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日記、ジジババの死を思う

身近な人間の死を未だに経験したことがない。

友人や知人が死んでいないのはたまたまそうなっているというだけだが、身近な老人ども(主に祖父母)がみな謎に元気なのが一番大きい。
私が参列すべき身内の葬式が全然発生しないのだ。
正直私には、彼らが生命活動を停止するビジョンが全く見えていない。

祖父母たちは90超えても全員私より記憶力がよく、骨も歯も丈夫、飯もよく食い、よく眠る。体もよく動く。ついでに声も私よりでかいし、私よりもよく喋る。それは関係ないか。
祖父母以外の親族まで範囲を広げても、若死にする親族を見たことがない。ちなみに100歳超えた親族は今まで何人かいたらしい。すごい。

彼らの生命力、精神力、胆力は計り知れないものがある。
彼らの血が入っている私も体はたぶん丈夫なんだが、あの野性味にはZ世代は勝てない。彼らより私の方が先に死ぬんじゃないかとすら思う。

そんな元気な老人たちも、死ぬのはやはり怖いらしい。ちょっと不調を感じるとすぐ病院に行っているし、風邪を引き肺炎を起こすことを非常に恐れている。肺炎になっても全然死ななさそうだが。

死を怖がりつつ、死んだあとのことを考えていろいろ準備している様子もよく見かける。皆しっかり者なのだ。

よく、わたしは彼らがいざ死んだら悲しいだろうか、と考える。
正直あまり悲しくないと思う。

だってあの様子を見ているとどうせ大往生だし、なんかの病気でコロッと死んだとしても「歳だったからね」で済むだろう。たとえ何かの事故だったとしても「まあでも、歳だったからね」で済みそうだ。

それで済みそうなくらい、みんなとても一生懸命生きている。
だから悲しくないと思う。

こっちはこっちでいつ彼らがいなくなってもいいようにと準備をしてきたのに、5年経っても10年経ってもまだびっくりするほど元気に生きているので、そういう意味でもそんなに悲しくならないと思う。
「あんなに元気な人でも、やっぱり最後は死ぬんだなあ」って思うだけじゃないだろうか。

ただ如何せん「本番」をまだ経験していないので、
いざ彼らの葬式に出るまでは、結局自分が最終的にどう感じるのかは分からない。

未だ死を知らないというのは、稀有なことだ。
無論死を知れば死にたくなくなるわけではないだろうが、おそらく自分の中の何かが変わるのだろう。

とりあえず、ジジババには大往生目指して長生きしていただきたい。今まで頑張ってきたんだからたぶん大丈夫だろう。ファイト。





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