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SHINJUKU without you

小説: 星 七菜子
主題歌「SHINJUKU without you」

やっすい居酒屋から出てくる中年サラリーマンのグループ。
だらしなく制服を着てゲーセンで騒ぐ高校生。
雑居ビルの前で客引きをするハッピの男。
偉そうな外車を大袈裟なアクセル音で走らせるカップル。
ぶつかっても謝りもせずにヒールをカツカツ鳴らして征くOL。
Uber eatsの自転車が勢いよく歩道と車道の間をすり抜け、空席のないスタバにできる行列は途切れることを知らず、信号が変わる度に蠢く群衆は見ているだけでうるさい。

黙々と煙が空へ流れ出る狭い一角は、そこだけ人の密度が倍だった。
よくあんな所について入って行ってたな…と思いながらも、煙の匂いが私の胸を締めつけた。
愛おしい記憶が嗅覚に呼び出されて、また、一人であることの寂しさが押し寄せてきた。


「お姉さん、ひま?」

─違う。

「ともだちまってるの?」

─違う。

「ご飯だけでいいよ。奢ってあげようか?」

─違う、違う、違う。


そんな何処にでもあるような言葉じゃない。
くだらないナンパなんかとは違う…。

─違う。

─違う、はずだったんだ。


─彼との出逢いは、運命だったはずなんだ。

例えば映画で、これから素敵なラブストーリーが始まっていく、一番初めのシーンのように、あの日始まったリュウとの日々は、ハッピーエンドに向けて動き出したはずだった。
特別な日常だと本気で思っていた。


思い出すとまだこんなにドキドキするのに、それなのに、私はどうして、今、一人なんだろう。

煙草の香りと大画面から流れるCMの音楽、ビルの看板の並び順に信号の変わるタイミングまで、まだ何も忘れていない。
全てが、ついこの間と同じ景色で何一つ変わっていないのに、どうしてリュウだけがいないんだろう。

会いたいよ。
もう一度、会いたい。

私は、声をかけてくる輩たちを一瞥もせずに無視をして歩き続けた。

リュウと出逢ったその日、私は東口で、友達と待ち合わせをしていた。時間になっても待ち合わせの場所には見当たらず連絡しても無反応だった。
もしかしたら喫煙所かも、、、と思ってそのスペース内をウロウロしていた。
皆が思い思いに煙を燻らせるその空間は、タバコを吸わない私にとっては居心地が悪くて、私は多分、しかめっ面をしながら周りを見渡していた。

─探しもの、みつかった?


唐突に声をかけられて、自分がその呼びかけの対象であることに一瞬気がつかなかった。


─え?私?

─そ。君だよ。吸わない人は入っちゃダァメだよ

─あ、ごめんなさい。邪魔でしたね。

私がそそくさと出ていこうとすると彼は笑って言った。

─ははっ笑
待ってよ。

やっぱりね、
キミは謝る方だと思ったの。
 やさしくて素直そーな感じ、出てたから。


その時、私の携帯が短く3回、バイブ音をたてた。


─あ。みつかったんじゃない?


と、私の携帯を視線だけで指し示した彼は、右手に持った煙草を口に運び、真上に向かって煙を吐いた。
通知の主は、待ち合わせしているはずの友達で、結局、ドタキャンという結末を詫びるためのメッセージが並んでいた。


─探しもの、無くなっちゃいました。


携帯画面を彼の方へ向けて肩を落としてみせた。


─あらら。かわいそーに。

─よくあるんです。この子、ドタキャン癖あって。

─君みたいな可愛い子を困らせて。
自由なおともだちなんだね。

─もう、慣れちゃいました 笑
それじゃあ。

そう言って今度こそ、その場を離れようとした。

─待って。せっかくおしゃれして出てきたのに、
もったいない。

─え、でも。

─ねぇ、じゃあさ、今度は僕の探しもの、
つきあってくれない?

─何…探してるんですか?

─冷蔵庫。

─何それ笑
おかしい 笑

─さ、一緒にいこっ

そう言うと、彼はくしゃっと火を消して私の手を握ると、そのまま新宿の街を歩き始めた。
向かった先は家電量販店で、どうやら本気で冷蔵庫を見に行くようだ。

白物家電の並ぶ階まで無言でエスカレーターを登る。当然かのように、手は繋がれたままだ。
私はその手を解くべきなのか、このままにしておくべきなのかを考えることで精一杯で急に再開した会話にまで気が回らなかった。

─何色、好き?

そう聞かれて、反射的に“紫“と答えた。

─あるかな?紫の冷蔵庫…笑

(あ、冷蔵庫…の話…)
なんだか急に恥ずかしくなった。


─可愛いね、

(えっ?私?)

─紫の冷蔵庫、きっと可愛いね。

(また、勘違いした、やだもう、どうしよう…)

─マヤちゃん?

(今度は何?名前?…言ったっけ?)

─違うか 笑
当てずっぽう 笑

繋いだ手と反対の彼の手が私の首元に触れる。

─これ、イニシャルかなぁ?と思って。

彼の指がMのイニシャルネックレスをなぞる。

─ “こ“

─こ?

─あの、違くないです。
名前、、、“麻耶子“です。

─やば。僕、すごくない?
僕とマヤちゃん、運命じゃない?笑


そう言って笑う彼が、本当に運命の人に見えた。


・・・・


その夜以降、ふたりのペースは常に彼のものだった。
勤め先の西口から、東口までの距離を私はいつも、走っていた気がする。
早く会いたい、一秒でも長く居たい。
人混みをかき分けるのが苦手な私は、気持ちばかりが焦って、結局歩くのと大して変わらない速度で歌舞伎町までたどり着いた。
リュウは、いつも煙草を吸いながら、私を待っていた。

いつ会うかは、リュウが決めた。
何を食べるかも、リュウが決めた。
サヨナラする時間も、リュウの気分次第だった。

ただ、会う場所はいつもこの街だった。

仕事中にリュウからLINEが来る。
“今日、いつもの場所で!“

これが届くと私は残りの仕事をいつもの3倍くらい頑張れた。
リュウのつくる空気に身を委ねて、とりあえずリュウの腕にひっついて歩く夜の新宿は、ネオンがキラキラと輝いて、1人で歩くのが怖かった歌舞伎町のイメージを一新させた。

待ち合わせ場所の喫煙所に着くと煙草を指に挟んだままの手を軽くあげて私を呼んで、一息、ふぅうっと煙を真上に向かって吐き出してから火を消した。
そうして、駆け寄る私の頭をポンと撫でると
“今日もおつかれさまぁ“と、語尾を少し伸ばす口調で笑ってくれた。

歌舞伎町を知り尽くしているかのように、いつも違うお店に、迷わず入って行くリュウ。
食べきれない数の注文をして、少しづつ箸をつけると、あとはビールを飲むばっかりでほとんど食べないリュウは決まってこう言う。
“あとは麻耶子が食べていーよ“
私だってそんなに食べられないのに。
食べられる量だけ頼んだら?と私が聞くと、
“食べたい分だけ食べたら残していーよ“と言われた。
私の常識と彼の常識は根本的に違っていたけど、その一つ一つが、私の価値観を塗り替えて新しくしていった。
そんな風に、リュウのやり方が私の中に根付いていくことが嬉しかった。
毎回、ドキドキして、毎回、もっと好きになって…

だから、
こんな結末の筈ではなかったのに。

気づいたら、山手線に乗り換えてここに来てしまった。

会社の急な都合で職場が移転して、毎日新宿に通って、仕事をして、夜を歌舞伎町で過ごすという私のルーチンは崩れてしまった。
職場が変わってしまってからは、リュウの誘いにこれまでのようにはすぐに反応できなくなって、移動に時間を取られるせいで、残業の後は会えないことが増えた。
幾度かリュウの呼び出しを断ると、誘ってくれる回数自体が減っていき、こちらからの連絡もあまりレスをしてくれなくなった。
でも会うと毎回、頭をポンと撫でて“おつかれさまぁ“と笑ってくれた。
だから、まだ大丈夫、2人の未来は変わらないと、言い聞かせて、現実に目を背けていた。

だけど、その日は、唐突にやってきた。

─ねぇ麻耶子。

─なぁに?

─飽きちゃった 笑

─ん?何に?

─麻耶子と遊ぶことにだよ?

─え?

─だからぁ〜、麻耶子と遊ぶのもういいかな、と思ってるんだぁ。


突然過ぎて、言葉が出なかった。
私が、何も言えずに戸惑っていると、リュウはいつものように頭をポンと撫でて、

─そういうことだからさ、マヤちゃん。
今日でバイバイね。

そう言って、大好きな笑顔で手を振るとリュウが私に背を向けて離れていく。

(嘘だ。こんなの嘘に決まってる。)

声が出ない。
出ない言葉の代わりに涙がこぼれた。
どんどん遠ざかっていくリュウを見ていられなくなり、私は追いかけてやっとの思いでリュウの手を掴み、言葉を振り絞った。

─待って、リュウ。やだよ。どうして?急すぎるよ。

振り返ったリュウにもう笑顔はなかった。

─そういうの、うざいよ。

(こんなリュウ、知らない。)

目も声も、掴んだ手も冷たくて、優しさの欠片もなかった。
私は、怖くてそれ以上、追いかけることもできず、ただしばらく、その場に立ちすくむことしか出来なかった。
寂しいよ、やだよ…。
そうつぶやく自分の声が雑踏にかき消された、あの日。


それから3週間が経っていた。
出会った頃は毎日のように会っていて、回数が減っても週末には必ず一緒に朝を迎えていたから、3週間が果てしなく長く感じた。
(どうして?)
(何がいけなかったの?)
(私、何かした?)
そんなことをずっと考えて、考える度に涙が溢れて、苦しい。
あれからずっと、苦しい。

いつの間にか、ふらふらと歩き、リュウと出会った日に明け方まで飲み明かしたBARの前まで来ていた。
人とぶつかって我に返る。
見渡すと、街には腕を組んで歩く恋人たちがたくさん行き交っていた。
みんな、楽しそうで、幸せそうで、、、。
その光景を見ていられなくて私は目の前の店に入った。
リュウと座ったカウンターの席には、彼と楽しそうに話をしている同い年くらいの子が座っていた。
そこから3つ
ほど離れた席に着く。
1人でお店に入ることなんて、滅多にない私が戸惑っているとバーテンダーのお兄さんが優しく声をかけてくれた。勧められるがままにおすすめのカクテルを選ぶ。世界はこんなにも笑顔で溢れていて、周りはみんな幸せそうなのに、私だけが冷え冷えとした廃墟に閉じ込められて、世間から断絶されてしまったような気がした。

(みんな、不幸になればいいのに)

今朝のことを思い出した。
会社に行くと、麗衣さんがお洒落していた。
昨日も、お洒落をしていて、ひと目でデートだと分かるその装いをからかってみたりもしたけれど、今日も、とても綺麗だった。
仕事もできて、後輩思いで、いつも色んなことを教えてくれる憧れの先輩は、二日続けて彼と過ごしている。私がからかうと、気恥ずかしそうに言葉を濁してそんなんじゃないと謙遜する麗衣さんの笑顔は柔らかかった。

私は今朝、そのことを妬ましく思った。

あんなに良くしてもらっている先輩に対して、はっきりと嫌悪を感じた。自分の境遇と麗衣さんのそれがあまりにも違いすぎて、羨ましすぎて、嫌味のつもりで言ったのに。私の悪意を微塵も疑わない優しい笑顔を向けられて、私は確かにイラついていた。そんな自分が醜くて、周囲に感じた嫌悪の何倍も、自分自身のことが嫌いになった。それでも湧いてくる感情は相変わらず汚い嫉妬ばかり。

(みんな、別れてしまえばいいのに)

どうして私は1人なんだろう。
どうして私だけがこんなに辛いのだろう。
もう、どうにでもなってくれ。
リュウにもう二度と会えないと言うのなら、もう何だっていい。仕事を頑張ることも、周りと仲良くやっていくことも、飲むお酒が何であるかも、どうだっていい。
彼のいない新宿は、もう輝かない。
金曜日の夜、賑やかさは、ただの雑音だった。


もはや味なんて分からないカクテルを3杯、立て続けに飲み干して、いくら飲んでも酔えないと思っていたのに、少し頭がぼぉとしてきた。
リュウと出逢った日、私との約束をドタキャンした、言わばキューピットのような友達に、つい電話をしていた。泣いたのだろうか。私は、今、彼女に愚痴をぶちまけながら、泣いていたのだろうか。
頬から伝う涙が、寂しさから来るのか虚しさから来るのか、何のための涙なのかよく分からなかった。
こういう時、友達の存在はありがたいけど、結局のところ、この空っぽの心を満たしてくれるのは、女同士では不可能だ。
リュウの、体温が恋しくなるだけだった。


私たちの出逢いを軽いと表現する人もいた。
やめた方がいいとか、本当に大丈夫なのかとか、お説教めいた心配を押し付けてくる友達もいた。
それでも私は、自分の気持ちに疑問を感じることなんて、ほんの少しもなかったし、リュウと過ごす時間が何よりも大切だった。
誰が何と言おうと、私はリュウを信じてた。
あっさり捨てられてしまった今ですら、リュウとの出逢いはホンモノだと思っている。


私はリュウと出逢ったその日、ここで明け方まで飲んだ。初対面なのに、他愛もない話を山ほどして、ずっと笑い続けていた。リュウはあっという間に心の距離を詰めて、すごく自然に私に触れた。
このカウンターで肩をぴったりつけて、顔を寄せ合って話をしているうちに、もうずっと前から私の恋人だったのではないかという気分になっていた。

─あ、もう明けるね。そろそろいこっかぁ。

入口のガラス戸から、外の景色が朝焼けに染まり始めたのが分かる頃合に、リュウはBARの席を立ち上がった。

─そうだね、そろそろ電車も動くね。

そうしてリュウの後に続いて店を出ると、リュウは私の手をとり、駅と反対方向に向かって歩いた。

─ん?帰らないの?

そう聞くと、

─ん?帰るの?

と、聞き返された。

私は黙って首を横に振り、そのままリュウに連れられてホテルに入った。

一晩飲んで、喋り倒して、もうすっかり疲れているはずなのに、私の鼓動は休むことを知らず、いつもより速いテンポで鳴り続けていた。
大きなダブルベッドの上に、2人して倒れ込み、じゃれ合うように腕や髪や背中に触れ合った。
私がシャワーを浴びたいと言うと、じゃあ2人で浴びよう!と手をとられ、服のまま浴室に入るとリュウはふざけて冷たい水をシャワーでこっちに向けた。

─きゃあ!つめたいっ!
もぉ何してんのよぉ 笑

私も仕返しにリュウに水をかける。

─うわ、やっばぁ。マジつめてぇ 笑

そんなことを言い合いながら、子供みたいに水をかけあってはしゃいだ次の瞬間。

きゃあと悲鳴を上げた私の声をリュウの唇が塞いだ。

そこから先は、2人とも無言で、ただ、ただ、互いの体温を分け合うかのように抱き合い、キスをし、そして、服を脱いだ。


気がつけば、また夜になっていた。

途中、何度かウトウトしてるとリュウにキスで起こされ、起きては抱き合い、また眠り、、、。
そんなことを繰り返して時間の感覚が薄れていく。
夢の中のように現実感のない空間の中で、リュウの体温だけを感じていた。


始まりが、間違っていたなんて思えない。


あの日の出逢いも、その後に重ねた夜の数々も、私にとっては全てが愛おしい。
リュウは、私を抱いた後は必ず、身動きとれないくらいくっついて私を抱きしめたまま眠る。

「ずっとこうしていられるわ」

「麻耶子、抱き心地ちいいなぁ」

「帰るのやだなぁ」

「明日も、いつものところねー」

「麻耶子とは運命だから」

ベッドの上でリュウからもらった“好き“に代わる言葉達は、どれもホンモノだったよね?
私たちは、どこから間違ってしまったの?
あれは全部夢だったの?

4杯目のグラスを傾けながら、答えの返ってこない疑問を心の中でぶつけ続ける。


リュウは、今夜もこの新宿のどこかに居るのだろうか。


・・・


私は、走っていた。

東口から西口へ。

だいぶ酔ってしまい、呼吸を乱しながら、走った。

いつもと逆のルートを、相変わらず人を上手くかき分けることができないもどかしさを抱えながら、ビル群を抜けた。
思い出の中でたった一度だけ、歌舞伎町から2人で出た場所まで。
あなたの笑顔、あなたとのキス、あなたの声、頭の中をぐるぐると駆け巡る、あなたとの思い出たち。
走りながら、リュウと笑いあった日々を思い出す。


閉館間際の都庁展望室。
目の前に広がる新宿の夜景・・・。


を、もう一度観たくてここまで走った。


(やってるわけないか)


あの時はギリギリ間に合って、ふたり、腕を絡めながら夜景を眺めた。
リュウがまっすぐに遠くの景色を見つめたまま、しばらく動かなかったから、私も同じように、ずっと見ていた。時間の流れ方がとても静かで、ほとんどの客が帰ってしまい2人だけの空間になった時、どちらからともなく、優しいキスをした。


その景色を、もう一度観ることさえ叶わない、
金曜の0時。


ねぇ、リュウ。

何処にいるの?

もう一度、私を連れ出してよ。

もう一度、私に触れてよ。

もう一度…。


行く当てが無くなった私は、また、夜の街をふらふらと歩き始めた。
少しでも、この街が見渡せるのではないかと、歩道橋に登る。
3つ先の信号機すらはっきりと見えないその場所で、ただ、ただ、立ち尽くす。


この街のどこかに居る
あなたの欠片をひとり、探していた__。


【SHINJUKU without you ストリーミング各種】


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