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「みんな〇ね」と赤十字社への寄付の両立

わたしがその両立をしている張本人だ。
妙な話である。


定期的な寄付を始めた経緯から思い出してみよう。

そうだった、わたしは献血ができないのだ。

まず、メンヘラなので向精神薬を服用している。
ついでに言うと抗不安薬も服用している。
そうでなくても頭痛持ちなので、鎮痛剤が作用してる時間がかなり長い。

向精神薬を飲んでいる場合は3日以上、抗不安薬や鎮痛剤については1日以上の断薬が必要らしい。
って日本赤十字社のチャットボットが言ってた。

↑これ    

抗不安薬や鎮痛剤はさておき、向精神薬というのは継続して服用することを前提に作られた薬なので、勝手に断薬するととんでもねえ離脱症状が出る。わりと断薬した次の日くらいからちゃんと出る。

何度か己の怠慢で薬を切らし、意図せず断薬状態に入ったことがあるが、なかなかすごい。
汗が止まらず、呂律も回らず、体はガタガタと震え、死ぬことしか考えられなくなり、食べられず眠れず、なんかもう全然人の形を保てない。

そこまでの思いをして断薬して献血する根気は、正直ない。
てか断薬したら普通に医者に怒られるし。
わたしにはわたし自身が守るべきクソみてえな生活だってあるわけだ。
そっちを疎かにはできない。

じゃあ血を提供できない代わりにボランティアに行く気はありますか?と問われると、正直ない。
ろくでなしすぎる。

言い訳させていただくと、わたしにはわたし自身が守るべきクソみてえな生活がある(二度目)。
薬の力で人の形を保っているような人間に、ボランティアに割ける気力と体力はない。
そんなとこに割くくらいだったらもっと仕事しろという話になる。
なので無理である。定年退職後にでもやろうかしら。

血も肉体も提供できないくせに、善行は積みたくて仕方がない。どうしようかしら。
したら金で解決するべ!
ということで、毎月定額、赤十字社に寄付をすることにした。
だいたいそんな経緯である。

わたしはたまに、いやかなり頻繁に、というか基本的に「みんな〇ねばいいのにナ〜」と思っているわりに、見知らぬ誰かの役には立ちたい。
傲慢である。

困っている同族を助けるというのは、なんとなく人間に課せられた重要な役割のひとつだと感じているのだ。
自分が死にてえとかあいつが憎いとかそういうのは関係なしに、いったん人として生まれたならば、他の人間を助けなければならない。
そうしないとなんかウズウズする。居心地が悪い。無理すぎる。そんな感じだ。
人間は社会的な動物なので、これは本能なのかもしれない。

わたし、さっさと死にてえんだよな〜〜。
てか人間ってもう普通にダメじゃん。全員〇ねばいいのにな。
とかなんとか考えてる間に、毎月赤十字社から寄付金を引き落とされている。
なにかがおかしい気がする。

寄付していることについて後悔は一切ない。むしろ今月も役に立てたな、と嬉しくなる。
でも同時に複雑な気持ちになる。
ちょこちょこ届く赤十字社の会報を読みながら、
わたしマジで何してんだろ、って思ってる。

ずっとずっと思ってるよ。寄付始めてからずっと。

人間ってほんと変な生き物だよね。
つーわけで変な生き物こと人間のみんな!
寄付をしよう!


はい、おわりおわり。オチなんかねえよ。




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