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あなたと表参道

小説: 星 七菜子
主題歌「あなたと表参道」

朝、仕事場に着いてデスクに座るより先に、
「今日、デートですか?」
と二つ下の後輩に茶化された。

「バレた?」

「いいですよね〜、麗衣さんの彼氏さんって、今度新しく提携した会社の営業さんだって、聞きましたよ〜。イケメンさんなんですよね?」
「相変わらず情報早いなぁ。あ、でも、彼氏っていうのは違うわよ。まだ……」
「それ、時間の問題ですね〜。羨ましいなぁ。私も彼氏欲しいなぁ。」


淡いピンクベージュのエナメルパンプス。
柔らかいかぎ編みニットの白いワンピース。
自分へのご褒美に買った小さなダイヤのネックレス。

どれも、お気に入りのアイテムだ。



そんな装いで、私は今、ラーメンを食べている。



ドタキャンしてしまった。

直己さんが私のために用意してくれていたのは、きっと今日も雰囲気のいい、格別のレストランだったんだろうな。

…何やってるんだろ。

すくい上げた麺をため息で冷まして、頬張った。

一度誘いを受けてから、断ったのは今日が初めてだった。仕事を定時で終えて、会社のトイレでメイクを直して、鏡に向かって微笑んでみる。
よしっ、と気合いを入れてオフィスを出るところまではいつもと同じだった。
携帯を開いて、今日が木曜日だということに気がつく。

あ、21時からのドラマ、録画してくるの忘れちゃった…。

待ち合わせに向かうには、地下鉄に乗らなきゃいけない。だけど私は定期でJRの改札を通り抜けた。
電車の中で直己さんにメッセージを送る。

“ごめんなさい!仕事でトラブルがあって…今日、早く帰れなくなっちゃいました“

5分くらいで既読がついて、数秒後に返信が来た。

“そっか…残念!会いたかったな“
“また、誘うよ“


だってさ、毎週楽しみにしているドラマだったの…
なんて、くだらないいいわけを私自身に向かってつぶやく。

直己さん、いい人なんだよな。
とっても。

仕事の縁で半年程前に知り合った彼は、絵に書いたようなパーフェクトマンだった。
スーツの着こなし一つとっても、彼が仕事のできる優秀なビジネスマンであることはすぐに分かった。
取引先への丁寧でマメな連絡。
提案資料のセンスのいい色づかい。
打ち合わせの最中でもさりげなくプライベートの話題を織り交ぜてくる会話力。
背が高くて愛想が良くて、女性への気遣いも完璧。

何で、私なの?
もう嫌という程、本人に問いかけた質問を懲りずにまた、空に投げかける。

“麗衣さんは、魅力的ですよ“

毎回、呆れずにちゃんと答えてくれる直己さんの声が聞こえたような気がした。


美味しいお店を見つけたから、一緒に行ってみませんか?と、初めて誘ってもらった時、私は少なからず舞い上がった。
同僚の間でも、彼の完璧っぷりは話題になっていたから、そんな彼からの誘いを断る理由など無かった。
今日みたいに、お洒落して、一日中ソワソワしてたような気がする。
普段、自分では行かないような素敵なお店で食事をして、色んな話をした。
つい、仕事の話をデートの場でしてしまう私は、可愛げが無くてあまりモテない。
でも、直己さんは興味深そうに聞いてくれて、そのうえ、、、

「麗衣さんみたいな人と出逢えて嬉しいですね。思い切ってお誘いしてよかった。また、来ましょうね。この近くにもう一軒、いいお店があるんです。」

そんなこと言ってくれる人は、私も初めてだった。
なのに、どうしてだろう。
何回か一緒に食事をして、信頼していい人だって、頭では分かってる。
このまま、直己さんと正式におつき合いすることの方が自然なんだろう。
だけど回を重ねるごとに、私の熱は冷めてしまった。

ふと、短く携帯が震える。

“やっぱり、会いたかったな。明日はダメですか?“

さすがに断る理由はもうなくて、

“私も会いたかったです。明日、大丈夫!楽しみにしてますね!“

そう返信する。

何で…私なんだろう?
と、もう一度、空を見上げた。

・・・

翌朝。
昨日のドタキャンの、せめてものお詫びに、手を抜かずにお洒落をした。
玄関のドアを開ける前に、少し迷って、飾り棚の上に並べていた小ぶりの紙袋からリボンのかかった小箱を出した。
プラチナの台に小粒のダイヤを4つ並べたピアスは、耳たぶを少しはみ出す長さで繊細なのに存在感がある。
つけてから鏡を見ると、やっぱり安物とは違うなと思った。

3回目のデートに誘われたとき、お互いに仕事が早く終わったこともあり、
お店の予約までにはまだ少し間があるから買い物でもしましょうかと誘われ、
表参道に立ち並ぶショップを二人で歩きながらまわっていた。
街を歩くのは若い人が多いのに、高級なお店がそこら中にあって、普段は通り過ぎながら横目で眺めるだけのお店にも、この日は直己さんにアテンドされて足を踏み入れた。
できるだけ、値段は見ないようにと思っていても、いや、逆に意識しすぎているせいか、予想価格よりも倍は高い商品が目についてしまう。

「麗衣さんてあんまりアクセサリーしてないですよね?アレルギーとかありますか?」
「ううん。そんなことないですよ。仕事の邪魔になっちゃいけないから、控えめなものを時々つけるくらいなの」
「じゃあ、普段つけないようなやつ、試してみます?見てるだけなのももったいないし。」
「え?大丈夫ですよ。なんか恥ずかしい。」
「いいじゃないですか!少しだけ。」

私が了承する前に店員さんに声をかけに行ってしまう直己さんはとても楽しそうだった。
私も、あの時はまだ緊張感もあって少し高揚していた気がする。

「似合う!!可愛い!ほら、今してるネックレスとも相性ぴったり!」

そう言って店員さんを味方につけて私を褒めちぎるから、なんだか得した気分になっていた。
試してみるだけのつもりだったから、深く考えずに言ってしまった…

「そう?じゃあ、こういうのも一つくらいは持っててもいいのかもね」

直己さんはその後、そのピアスをあっさり買って私にプレゼントだと言って渡した。

自分では手が出ないその額を躊躇なく支払ってしまうことも、
まだ3度目のデートで高価なプレゼントを渡すことも、
記念日でもないのに高級なレストランに行くことも、、、

直己さんにとっての当たり前が、自分とかみ合っていないことが、とても残念だった。

せっかくのプレゼントを一度もつけない私を直己さんが責めることはなかったし、
つけるのが嫌だってわけではなかったけれど、結局一度も開けずにプレゼント用の小箱に入れたままにしてしまっていた。
嘘をついてドタキャンしてしまったことへの戒めのような、その高価なピアスは、
仕事中、電話を取ると装飾が受話器にカチャカチャと当たって、
その度に昨日の嘘の罪悪感が募っていった。

そして17:30 
今日は、地下鉄に乗った。

金曜の表参道駅は、皆、心なしか開放感に満ちた顔をしている。これから大切な人に会いに行くのだろう。
そんな人たちの波に乗ってホームを歩き、改札まで来る。
こんなに人で溢れかえっているのに、改札の外からすぐに私を見つけて嬉しそうな顔で手を挙げて合図してくれた。

「麗衣さん、お仕事お疲れさま!今日の服も似合ってますよ。可愛いですね。」

直己さんの言葉はいつもストレートで面食らってしまう。

「ありがとう。昨日はホント、ごめんなさい」

「大丈夫。大丈夫。麗衣さん可愛いから許しちゃいます。なんて。
 あ、でも昨日会えなかった分、今日は帰っちゃダメですよ?」

冗談なのか本気なのか、あんまり躊躇なくそんなことを言うからドキッとしてしまった。

表参道を並んで歩く。

私達も、他のカップルのように楽しげに見えるんだろうか。
自分がちゃんと笑えているか、気になってショーウィンドウをチラ見する。
とびきりのお洒落をして、周りが羨む彼と、ハイブランドショップの灯りできらめく街を歩く。
直己さんとのデートは表参道が多い。考えてみれば、この街の雰囲気と直己さんのもつ雰囲気はよく似ている。
カジュアルな一面も多いのに、土台は一流。
人を楽しませることが上手で、どんな人でも受け入れてくれる。
こうして二人で歩いていると私はだんだんと街の、彼の雰囲気にのまれていく。

「今日は、このお店!」

そう案内されたのはいつもより少しカジュアルなイタリアンレストランだった。

「予約取ってなくても大丈夫なお店なんですけど、美味しい野菜使ってて、絶対気に入ると思いますよ。一度、麗衣さんを連れてきたかったんだ」

お店に入るなり、オーナーに気さくに話かけられている彼は、常連のようだった。
誰とでも、すぐに打ち解けて、距離を縮めるのが本当に上手な人だ。

彼女さん?と聞かれて曖昧に笑顔で濁す。
窓際の座り心地の良いソファー席に通される。
ワインもコースも直己さんのお勧めに従って全てお任せにした。
最初に運ばれた前菜のテリーヌは、色とりどりの野菜が窓の外の街路樹のようにキラキラしていた。
次のアスパラを使ったグリーンポタージュは爽やかな香りで気持ちをリラックスさせた。
合間に出てくる全粒粉のパンでさえ、絶妙なもちもち感で本当に美味しい。
メインのカジキのポワレを白ワインといただく頃にはすっかりお店の味の虜だった。

「本当に美味しい。直己さんて、すごいですよね。いっつも完璧なお店のチョイス!」
「麗衣さんの喜んでる顔が見たいだけですよ。あと、俺がただの食いしん坊だから 笑」

私のためにと言いつつも、私が気負わないように冗談を混ぜてくれる。
こんなにいい人、私にはもったいない。

「でも麗衣さん、まだだよ。ここの一番はデザートだから!」

たしかに。
最後に出てきたフルーツトマトのケーキは有名ホテルのドルチェよりも美味しかった。
お酒もすすんで、酔いですっかりいい気分になってしまった。

「麗衣さん、今日ホントに帰らないでいてくれたら嬉しいんだけどな」
「ん〜。とりあえず、ちょっと歩きませんか?」

外に出ると街は変わらずキラキラしていた。
直己さんがさりげなく私の手をとる。
私はそれを拒まずに受け入れて歩き始めた。

ちょうど前を歩く若いカップルの女の子が何やら彼に文句を言っていた。

─もう、何でいつもそうなのぉ?また、恥かいたじゃん!
─ごめんよ、ほんっとに忘れたんだって!財布入れたと思ったんだよ。
─もういいもん!次は絶対にそっちの奢りだからね〜。
─分かった、分かった!超美味いもん奢ってやる!


お会計の場で彼が財布を持っていなかったことが分かったんだろう。彼女の方は、そんな彼に文句を言いながらも、何だか楽しげにしていた。
2人ともまだ、学生かな?
既に話題は変わったようで、今度は2人して携帯を覗き込んで笑い転げていた。
そんなふたりを見て、何となく羨ましさを覚える私。
そして、自分が大学に通っていた頃の彼氏のことをふと思い出してしまった。
天然というか、抜けているというか、いつも小さなミスをやらかしては、ごめんごめん!と言って私に頭を下げながらも手を強引に繋がれた。
最初は怒っている私もいつの間にか、どうでも良くなって、結局、手を繋ぎながら笑い合っていたような気がする。
その彼を今でも好きとか、そういう話ではないけれど、あの頃、何であんなに楽しかったんだろうと思う。
ダメなところも含めて受け入れあっていく二人の距離感とか、お互いに飾らなくていい心地良さとか、そういうのが何だかとても愛おしく感じた。

直己さんと会う日は、どうしても気合いを入れてしまう。ちゃんとした格好をしなくちゃとか、何かボロが出やしないかとか、そんな風に考えることが、だんだんとワクワクからプレッシャーに変わってしまった気がする。

あ、、、いけない…。

直己さんと歩いているのに、他の人のことを考えてしまった自分に、また一つ、罪悪感をを覚えた。
癖になっているかのように、ショーウィンドウに写る二人を見たら、ガラス越しに直己さんと目が合ってしまった。
とびきりの笑顔で見つめ返され、反射的に嫌な目の逸らし方をしてしまった。
なのに、不自然な私の態度を見た直己さんは、

「麗衣さん、照れすぎです。もう…可愛い人だなぁ。」

そう言って、人通りから私が見えないように自らを壁にして、唇が触れるだけの軽いキスをした。
一連の身のこなしが軽やかすぎて、迷う隙間すらなかった。
自分の感情と彼の感情との隔たりを繕うかのように唇が離れてもう一度目が合うまでの一瞬で、私も笑顔をつくった。
心臓がバクバクした。

「ごめん。つい…」
全然、ごめんって感じではない、嬉しそうな顔で直己さんは謝った。

「ううん。ちょっとびっくりしたけど」
私も、どうにか笑って応えた。

少し間を置いて、彼が私の耳に優しく触れた。

「ピアス、似合ってます。なんか、嬉しいです、つけてきてくれて」

そう言って彼は繋いだ手に力を込めてさっきよりも私を自分の方へと引き寄せた。
また、確信してしまった。
私は、この人に愛されている。
きっと、とても大切にしてもらっている。


この後、私はどうすればいいんだろう?
このまま、彼の期待にこたえるべきなのか。
私の緊張感と、彼が感じている緊張感は恐らく全くの別物なのに、お互いの想いが伝わらない。
彼の気持ちを否定も肯定も出来ないまま、また、歩き始めるふたり。


いつもより少し饒舌なあなた。
すれ違う恋人たちと、私たちにどのくらいの違いがあるのか。
笑い合って、手を取りあって、明日のことを語り合う。
このまま朝を迎えて明日が来た時、このモヤモヤとする二人の心のすれ違いがすうっと晴れてくれたらいいのに。
一歩ごとに二人のからだの距離だけは縮まっていく。


表参道のちょうど真ん中。


通りを最後まで抜けた時、きっと私は嘘をつく。
あと半分のこの緩い坂道を幸せそうなあなたと進む。
いっそのことなら、金曜の夜の暗示を自分にかけて、街の雰囲気に身を委ねてしまいたい。
ホントの心はしまい込んで、流されてしまいたい。
いつまでも答えを出さずにいられるなら、
あなたを傷つけなくて済むのかな。
このまま嘘をつき続けたら、いつかホンモノになる日は来るのかな。
繋いだ手からあなたの愛が伝わって、それを私は持て余したまま、高鳴る鼓動の理由をあなたに気づかれまいと、笑顔を作り続けた。



──あなたと歩く表参道は、あと少し。


【あなたと表参道 ストリーミング各種】


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