59. 結局は人の心だという話

プロダクト開発を仕事にしていると、開発者の中には(純粋な技術者であればあるほど)「プロダクト」を「物理的なモノ」とだけ捉えている人がけっこう多くいると感じる。

あるいは、音楽の世界にも「曲」などに対して同じように思って人はたくさんいる。

ただ、色々と経験を重ねれば重ねるほど、自分には「あらゆるものことは、結局人と人のコミュニケーションであり、その媒介が多様なものことであるに過ぎない」と感じる。

単純な話、そのプロダクトであったり曲であったりを受け取るのは人であり、人がどう感じるかが全てだということにつきる。

かつて音楽業界は「CD」というモノに「曲」というプロダクトを乗せて売っていると思っていたのだと思う。

だけど、受け手として「曲そのもの」を買っていた人は、実はごく一部だったはずだ。じゃあなにを買っていたかというと、その曲を知っていることでみんなと盛り上がれるとか、タイアップしているドラマのワンシーンを思い出して浸れるとか、コアな音楽を知っているという自尊心を満たせるとか、そういうものを買っていたはずだ。

思うに、CDという物理的なモノに乗せて売っていたから、勘違いしてしまったんだと思う。

しかし、良くも悪くもインターネットは物理的なモノの存在を希薄にさせて、それを暴き出した。

冷静に考えれば当たり前のことだ。

音楽が売れないのは、音楽が良くないからではないし、今の人たちが音楽の良さを理解しないからではない。なぜなら元々理解などしていない。うまくいかないのは、なぜ売れてたのかという認識を誤ってただけだ。

インターネットサービスも、もちろん同じ。

プロダクトを売っているわけではないので、「どうしてこの優れたUIの良さがわからないんだ」などというのは的外れな話で、ユーザーはそのプロダクトを使って得られる体験に心を動かされるから使う。

結局のところ、なにを介して人の心を動かすのかという話でしかない。

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