しょうらいのゆめ

子供のころ、誰しも「将来の夢」を書かされたことが一度はあるんじゃないかと思う。

もちろん、自分も何度も書いたことがあるし、その変遷も覚えている。

幼稚園〜小学二年生

このころ、将来の夢を聞かれたら「パン屋さん」と言っていた。

ただ、たぶん根拠はなかったと思う。根拠のないものは、グラグラだ。

今思い返しても、パンに特別な感情を抱いたことはないし、パン屋さんになりたい!と言い出すような心に残るエピソードも思いつかない。もしあるとすれば、アンパンマンの誕生を描いた映画は好きだった。そのぐらいのものだ。

つまり、このころの「将来の夢」は、なんとなくノリで言っていたと思う。

そういえば、このころはこうだったな〜と思うことがひとつある。

それは「サラリーマン」という存在がよくわかってなかった、ということだ。なぜなら、子供向けの絵本などには「サラリーマン」という職業はほとんど出てこないから。

小学三年生〜中学二年生

このころは、少し賢くなってきて、世の中の色んなことが見えてくる。

ではこの時代の将来の夢がなんだったかというと「特にない」である。

夢もへったくれもない。

パンに特別な思い入れがないことはもう気付いていたし、みんなが将来の夢に掲げていた他の仕事にも、特に強い興味は持たなかった。

このころには、大抵の大人は「サラリーマン」をやっているのだということもなんとなく知っていたし、きっと何をどうしようがそういうものになるんだろうな、と漠然と思っていたんだと思う。

中学三年〜

プログラミングと出会ったころだ。このころはわかりやすい。

「ソフトウェアエンジニア」になりたいと思っていた。

初めて、明確になりたいものを自分の意思で定めたタイミングと言えると思う。自分の意思できちんと根拠を持って決めたものだったから、結果としてソフトウェアエンジニアになれたと思っている。

また、このころになると「将来の夢」というよりは「実現させるべく努力すること」と言ったほうがいいかもしれない。

絵空事ではなくて、実際になれるもの。実際、ソフトウェアエンジニアになると言って頼み込んでパソコンを買ってもらったりしていた。

今になると面白いもので、もう少し絵空事っぽいほうに戻ってきた。

今の「将来の夢」を言うとしたら、「死ぬ時に、俺の人生めちゃんこ楽しかったわー!と思えるようになる」だ。

これまでのものより抽象度がめちゃくちゃ高いし、ちょっと位置付けが違うとは思うけど。

まだ、なにをどうするとそうなれるのかはわかんないし、たぶん今後ずっと変わっていくんだとも思う。

唯一言えるのは、自分が自分のやりたいことを惜しみなくやって、自分の周りの人も幸せそうなら、きっとそうなれる気はしている。

なので、今はソレをやりたい。

そして、大事なのは、これも根拠のある夢だということ。だから、ソフトウェアエンジニアになれたように、叶うかもしれない。


今日の強くなるポイント

SAN値直葬という言葉を覚えた!


投げ銭をいただくと、ポイフルに変換します。