授業を受けるんですけど、創作関係の講義でたまに出てくる「どこまで表現すべきか」みたいな話は誤解を生んでる気がするから嫌いなんですよね。

 どういうことかというと、基本的に書き手は読み手に対して最善を心掛けるべきであって、言わなきゃ分からない部分を理由なく伏せたりぼかしてみるみたいなのはただの怠慢に終わる可能性が高いのです。

 ではどうして大事な部分を伏せることと文学的な雰囲気が結びつくようになったのかという話になりますが、それは、本当に伝えたいことは言葉にしてしまわないほうがよりはっきりと伝わるからです。は?さっきと言ってること違うやん。
 ではなく、どうすれば物事はより伝わるのかを偉い人達が考え抜いた結果、重要なことほどはっきりと語らないほうがむしろよく伝わるらしいということを発見し、技法として確立したわけです。そして、これは技術的には概ね正しいわけですが、だからと言って小手先で真似して「はい高尚」というものではないと思うのです。

 要するに「ここは読者に考えさせよう」みたいな発想は少々ねじれていて、本来は分かる人にだけ分かればいいのではなく、できるだけ多くの人に深く理解してもらうことを突き詰めた結果その結論に達していないと意味が無いのです。なんか語りすぎちゃった気がするからちょっと削るか…みたいな動機で核心を消されると本当に意味が分からなくなるので、そんなことをするくらいなら自分の技術不足を悔いながら赤裸々にしたほうがよっぽどマシなのです。というか昔の偉い人も多分そうしている中で気が付いただけなのです。

 もちろん作者の意図を超えた世界も存在するのでそこは深読みで広がりますけど、普通に書く分には伝わると思うように書く以上のアプローチはないんじゃないのかっていうのが個人的な主張です。

 目的に対して尽くされた手法が、最終的に目的とは逆の結果を出力したパターンの文化って、時間の経過とともに順序が逆転して形骸化しやすい気がしてたまに虚しくなります。

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