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生活は人の数だけあるもんな

ついつい自分よがりに考えがちだけど、あの人にもそこの人にも生活がある。住んでる家、ご飯、着てるもの、趣味、家族構成、どんな人が好きで?どんな人が嫌いなの?

全部知る気にならないし、気の合う人を見つけるにはこの歳になるとある程度の時間とある程度の壁を取っ払ってなおかつ利害関係を排除しないと無理だけど。

関係性が、こんなにも大切なのか。そして新しい関係性を作ることがこんなにも難しいのか。

今日は17時過ぎに移動して東京で行われた雲母書房さんのナイトセミナーのお手伝い。

人間学的認知症介護入門
三好先生のセミナーです。

まず、特筆すべきはホワイトボードに【植】の文字があること。そうなんです。

4月から始まる三好先生の生活リハビリ講座のダイジェスト版の内容のセミナーで、あの植賀寿夫さんのことを毎回話します。2時間しかないセミナーの中で、わざわざ。三好先生が。

植さんについて話すんです。すごくないですか?認知症の方への対応の見本みたいな例として…。すごくないですか?

おっとそれはどうでもいいとして…。

認知症は治らない。むしろ神様がくれたプレゼントではないかとさえ三好さんは言います。

小さい頃、死ぬことがとても怖かった
たぶん、いまより何十倍怖かった。
ノストラダムスの大予言のテレビ番組をみて母に
「なんで人は死ぬの?」と聞いて
「そういうものなのよ、あんたの前に私は死ぬし、そういうものよ」と言われて
「このクソババァ、そういうことじゃねーんだよ」と思ってた自分もいまなら少し母の言ってることがわかります。

なぜなら歳をとったから。鈍感になったから。
女性を知って少し、働き始めて少し、飼ってたゴールデンレトリバーが死んで少し、海外旅行へいって少し、起業してみて少し。

いまでも500歳くらいまで生きたいとかバカみたいには思ってるけど。

自分はいつ死んでもいいともう思ってる人もいるし、死ぬ瞬間まで死ぬのが怖い人もいるだろう。

だから認知症がある。
忘れていく。だから死ねる。いまんところ全員死ぬから。認知症はプレゼント。

ああ、いいセミナーだった。何度聞いても心に響くところが違うのは素敵な小説を読み返すように自分も変わっていくからだろう。

うちの義父はどのようにボケるだろう。

花火職人として人生の大半を過ごしてきた人だ。
猟銃もやってたから死へはさっぱりしてるのかもしれない。
寡黙であまり人とのつながりを求めない。

ちょっと楽しみで少しまだ不安だったりする。

明日からキルギスで生活してくださいはすっげー困るし(言葉通じないし、そもそもどこか知らないし)明日から青森で生活してくださいも困る(友達いないし、雪装備そんなに持ってないし)

30代の俺が環境に左右されて不安になったり辛かったりするので。なのでできるだけ自宅で看たいな。もちろん、施設でも新しいことは待ってるんだろうけど。

生活は人の数だけ。揃えるのはしんどいもんね。

三好さんの遺言セミナー(本人談)

今年も聞けるのが嬉しい。今年は(東京だけだけど)ナイトセミナーでやってくれるのが嬉しい。

という話でした。

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