さようならとありがとう

夫は出発していった。昨夜、「一年間お世話になりました」なんて笑って頭下げていた。結婚して40数年、はじめての別居だねと言っていた。

僕はきみと結婚しなかったら絶対こうはならなかった。退職してもすることがないつまらない毎日を送るぼんやりした老人になっていたと思う。きみから刺激を受けてすごく変わり出かけたり日々を楽しむいろいろを知ったしこうしてそれぞれ別の場所でそれぞれの趣味を生かして別個に生きるということは思いつかなかった。感謝している。

古い家を処分してここに夫婦で引っ越して一年。意外に楽しく過ごした。休日は一緒に過ごしよく外食もして夫は一か月に一度は数日を伊豆の家で過ごす。わたしも何回か同行した。伊豆の家は日当たりのよい二階の洋室をわたしの部屋としてくれた。ほとんど喧嘩もしなかった。かつてひどい諍いをして二人とも心身疲弊して傷ついた日々を忘れてはいない。いずれ別居すると思っているから仲良く暮らした一年だった。

先月、夫が退職した日には花のアレンジを渡した。嬉しそうだった。わたしもたまに入っていたパートを辞めたので二人で退職届を書いたりした。

そして先日、市役所へ転出届を出しに行くのに付き合った。夫が書類を書いている間ふしぎな気分にとらわられた。あ、ほんとに行くんだね、というイマサラの気分。取り返しのつかない一歩に進むようなふしぎな焦り。取り残されるような、ひとりぼっちが現実化して戸惑うような気分。

昨日は荷物の整理をしていた。案外いろいろ残していくのかと思っていたがキレイさっぱりすべて何も残さなかった。追い出されるーと笑っていたが寂しそうな感じもした。そう、ここはわたしの城。一生懸命探して入手したささやかなマンション。何年ここで暮らせるかはわからないので賃貸。本棚がたくさんある落ち着く場所。

本当に本当に一人になりたかった。じぶんはきっとワガママな人間なのだろう。勝手にやりたい。放っておいてほしい。だけどさびしさに胸がふさがれてその空洞を抱えきれずにそばにいてくれる人を求めつづけた。誰かのそばで心安らぐことができたら生活は単独でよい。そう思っていた。

とうとうそれが現実となる。これでよかったんだよね、と昨夜じぶんに問うていた。あれほどに待ちわびた日々が現実となる。少しの不安を抱えていこう。あと何年生きるのかわからない。ゆっくり楽しく生きればよい。

今朝、出発する夫の車を見送った。がんばってね、と手に触れた。わたしたちはハグもキスもしない夫婦。わたしが望まない。我慢を強いられてきた夫には気の毒だがそれでもニコニコして機嫌よく見せてくれるから有難い。今年は新型コロナウイルスという予想外の大流行で先行きが見えずに心配が大きい。明日どうなるか、誰もわからない。それでもこれで良しというやり方でそれぞれに生きていく。




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