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がけっぷちMT〜昭和編 昇天ウサギのこと

「うわ〜。」新田歩(しんでんあゆみ)はその部屋に入ってあたりを見回した瞬間声を上げた。

そこはとある研究所の実験動物を飼育する部屋。現在マウス用バットが数個、ウサギとモルモットのケージが2つずつ置いてあった。そのケージの中で1羽のウサギが身動きもせず固まっていた。見事に昇天している。

今日は新年の仕事始めの日。昭和末期、当時普通の事務所なら職員はお出かけ用のスーツを着たり、あるいは晴れ着を着たりして出勤した後、挨拶だけしてお昼には帰るような特別な日だった。ただし公衆衛生に携わるこの研究所の更に微生物部に所属している人間の場合、新年はじめにやらねばならないことがあった。

動物当番である。飼育されている動物たちの餌の給餌と排泄物掃除。マウスたちのバットの床敷(木材チップ)の交換も重要。これは当然年末年始休暇中も行う必要があるわけで、微生物部の職員は当番の日は誰もいない研究所に出勤しなければならなかった。通常なら1時間もあれば片付く話だが動物が昇天したとなれば話は別だ。後始末をしなければならない。

当時でさえやや老朽化していたこの研究所の建物。電力による暖房などというものはなくボイラー室で作ったお湯をパイプを通して全館に流してヒーターで部屋を温めていた。実は歩が常駐している細菌検査室と動物が飼育されている動物実験室はボイラー室に一番近く、昼間はかなり気温が上がる。一方で冬の夜は放りっぱなしの気温低下。この過酷な環境で昇天する動物もいたくらい。ただ今回は年末年始の暖房なしの時期。件のウサギが凍死したのかどうかは定かではない。

「さて、はじめるか。」何はともあれ仕事始め式が始まる前に動物実験室と外の動物小屋にいる動物たちの餌の給餌と掃除、そして昇天ウサギの始末をしなければならない。そのため新年早々早々と出勤してきたのだ。白衣をはおりドアを開けて外に出る。先程説明した動物実験室の他にドアを開けて出たすぐのところに動物小屋があった。

現在外のプール付きの柵の中にガチョウ数羽、一番奥の部屋の中にニワトリが2羽飼われていた。昔はヒツジもいたらしいが今は飼われていない。

掃除と給餌を一通り済ませた後、ウサギと焚付を持って敷地の端にある焼却炉に向かった。今はダイオキシンなどの関係で行われてはいないと思うが当時研究所から出た一部のゴミは敷地内の焼却炉で焼却処分がされていた。

焼却炉にウサギと焚付を収め、石油バーナーを引きずり出しタンクにつなぎ炉の前にセットしてスイッチを入れる。炎が吹き出し路の中は一気に燃え上がる。

ほーっと息をつく。
「いいなあ。」炎を見ていると何故か心が落ちついてくる。歩はこの炉の中で燃え盛る炎を見ているのが好きだった。

「子供の頃いつもお風呂を炊いてたからかな。」ふと独り言。歩の生家は古い家で薪で風呂の湯を沸かしていた。子供の頃灰掃除から始まっててやがて親から風呂焚きの役を任されるようになった。新聞紙と木っ端を入れて火をつけ、火の様子を見ながらだんだん大きな薪をくべていく。ぼーっと薄暗い物置の端で赤く燃え盛る炎を見ている懐かしい記憶に繋がっているのかもしれない。

「あ、そろそろ始まるな。」腕時計を確認し、炎が全体に回るようさらに焚付を加えて一旦庁舎に戻る。白衣を脱いでスーツの上着を着るとぐったりしながら会議室に向かった。

さて、ここで主人公の紹介。新田歩24歳。臨床検査技師の専門学校を卒業した後、無事国家試験に合格し欠員のできたこの研究所に就職した。実はあまりにものんびり屋だったため気づいたら就職先が軒並み定員。就職し損ないかけていたが最後に欠員補充で募集が来たこの研究所の職員に滑り込んだのだ。しかも正規で合格した人物が病院に就職したため引っかかった補欠合格という。本人別に公衆衛生にも微生物にも興味がなく本来はやはり病院の検査室志望だったが、さしあたって就職できたからという典型的でもしか職員となったわけだ。そして怒涛の新規採用時期を越え、なんとか仕事に慣れてきた2年目の技師だった。

会議室に入ると事務室に入ったアルバイトの向井真美が振袖姿で来ていた。みんなに褒められてニコニコしている。

はあ。とため息。一応それなりのスーツは来てきたとはいえ、動物当番である以上着飾ることはできない。年齢の近い向井の振袖姿を見つつ席に着いた。机の上には飲み物とお菓子がおいてある。

「どうしたの。新年早々落ち込んでない?」微生物部細菌検査室主任の三田瑛子が隣から聞いてきた。長髪を無造作に後ろでまとめているけれど人目をひくほどの美人さん。でもさばさばとした性格で人付き合いもいい。面倒見もいい先輩だった。実は保健所にいたときはすでに既婚者30歳超えだったのに地元のおばちゃんたちから見合い話がいくつも来たという伝説の持ち主だ。
「ウサギが一羽死んでました。」
「あら。」
「新年早々隠亡焼きです。」
「うちの動物実験室、休みの日は暖房入らないからね。」
「はい。でも、実験動物って本来管理に気をつけなきゃならない繊細な動物なのに。」
「無理無理、うちのはサバイバルに耐えられる根性がないと。」
「ですよね。」と、またちょっとため息。

「そういえば、ウサギといえば学校の方でもいろいろありましたね。去年。」
「ああ、裏の芝生で実習用のウサギを遊ばせていたら子供ができちゃったとか。」
「一番驚いたのは動物小屋の学校用部屋にいつの間にか黒うさぎがいたって話ですね。」
「あれはね。」瑛子が苦笑した。

この頃同じ建物に臨床検査技師や歯科技工士、歯科衛生士などの専門学校も入っており、建物内の動物実験室の他に外にある動物小屋には臨床検査技師専門学校用の部屋が一つあった。

その専門学校用の部屋にウサギがいたのだが、ある日学生が世話をしに行ったら何故か見たこともない黒ウサギが1羽いたというのだ。おそらく飼いきれなかった誰かがウサギが飼われているからと捨てていったのだろう。

「結局実習に使われてお亡くなりになりましたけどね。」動物当番で行ったときにたまたまいた学生に見せてもらったが黒い瞳の可愛い黒ウサギだった。
「ずっと可愛がって飼っておくようなところじゃないんだけどね。」
「ですね。」
二人でため息をついたところで仕事始め式が始まった。

研究所には細菌検査室とウイルス検査室を擁する微生物部。温泉の成分などを調べたりする化学分析部、食品成分分析を行う食品分析部があった。その他に事務室があるが各部屋とも2、3人という少数精鋭といえば格好がいいが、はっきりいえば弱小研究所であった。

所長は元微生物部の部長だったという獣医の田中恒三。穏やかで紳士的な人物だった。年初の訓示というか挨拶のあと、お菓子を食べつつ各所員同士で挨拶したり話をしたりした後午前中いっぱいは部屋に戻ってやることをしてお昼頃には帰宅するという予定である。

「じゃあ、お先にね。」
「お疲れ様でした。」昼時になったので帰っていく瑛子に挨拶を交わし、また白衣をはおり焼却炉へ向かった。

ウサギは綺麗に灰になっていた。

実験動物には上に書いたようにマウス、ラット、モルモット、ウサギなど色々ある。文字通り研究検査に使われることを目的に繁殖飼育されている動物たちだ。現代では遺伝情報まで管理され、研究検査の目的に合致した特徴ある体質を持つ個体が生育されている。当然飼育において昭和末期当時と比べてさらに繊細な管理が求められているのは言うまでもない。動物虐待の問題もあり、現代ではさらに厳密に実験における条件が定められているはずである。

なぜ実験動物がいるのかというと、どうしても生体を使わないとできない検査や研究があるからだ。特に製薬の場においてワクチンや抗血清作成には必須であった。ただこちらも最近はコロナで知られたように遺伝子レベルの技術を用いた生体を用いないワクチンも作られるようになった。時代が進むにつれて研究が進み様々な技術が開発されてきている賜物である。

とはいえ、この時代も人のために命を捧げてくれる実験動物への思いはあり研究機関にはかなりの効率で慰霊碑が存在していた。国立予防衛生研究所(当時。現国立感染症研究所)レベルなら石造りの立派なものがあったと思うが、資金のない弱小地方研究所の場合白木の角柱に書道の得意な職員が文字を書いたものを動物小屋の傍らに立ててあった。

なんとなくさっきのウサギの顔が浮かんで歩は慰霊碑の前で手を合わせた。

いくら仕事とはいえサイコパスでもない普通の人間揃いの研究者である、動物実験をした後は結構くるものがある。できればやりたくないが今年もあるのかもしれない。もともと動物好きの歩だ。ため息をついて頭を掻くと空を見上げた。

正月の空は青く晴れ渡っている。
「今年は何も事件がないといいなあ。」とひとりごと。
「さて、帰りがけにステーキ宮にでも寄っていこうかな。」歩はひとり飯の常連である。宮ステーキのハンバーグが大好物の歩。白衣を脱いで手に持つと腕を上げて伸びをしつつ深呼吸をひとつ。ハンバーグでぐったり気分が吹き飛んだらしい。うきうきとした足取りで更衣室に向かっていった。

✱昔々の記憶を掘り起こし思い切りフェイクをふりかけて小説を書いてみました。昭和当時の公衆衛生と防疫の状況などうっすらわかる程度に書いてみようかと思っています。筆者現在の状況は現場をすでに離れてウン10年なので現代の情報はあまり期待しないでください。


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