【牡羊座の満月】マグカップが割れた日
こんばんは。
遠足のお弁当作りのために明日は早起きしないと!と思ってしまったからなのか?
昨夜は目が冴えて眠れず、ようやく眠ったのは4時半すぎだったようだ。ドン引き。
そうして眠い目を擦りながら何とかお弁当作って娘を送り出し、洗濯機を回していたら、リビングからバリーンと嫌な音がした。
息子はソファに座ったまま固まっていた。
1歳3ヶ月なりに悪さをした自覚があったのだろう。
リビングの床に敷き詰めたクッションマットの上で、マグカップが粉々に割れていた。
現場を目撃したわけではないが状況から言って息子がやったのだろう。
私も一瞬だけ固まった。
そこで粉々になっていたのは思い入れのあるマグカップだったからだ。
でも。
それより、早く片付けないと息子が怪我をしてしまう。幸いにも息子はソファに座っていたから飛び散った破片が当たることもなく怪我はなかった。
すぐに破片を拾い集めて紙袋に入れながら、正直こんなにバラバラに割れるもの?と驚いていた。
なぜなら彼が食器やマグカップを落とすのは割と日常茶飯事。だけど厚みのあるクッションマットのおかげで一度たりとも割れた試しが無かったからだ。
今日は当たりどころが悪かったのか?
夫に掃除機をかけてもらい、コロコロもかけておそらく細かな破片も無くなったところで、ようやく紙袋の中を見ることができた。
このマグカップは2010年の秋ちょうど今頃、たまプラーザのアフタヌーンティーで買ったものだった。
当日の私は言語聴覚士を目指す大学3年生。
横浜市内の病院で6週間の臨床実習の真っ只中だった。
田舎者の私は当時キラキラした大人に憧れていた。実習中に何してるんだと思われそうだが、私は毎週末バスに乗って駅ビルに出かけていた。
おしゃれなケーキを食べたり実習先の先生が教えてくれたマカロンを買って食べたり。駅ビルまで息抜きに出かけるひとときが実習で疲れた心を癒してくれていた。
横浜にいた思い出に私は可愛いマグカップが欲しかった。見ると癒されて元気が貰えるような心の支えになるようなものを探していた。
そして出逢えたのがアフタヌーンティーの
"shall we have a break?"と書かれたマグカップだった。
蓋のてっぺんにハート型💚の持ち手がついていて
取っ手もくすんだ緑色。
21歳の私の一目惚れだった。
実習が終わったら当時住んでいた広島のアパートに連れて帰り、国家試験に向けて勉強していた時も心の支えだった。
そして大学を卒業して地元九州で就職。
新社会人で一人暮らししていた寮でも、
同棲して新婚生活を送ったアパートでも、
子どもが産まれて移り住んだ今の家でも
ずっとずっと使い続けてきた。
引越しのタイミングで何度か食器の断捨離をしてきたが、そのドラフト会議(笑)でも「これは実習中に横浜で買った思い入れのあるものだから」と必ず選抜入りしていた。今数えると丸14年一緒に時を過ごしてきたようだ。
そんなマグカップが割れてしまっている。
粉々に割れてしまっているというのに。
悲しい気持ちが込み上げなかった自分に戸惑った。
息子に怪我が無くて良かった。
それだけだった。
今、丁寧に当時を振り返ってみて、やはり寂しさはあるが、もうどうにも修復できないぐらいバラバラになったマグカップを見て、何故か吹っ切れたような気持ちにもなった。
買った当時はもちろん大切にしていた。マグカップに紅茶を淹れて、お菓子をわざわざ皿に移したりして特別な時間を過ごしたり勉強の合間に可愛いマグカップでお茶を飲んで癒されたり元気を貰えていたはずだ。
ただ、最近はどうだったかというと…
今思えば、飲み物を飲む時にちょうどあるから使う、ぐらいな感覚になっていた。
今朝だって娘のコップが流しにあるから代わりに使ったぐらい、大切に出来ていなかった。
35歳の私はもう14年前ほどときめいてはいなかったと思う。
でも「実習中に買った思い入れのあるものだ」と言い聞かせて、ある意味そのことに執着していたのだろう。
それが満月の今日、思いがけない形で手放すことになってしまった。
何だか吹っ切れている。
あんなに大事だと思っていたのに、14年経って想いが変わってしまったことに気づきたくなかったというか認めるのが怖かったのかもしれない。
執着を手放すということを身をもって学んだ日でした。
今日は牡羊座の満月🌕
大好きな田宮陽子さんのブログを引用します。
おやすみなさい🌙💤