日記、なんもない
「やり残した」と思っていたことが、実はなにも無くなっているんじゃないかと感じている。
自分が働く(金を生産する)ことと生活をすること以外にやるべきことって、実は何もないんじゃないかと気づいている。
(たとえば楽しんだり悲しんだり怒ったり考えたりとか、そういうことだ)
コロナの後遺症なのでそのうち治るのかもしれないが、ついこの前まで囚われていた「人としてこうありたい」みたいな強い自意識を、わたしは忘れてしまっている。
肉の筒のままでいい。単純なことだけを考えて、そのまま死んでいけばいいと思う。
今なら永遠の命だって願えそうだ。肉の筒としての永遠。あるいは瞬時の消滅だって願える。人生にまつわる未練と葛藤を忘れてしまった。生きることが苦しくて辛かったことも全部忘れてやがるの。いい薬かな。
不思議な感じだ。あんなに死にたかったのに。別に今も死にたいけど、感情としては随分あっさりしている。夢で見たのをうっすら覚えているような感じ。いまは私の隣ではなく、私の夢の中に、「死にたい」がいる。
療養中なのでそりゃそうという感じだが、私は今、寝ること、食べることと起きること。排泄すること。それくらいしかしていない。
これからここに「働く」が入る。
働いて、寝て、食って、起きて、排泄して、その繰り返しを生活と呼ぶ。それは今の私にとって苦痛になるかしら。苦痛を感じる脳みそが、今はないんじゃないかしら。
今は喜怒哀楽を受容するだけの脳みそを失っている。それでいい。楽しくも辛くもない。起きると一日がはじまる。寝る時に一日が終わる。
それだけだ。
やだな、なんか楽しいことって結構色々あったはずなのに、今何も思い出せない。脳の血流が足りてないんだ。コロナの後遺症にそういうのがあるって聞いたんだ。ブレインフォグ。
いやだな。今まで散々理屈を捏ねて生きる理由を探してきたのに、それを全部忘れたんだよなわたし。なんだったっけ。全部忘れたよ。
でも忘れてしまったあとの方が、「ただ、生きる」ということに関してはスムーズにできるのかも。邪魔がないから。なにしたって恥も感じないな。楽だ。楽々。精神科の薬を使わなくても生きていけるようになるかも。医療費節約できてラッキーね。
明日目が覚めなければいい。覚めても別にいいけどね。
どっちでもいいよ。やりたいことなんてないし。
なんもない。からっぽからっぽ。
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