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書評:ハーパー・リー『ものまね鳥を殺すのは』(上岡伸雄訳、早川書房)


読んだ、書いた、第5回書評講座に参加した

巷で話題の(!?)『翻訳者、豊﨑由美と読んで書く』をご存知でしょうか? オンラインの書評講座から生まれた同人誌です。この講座にわたしは第3回から参加していますが最初の2回は合評からの参加で、昨年12月の第5回で初めて書評を提出しました。なんと講座終了からもう2か月!遅くなりましたが、ほかの参加者のみなさんを見習い、改訂版を投稿するためにnoteを始めることにしました。

今回、間際になって自分の大きなミス(書誌事項の誤記)に気づき頭が真っ白。作業手順がいつもと違ったのが主な原因ですが、チェックでミスに気づけなかったので、そこを見直す必要があります。

課題書2冊のうち本書を選んだのは、いつかだれかに話したい!と思っていたネタが使えることと、一度読もうとして挫折した前科があったからです。いざ書いてみると、温めていたネタが使えて満足したものの、そこに文字数を取られて、あらすじが手薄になってしまいました。本当はあれもこれもと書きたいことがあったのですが、文字数の関係で諦めるしかありません。「削って削って仕上げるのよ!」という豊﨑さんの声が頭の中で響いていました。

講座では英語の慣用句の訳語について興味深い意見を伺いました。本書に何回か出てくる<靴を履く>という表現が(原文の)文字通りの訳語なので違和感を覚えるという指摘です。これに関連して、ひとつお詫びと訂正をしなければなりません。導入部で紹介したオバマ氏のスピーチは<靴を履く>("stand in one's shoes")ではなく、"climb into his skin and walk around in it"という別の表現を使った箇所を引用していました。この点、わたしの書き方は正確ではなかったので修正しています。

でも、それ以外の場面で<靴を履く>が数回登場するので、この表現は残しました。アティカスが子供たちに諭す場面は<靴を履く>という比喩を使うことで、かみ砕いて伝えている雰囲気がよく出ているので好きです。このような口調の変化も新訳の特徴であり、この作品の物語としての魅力を醸し出しているのだと思います。


書評改訂版

 アメリカ合衆国初の黒人大統領として8年の任期を務めたバラク・オバマ氏は、2017年1月10日、最後の演説で、アメリカのフィクションに登場するキャラクター、アティカス・フィンチの言葉に耳を傾けようと呼びかけた。書名に言及せずとも名前を挙げるだけで、ほとんどのアメリカ人に通じる存在。この人物こそハーパー・リー著『ものまね鳥を殺すのは』(上岡伸雄訳)に登場する弁護士である。オバマ氏が引用したのは、アティカスが娘スカウトに相手の立場に立ってものを考えることの大切さを説く言葉だった。繰り返しアティカスは、「ほかの人の靴を履き」相手の身になってみればわかることがある、と子供たちを諭す。
 本書は中高生の必読書として読み継がれ、アティカスは正義の象徴として多くのアメリカ人の心に生き続けている。だが一方で禁書リストの常連となり、州によっては図書館や学校から排除される憂き目にも合っている。必読書で禁書――この振れ幅がアメリカ社会の分断をよく表しているのではないか。
 原作は1960年に出版され、翌年ピュリッツァー賞を受賞。1962年に映画化され同年度のアカデミー賞では主演男優賞を含む3部門で受賞した。日本では『アラバマ物語』として公開され、グレゴリー・ペック扮する弁護士アティカスとお転婆で無邪気なスカウトの姿がよく知られている。黒人男性の弁護を引き受けたアティカスは激しく非難され、時に脅迫をも受ける。子供たちも学校でいじめに遭い、親戚からも心無い言葉を投げつけられる。舞台が1930年代のアメリカ南部であれば仕方のないことかもしれない。ジム・クロウ法により人種差別がまかり通る時代だった。
 とはいえ、作品前半のトーンは穏やかだ。スカウトが「当時、人々の動作はゆっくりだった」と振り返るように、時の歩みもゆるやかに見える古い町メイコムの日常はどこか郷愁をさそい、何気ない日々の描写が味わい深い。特に今回の新訳は「昼食」に「ディナー」とルビを振り、当時のアメリカ南部でディナーといえば昼食のことだったと注を加えたり、アップル・ボビングやローズヴェルト大統領の言葉など、当時の文化、社会に関する解説をしたりと、読者の理解を助ける配慮がうれしい。
 いつもオーバーオールを着たスカウトは4歳年上の兄ジェムと駆け回り、アティカスの妹アレグザンドラ叔母さんの顰蹙を買う。学校が休みになるとミス・レイチェルのところに預けられるディルが加わり、3人はツリーハウスを改良したり、タイヤに入って転がったり、のびのびと夏休みを満喫する。一方、大人たちはぎくしゃくし始める。だれもがお互いをよく知る小さな町では異質な存在が際立つ。家に閉じ込められたと噂のブー・ラドリーと冤罪で訴えられた黒人のトム・ロビンソンだ。町の人々が<他者>に向ける視線は時に残酷だ。3人は大人たちの会話を聞きかじり、徐々に事情を察する。年上のジェムは一足先に世の中の矛盾に気づき悶々とする。人間は一種類だと言い張るスカウトに対し、「少し前までは僕もそう思っていた」と返すつぶやきから、現実に直面した無力感が伝わる。
 作品後半はトムの裁判に焦点が移る。裁判見学中にディルは気分が悪くなる。検察官の態度に憤慨し「あれは間違ってるよ」と泣き出すが、「もう少し大きくなったら…正しくはないと感じても、泣かなくなるだろう」と言われる。子供たちのまなざしが現実を鋭く照らし出すとき、大人はいかに応えるのか。無実の証明に奮闘するアティカスは、全員白人の陪審員を説得できるだろうか。
 地球上では今も変わらず争いが繰り返されている。それを止めようとする国際社会の足並みも揃わない。「たった一つ、多数決の原理に従わないものは、人間の良心なんだよ」とアティカスは言った。必要なときに相手の<靴を履く>ことが未だにできないでいる人類の一員として、本書はやはり必読書だろう。
 
 
想定媒体:Newsweek日本版
1591文字(スペースを含む)




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