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誰かの「死にたい夜」をなくすために

書くか書かざるかを永らく考えてきた内容ですが、自分の経験を元に誰かが救われることがあれば…と思い、勇気を出して書いてみることにします。

※ちなみに私は、今日の今は元気で、死にたい夜を迎えてはいません。ご安心ください!


私の死にたい夜の話


新卒でベンチャー企業に務め始めて1年後、うつの診断を受けました。ただ、小さな頃から「なんとなく影のある子」と言われ、また旅行やちょっとした贅沢が心から楽しめないタイプで、元々うつ傾向があったのではないかなと思います。

診断の後に休職し、その1年後に自殺未遂を謀りますが、生来のドジと母のおかげで死なずにすんでしまいました(笑)。

今日まで約13年間ほど通院を続け、薬を服用しています。服薬のため車の運転と飲酒を禁止されていますが、もともとどちらも苦手だったので、辛いとは思いません。むしろ断る理由があって嬉しいくらいです。

初めて薬を飲んだときは副作用に苦しみましたが、いま薬の影響でしんどいのは眠気くらいでしょうか。

とは言え、居眠り(薬・極度の疲れ・生理前のフルコンボ)のせいでバイトをクビになったこともありましたし、正社員の時も絶っ対に負けられない戦いの最中で2度ほど眠って激怒られしたことがあるので、笑い事ではないんですけどね。笑うしかないから笑うけど。あはは。

でも眠いなんてものは、甘えの最たるものと考える人が多い世の中です。8時間ジャンジャンバリバリお仕事ができて当然だという社会です。もう抗弁するのは止めました。

うつの初期は、食事がとれず体重は5×キロから39キロまで落ちました。体に力が入らず、体力もなくなり、本を読むことや軽い散歩もできませんでした。テレビの音がうるさく、夜は全く眠れませんでした。

すこしずつ回復し、「社会に復帰」しましたが、ヒステリックな先輩に怒鳴られて仕事に行けなくなったり、別の職場ではうつということを知った女性全員から無視をされ続けたりして、どの職場もあまり長く続きませんでした。

復帰してからも、病状がひどい時は毎晩「生きる意味などない」「なぜ生きていかなければならないのか」と泣きながら暮らしていました。

ある会社では「うつなどという中途半端な病気ではなくて、いっそ障がい者だったらよかったのにね、そしたらいろいろ優遇されるでしょう」と偉い方に言われ、二重三重に怒りと悲しみが湧いたことがありました(障がい者の方に対する冒とくです)。

結婚して独りぼっちの夜が減ると、死にたい夜は半年に1回程度に減りました。しかし離婚を決める前は、また毎日のように死ぬことを考えていました。

最近の死にたい夜は、1か月に1度くらい、心と体の疲れが重なってしまった時くらいです。何でもいいからお腹いっぱい食べてお風呂に入って眠ってしまうのがいいと聞いて以来、少しずつ自分自身でどうにかすることができるようになりました。

それでもまだなお、悲しくて辛くてひとりぼっちだと思えてきて、死がすぐ隣にまでやって来る日もあります。どうやったら迷惑をかけずに死ねるか、ググることもあります。


Rちゃんの死にたい夜の話


約10年前。私の状態がだいぶ良くなったころ、Rちゃんという友達ができました。彼女は重いうつで、カウンセリングも受けていました(カウンセリングは保険適用外のため、私は受けていません)。

Rちゃんは親との関係が良くなく、家を出て恋人と住んでいました。体調がすぐれないという彼に200万ほどお金を貸しているけれど、彼の散財癖が直らないことや、どこにも行き場がなく友達もほとんどいないことなどを話してくれました。ヘビースモーカーで、両腕にはたくさんのリストカットの跡がありました。

ある冬の日の深夜1時、もう寝ようとしていたところにRちゃんの携帯から電話が入ります。電話からは見知らぬ女性の声がしました。

「この携帯電話の持ち主が、この寒い中、薄着のままコインパーキングでうずくまっていた。声を掛けたら、包丁を手に、死にたいと泣いている。警察を呼んだが、家族にも連絡しようかと聞いたら、この女の子に『家族には連絡しても無駄だから、ここ(私の携帯電話)に電話して』と言われた。」と。

急いでタクシーを呼んで彼女が保護された交番に着くと、Rちゃんは私にしがみついて「死にたいのに死ねない、みんなが死なせてくれない」と泣きました。気持ちは痛い程分かりました。

そこから警察署に移動しました。警察の人には、「あなたたちの関係はただの友人には見えませんが…」と言われました。姉妹のようだったのか、それとも何か怪しいつながりがあるように見えたのか…。私には上手く答えられませんでした。

彼女と私は警察署で聴取を受けました。途中、Rちゃんが声を荒げたり泣いたりしたので、休憩をはさみながら行われ、終わったのは朝の5時ごろでした。

刑事さん(たぶん)から彼女は強制的に入院となると伝えられました。彼女は始終「もう帰らせて、死なせて」と泣き騒いでいたので、彼女に入院を察されぬよう、私は挨拶もできないまま別れました。

最後に警察の方に「あなたはご家族ではないので、申し訳ないけれど入院先については一切教えられません」と言われました。

後日、彼女の母親から連絡があり、会ってお礼がしたいと。おしゃれなホテルのレストランで会ったような気がします。彼女の母と名乗る女性が彼女のことを「全く理解不能な子」と言ったのを聞いて、目の前が真っ暗になったのを覚えています。

入院中の彼女から、一度だけ電話がありました。「連絡が制限されていて、電話ができなかった。あの時はありがとう。親が来て、怒られた。タバコが吸えないのがつらい…」そんな話をしたと思います。彼のことは言っていませんでした。

それ以降、彼女から連絡はありませんでした。私からも連絡はしませんでした。


誰かの死にたい夜には


自分の13年間を思い、またRちゃんとのことを思い出すにつけ、私は「誰かにとって『死にたい夜』が来てしまった時に他人にできることはほとんどない」、と思うようになりました。

私たちができることは、ただ話を聞き、「大丈夫だよ、私はあなたの味方だよ」と繰り返し言ってあげることです。落ち着くまで、肩を抱いて手を握っていてあげることです。

それ以外のアドバイスや説得は、却って本人を追い詰めるだけです。励ましのつもりの言葉も、この時ばかりはほとんどが刃になります。全ての死にたいと思う人は皆正常な状態ではなく、理屈で気持ちを落ち着かせることはできません。

しかし、一緒に住んでいない人が、(おそらく)深夜に話をゆっくり聞いてあげることができるでしょうか。手を握りに行ってあげることができるでしょうか。

死にたい人は、ちゃんと知っています。多くの人には明日も仕事や家庭という日常があり、それは自分の命よりも優先されるものであることを。自分からのSOSがきっと迷惑であろうということを。そして、こんなSOSをもらっても、みんな困るであろうということを。

身の振りかまわず駆けつけてくれる人などそうはいません。私自身は助けを求められたらそうしたいと思うけれど、Rちゃんのときは、同じうつ病患者で、私の調子がわりとよい時期で、その日は偶然寝ずに起きていたから対応できたにすぎないと思っています。したくてもできない状況の方が多いでしょう。

だから、うつの人は皆、SOSを拒否されることが怖くて、SOSを出すことを躊躇ってしまいます。勇気を出して発したSOSをやんわりとでも断られたら、本当に「終わり」なのです。そして、「朝が来ない夜はないけれども、その朝を待つことなく死を選」びます。

誰かが自死したときに、「誰にも相談できなかったのか」「誰か話を聞いてあげられなかったのか」という声を聴きます。「いのちの電話」にでもどこにでもかければよかったのに、と。

私もその通りだと思う一方、「そんなことを軽々しく言えるあなたこそが、その人の苦しみを見て見ぬふりした、無責任なひとりなのではないか」と、冷たい気持ちになることがあります。


死ぬことを決めてしまった人は、周囲にそれを察されないようにするでしょう。私を含め、私の周囲の自殺を考えた人・自殺してしまった人たちは、ほとんどがこっそりと準備を勧めていました。(バレれば止められるに決まっていますからね…)

もちろん衝動的に行為に至る場合もありますが、いずれにせよ周りには「突然の自殺」に見えるものてす。自殺を察知・予知して防ぐことなど、ほとんど無理だというのが私の考えです。


死にたい夜の来る前に


本当に自殺する人は、死ぬ前に「死にたい」「死んでやる」とは言わないと昔はよく言いました。しかし、下記の本では、実際に自殺を決行した人と事前の死に関する発言に、そうした相関はないと書かれています。

また、死にたい人が先の予定を入れるはずがないということもよく推理小説や漫画で言われていますが、それも一概に決めつけることはできないと思います。私はうつの診断前、当時「死にたくなっても思いとどまれるように」と、むしろスケジュールを多めに入れるようにしていました。

それでも、死にたい夜は突然やってきます。


では、誰かの死にたい夜に他人ができることがほとんどないとすれば、どうすれば自殺を防げるのでしょうか。

結論から言えば、結局のところ私たちがどうにかできるのは、「死にたいと思わせるきっかけとなる『うつ』にさせない社会づくり」でしかないと思います。

私が最も救われたのは、下園壮太さんの本でした。ここに「うつという病気や、気分の落ち込みから回復する万能の魔法はない。常に探し続けなければならない」というような言葉がありました。

これには残念に思う一方で「ああ、何度も『このやり方ではうつは治らなかった、まただめだった、自分はなんてダメな奴なんだ』と絶望してきたけれど、それは普通だったんだ」と、思うことができたのです。

うつの人に対して周囲が間接的にできることには、

・傾聴スキルを持つ

・普段から気にかける

などが挙げられると思いますが、やはりこれも万能ではありません。

前述したとおり、「死にたい夜」はもちろん、人が「うつ」になった時点で、周囲ができることは限られています。また、お医者さんでも「うつを治す」ことはできません。患者の話を聞いて、症状を抑える薬を出すことしかできません。

ですから、その手前、「うつ」にさせないというところでしか、他者ができることはないのではないのかと思います。


そのナイフをしまってください


健康な人間が、健康でない状態を想像するのは大変に難しいことだと思います。私自身うつになる前は基本的に大病を患うこともなく元気100%で生きてきたので、うつはもちろん、頭痛・腹痛に悩まれている人の気持ちでさえ、少しも分かりませんでした。

でも、どうか皆さん、うつへの理解を深めてください。ハラスメントや長時間労働などの、うつを引き起こしやすい環境を改善してください。仕事の面だけではありません、不寛容な社会、産後うつ、いじめ…。認知症や発達障害のある方も、うつになりやすいとされます。

令和元年の自殺者数は20,169人でした。もちろん、うつになった人が全て死のうとしているわけではないと思います。しかし、平成29年の気分[感情]障害(双極性障害を含む)うつ病などの患者数は127.6万人、日本人のうつ病の生涯有病率(これまでにうつ病を経験した者の割合)は3~7%となっています(厚生労働省HP参照)。

あなたもあなたの大切な人も、いつうつになり、死に直面する立場となるかは分かりません。うつへの無関心・無理解が、うつ人口を増やします。うつを知り、うつを生む芽を摘んでください。見て見ぬふりをしないでください。「仕事だからしょうがない」「学校とはそういう場所だ」「嫌なこと・嫌な奴は、どこにいったっているに決まってる、我慢しろ」と、苦しい状況を許さないでください。組織の環境に配慮し、周囲の様子に気を付け、そして自己のケアにも努めてください。

つらい思いをする人が、一人でも減るように行動してください。私も頑張りますから。


最後に、これだけ聞いてくれ


全ての人に「私のうつの症状」について理解してほしいとは思っていません。けれど、うつというものについて全く知らない(理解を示さない)人からの言葉には何度も傷つき、それがきっかけで何度も「死にたい夜」を迎えました。

「うつって風邪みたいなもんなんでしょ」(誰でもかかるという意味ではそうだけど、すぐ治るということではないよ)

「心の病でしょ、薬なんかやめた方がいいよ」(脳の病気です。薬を止めろって、糖尿病の方や透析患者の方にもそう言えますか?)

「普通に見えるけどね」(そりゃあ人前では元気に振舞おうと努めているからね)

「もっと重い病気じゃなくて良かったね」(そうかな、今日にも死ぬ可能性のある病気だけどな)

「でもうつになったから、人に優しくなれることもあるでしょ?」(感動ポルノやめてくれ。そうだとしても、それでうつになったことは受け入れられないよ)

「夜早く寝ないから昼間眠いんでしょ?昼間ちゃんと動いてる?規則正しい生活を送りなさいよ。言い訳してても治んないよ」(貴重なご意見ありがとございまーす)

分かったら二度と言うなよ!!!!!


おわり。

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