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日記、好きなもの① 合成音声音楽

合成音声音楽というのは、一般にボカロ曲と呼ばれがちな、VOCALOIDとかそれに類する合成音声ソフトを使った曲のことである。千本桜とか有名だよね。

わたしはああいった楽曲の数々と、それを生み出しているファンダムや文化のガチ勢である。要するに、ボカロ曲が大好きってことだ。

あまりにも大好きなので、合成音声音楽周りの文化を学生時代の研究主題に据えていた。自分が楽しかっただけで、世の中の役には何にも立っていない研究だった。楽しかった。
世の中にはそういうタイプのガチ勢もいるのだ。キショいね。

さて合成音声音楽を聞くこと、これは10年来の趣味なので、ライフワークと言って差し支えない。呼吸や食事と同じものだ。

ニコニコ動画の新曲ランキングを漁っては「またすごいクリエイターが出てきたぞ」と歓喜し、好きなボカロP(プロデューサー)の新譜が出れば歓喜し、新しい合成音声ソフトが登場するとさらに歓喜し、ボカロPの出演するDJイベントを逐一チェックし、イベントに行けば踊り、コールをする。

合成音声音楽への愛は、ほんとうにほんとうに深い。わたしは飽き性だが、これだけは飽きたことが一度もない。ライフワークに飽きるもクソもない。

ちょっと前の話だが、なんやかんやありまくり、大鬱に襲われて外出先で動けなくなったことがあった。数日何も食べられずフラフラで、根気も生気も使い果たして、もうどーでもいいやーーーと思って、誰もいないしいいかと思って、駅のホームのちょうど陽の当たるところに寝転んでしまった。
小春日和の心地いい日だった。
今考えると誰もいないわけがなかったので、駅にいた方々にはちょっと驚かれたかもしれない。

そんな時でも、いやそんな時にこそ、イヤホンつけて大好きなボカロ曲を延々とリピートしていた。陽に当たりながら泣いていた。
聞いてるうちに体が動くようになり、なんとか帰ってこれた。帰り道でもずっと流してた。めちゃくちゃ泣きながら、大好きな大好きな曲を流してた。

あのときあの曲を聞いてなくてもどうせ死ななかっただろうけど、でも音楽に救われるってこういうことだったのかあ、と思った。それなら、合成音声音楽は私の命と同じくらい価値があると思った。それがないと、おそらく人間らしく生きることは不可能だから。

中学・高校・大学時代の青春をすべて合成音声音楽に使い果たしたから、たぶんこれからも何度でも合成音声音楽に命を救われると思う。
幸せなことに大好きな曲が死ぬほどたくさんあるので、これ聞けなくなるのは嫌だなあと繰り返し思うのだ。どれだけ死にたくなっても、何度も何度も思うのである。
大好きな愛してる曲がこんなにたくさんあるくせに、死んでしまうわけにはいかないな、どれだけ辛くても!死にたくても生きる価値がある!と思うのだ。何度も何度も。

最近具合悪くてイベント行けてないが、また行きたいなあ。合成音声音楽は私の命だからな。



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