本物の痛みを感じるべきときに、おれは肝心の感覚を押し殺してしまった
最近忙しくて文章を書く時間が無い。悔しい。
一日私だけ30時間くらいあればいいのに。
本を読みたい、お金を稼ぎたい、成長につながる何かを渇望しているものの
私は今停滞しているようにも思う。
今月は色々なことをしていた。
コンプレックスを無くすべく、大金を叩いてそれを無くしてみたり。(それに関してはやってよかった、とても生きやすくなった)
生きづらい思考の癖を直そうとしてとしてカウンセリングに受けてみたりした。
生きづらいなら、改善するために行動する方が効率がよい。一人では出来ないことを二人で、もしくは複数人の力を借りた方が可能性が上がると考えた。
これは自分への投資なのだ。
結果、自分の人生をカウンセラーに上手く伝えるための構成を検討している作業が人生の自伝を書いてるように感じられ、とても楽しかった。
私はカウンセリングの利用方法をちょっと間違えてるかもしれないね。
楽しむためのものじゃないって、カウンセリング。
ま、いっか。
久しぶりに自分の人生を立ち返り、冷静に話していく
話していると思うけど、私って割と克服していない??とも思う
カウンセラーに何回も言われたのはこの言葉だ。
「貴女はとても生命力が高い。貴女はきちんと自分の気持ちを分かっているんだね。そしてどんな困難にも立ち向かってきたんだねぇ。素晴らしい。」
褒められるの嬉しいな~~私もそう思う~
なんて心で考えながら
約2時間話をした。
長すぎて正直何を言われたか覚えていないんだけど
生きづらさの根本が治るとは思わなかったけど
居心地は悪くなかったな。
最後にカウンセラーに言われたのは、
「貴女はグループカウンセリングで様々な人と会話をしてほしい。
そして、カウンセラーとして勉強してみるのも楽しいんじゃないかしら。
私は貴女と初めて話したけど、とても楽しかった。80分のカウンセリングのはずが、気が付いたら120分経ってるんですもの。」
えー?カウンセラーだから流石にお世辞得意っすね!そんな嬉しい言葉もらったらもっと延長しちゃおうかな~(ないよ)
そのカウンセラーの人は、元々自身も心を病んでいたそうだ。
その上で、治療をしたくて沢山の勉強を行い、気が付いたら人の縁が繋がって40年以上もカウンセラーとして仕事をしているというのだ。
精神科医とはまた違うと思うけど、カウンセラーというのは自身の闇を知っている人が多いのかも知れないなぁ。
「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」
の逆バージョンということか。
もしくは
「人より壊れやすい心に生まれついた人間は、それでも生きていくだけの強さも同時に生まれ持っているもんなんだよ。」
ということか。
今回の題名にした言葉は、「女のいない男たち」のある短編に出てきたセリフである。
やはり村上春樹は面白い。
本も音楽も良い。心の潤いになる。
次は何を読もうか。
結局、正しい時に痛みを感じないと、その傷は炎症を起こし、膿が広がり、治療にかかるコストが膨大になる。
もしかしたら死に追いやられるかもしれない。
感覚を押し殺すのは一時しのぎでしかない。
押し殺しても良い、その後、きちんと自分の痛みを癒すしか完治する方法はない。
根本を変えるのは人の力じゃない。
自分の力だ。
他人は自分を直すための便利なツールを教えてくれるだけにすぎない。
それを使用するのは自分しかいないのだ。