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火葬の煙に見ゆる影

こんばんは。週末金曜日の今日も一日仕事お疲れ様でした。こちらは時折冬らしくない雨が降ったり、太陽が雲の隙間から姿を覗かせたりして目まぐるしい天気でした。

決して良い天気とは言えない空を見上げ親と話してた事をふと思い出し、先日ブログに書いた話を補足してこちらに書き直そうと思います。こんなドンヨリとした季節に何をわざわざ・・・と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、冬の鈍色に浮かぶ煙をみたからこそ書くべきものだと思っています。

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・・・先日、職場の周りを散歩する中で黒い煙が昇るのを見かけた。職場の近くにある火葬場からだ。そこは私の祖父母も叔父も荼毘に付された場所。

その煙突から立ち上る煙を見ながら、ふと何十年も前のことを思い出した。

そう、あれは4歳で年中の頃だ。確か幼稚園を休んでた記憶がある。さすがに最初から最後まで葬儀の全てを覚えてはいないが、断片的に、そして強烈な記憶の中には周りの木々の色や線香の匂い、親や親戚が話す声さえもそのままだ。何十年経っても褪せることのない風景。。。

私の記憶の一番最初の死を目の当たりにした日。いつも遊びに行くと可愛がってくれた祖父は布団の中だ。文字通り牛乳瓶の底のようなメガネをしてた祖父がそのメガネを枕元に置き、今日は何故か寝ている。

まだ幼い私は「亡くなった」という意味さえ知らないから、寝ている祖父に近寄って触ろうとした。

「だめだよ!!」

記憶では知らない年配の女性に言われた気がする。当然私は何がだめなのかは理解していない。突然連れてこられて話も何も聞かされていなかったはずだ。

「もうじいちゃんは死んじゃったんだからぁ、触ってだめだぁー」

死んだという言葉の意味を私はその時理解出来たのだろうか?薄っすらと覚えてるのはその女性から怒られたこと、怖い顔をしてたから言葉の意味は解らなかったが「怒られるから触らない」と判断したことだけ。

夜になると和尚さんがお経を上げに来た。私は仏教系の幼稚園だったので和尚さんを見るのは日常茶飯事だ。園長先生がいつもお堂でお経を唱える姿やその身なりを当たり前のように見ていたから、その和尚さんが唱えたお経に興味津々だった。これは父親の影響が大きい。寺社仏閣建築もこなした大工だったので家の中にはいろんな宗派の仏教関係の書籍が多数あった。父親自体もたまにお経を唱えることもあったからか、和尚さんの唱えるお経に耳を傾けている。

お経の意味は解らないけど、幼稚園でいつも仏様の話やお釈迦様のことを聞いてると、自然とそうなるのだろうか???お経を聞いて何となく、「人が死んだということはこういうことだ」とはっきり理解したのを覚えている。だから祖父は寝てるんだ、白いの着てるんだ、和尚さんがお経を上げてるんだ、だから死んだんだ(ちょっとニュアンス的に違うけど)。。。

その後夜半だったこともあり、寝ずの番をしてる親戚の姿を見ながら眠りについた。

翌朝は朝早くから近所の人が大勢家の中をうろうろしてる。皆大忙しで子供達は別部屋に追いやられ、10時の出棺まで締め出しをくらってた。その後和尚さんが来て、お経を上げ出棺する。

車中、叔母や母が言う。

「今日でよかったな~でなかったらまた時間延びるっけもんね」

私はそれを意味も解らず聞いている。

初めて来たその場所が何をするところなのかは解らなかった。だから年端もいかない従姉弟達と皆広いもんだから遊んだり騒いだりで親に叱られた。最初はみんな神妙な面持ちでいたけれど、お棺が「あの」中に入ってから暫くすると退屈で我慢出来なくなってくる。待合室から外へ出て、他の待ってる家族の子供達と階段で鬼ごっこもした。

しばらくすると母と叔母達が降りてきた。見たいものがあるんだ、と下へ行くので私達もついて行く。

父親がもうその場所で上を見上げながらタバコを吸っていた。煙突から真っ黒い煙がボウボウと立ち、空へ昇ってゆく。何かが燃えて煙が出てるんだ。。。

「あれはじいちゃんだよ。ああやって空さ還ったんだ。よぉっく見ときな。もうじいちゃんはいないんだから。。。」

従姉弟達は何も感じなかったのか、もうそこにはいなかった。だけど私は何故か、その場を離れずに父母叔母達とその煙を見ていた。そして無意識にその煙に向けて手を合わせ、「南無阿弥陀仏」と唱えていた・・・そうだ。

唱えていた言葉を私はもう覚えていない。だけど手を合わせて何かを囁いたのだけは覚えている。父母は思い出すといつもこの時の私の事を今でも語って聞かせる。弟2人も同じ幼稚園に入ったが、その後葬儀に立ち合うことがあっても一切そんな事はしなかったそうだ。

あんなことをしたのは私以外誰もいないと今も言う。

そんな話があるからか、私はその情景を忘れずたまに思い出しては祖父母や叔父の事を考える。

そしてあの昇っていった黒い煙は無色透明な空に溶け、今もまだその辺を漂っているんだと思っている。祖父母も叔父も、はたまた病院や職場で一緒だったあの人だって、きっと皆んなはそこから消えて無くなったと思ってるかも知れないけれど「くなったから無くなった」のではなくて無色透明になって今も空気中に漂っているんだ。

だから私は今も、祖父母や叔父を身近に感じることが出来るのだ。。。

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