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自転車がパンクした話

自転車が、パンクした。

うちの主な移動手段は両手でハンドルを握り、サドルに腰掛け、両足でペダルを踏み込み車輪に動力を伝える自転車である。

晴れの日に乗る自転車は気分の良いものであり、こころなしか脚もよく回る。
調子が良いとサドルから腰を上げ、自転車を左右に振りながら坂を登ることもある。
「弱虫ペダル」の影響である。

雨の日は濡れないように雨合羽で身を包む。
雪の日も同様である。

毎日の天候確認は最重要事項であり、特に長雨の季節は「雨」というだけで気分が沈むものだ。

そんな毎日の大切な足である自転車が、パンクした。

長年自転車に乗っていると、自転車の不調時にお世話になる店というのも大体決まってくる。

気軽に店に入れて、お店の人とも気軽にお喋りできて、心置きなく自転車を預けられる「お気に入りのお店」だ。

自転車に何かあった時はいつもこの「お気に入りのお店」を訪れていたが、残念ながら閉店してしまった。

少し話は変わるが、私の住んでいる町はとても小さい町である。
町の自転車屋は数件しなく、その内の1つは閉店してしまった。

新しくお世話になる自転車屋を探す必要があった。
そして見付けたのはご夫婦で自転車屋を運営している町の自転車屋さん。

職人気質のご主人が自転車の修理等を担当し、奥さんが接客をしている昔ながらの町の自転車屋さんという感じだ。

お店の奥は生活している空間なのだろうか。いつもコタツとテレビが見える。
自転車の調子が悪い時、そして新しく自転車を購入する時にもお世話になった。

愛用している自転車が、パンクした。

頭に浮かぶのはご夫婦で運営している自転車屋さんである。
空気が抜けてベコベコになったタイヤの自転車を押して、お店に向かった。

シャッターが降りている。

あれ、おかしい。今日は定休日ではないはずだ。

お店の前に着くと、シャッターに張り紙がしてあった。

「亭主の体調不良のためしばらくお休みします」

小さな町の数件しかない貴重な自転車屋さんの灯火が消えていくのを感じた。
どうか早く元気になってほしいと願わずにはいられなかった。

自転車は、パンクしている。
パンクした自転車を修理できる技術など持ち合わせている訳もなく。

ここ数十年で一気に発達したスーパーテクノロジーの詰め合わせであるスマートフォンで自転車屋さんを検索する。

すると、家から結構距離があるが自転車屋さんが見つかった。
初めて行く場所である。わたしは初めて行く場所がとても苦手である。

地域のフリーペーパーに載っている気になるラーメン屋さんがあるが、初めて行く場所がとても苦手という性質と初めて行く場所の扉を1人では先陣切って開けることが出来ないという特殊スキルがあり、およそ10年間、未だ入ることが叶わない気になるラーメン屋さんがある。

そんな初めての場所がとても苦手である私だが、そんな事を言っている場合でないので片道40分ほどかけベコベコになった自転車を押して初めての自転車屋へと向かった。

「こんにちわ。自転車の修理をお願いしに来ました」

こじんまりした店内には所狭しと自転車がずらりと並べられている。
店の奥にはカウンターがあり、お店の中央に自転車を修理する空間がありそこでご年配のおじいさんが自転車を修理していた。

1度目の挨拶で反応がない。
お年を召されているので耳が遠い可能性も考えてもう一度、今度はすこし大きめの声で挨拶をする。

「こんにちは。自転車の修理をお願いしに来ました」

おじいさんは無言である。無言で黙々と自転車の修理をしている。
わたしはその場で10分ほど立ち尽くした。
この地域特有の自転車修理の際のしきたりがあるのか、とも考えるが案内なども見当たらなくどうしたらいいのか分からない。

この地域に知り合いも居ないため、こちらの自転車屋の情報もない。

わたしの自転車は、パンクしている。

結局20分ほど店の玄関で立ちつくし、わたしは店を後にした。
わたしは良く自分の事を『コミュ障』だと言うが、実は全然『コミュ障』ではないのではないかと思った。

ステータスを職人気質極型にすると、こんな感じなのかもしれない。

案内役の重用性を改めて身に染みて実感し、街の自転車屋さんの灯火が静かに消えるのを感じた。

ベコベコになった自転車を押しながら帰路につく。

街の自転車屋さんの高齢化を感じ、しかし自転車屋さんで生計を立てるのは今の時代とても難しいだろうなと冬の冷たい風を顔に感じながら思う。

私の自転車が、パンクした。

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