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正義記憶連帯に提訴された李宇衍(イ・ウヨン)博士等が「告訴」

 この記事は、韓国、©ペンアンドマイクの2022.03.23掲載記事をPapago翻訳したものです。

パクスンジョン記者
2022.03.23

金柄憲(キム・ビョンホン)慰安婦法廃止国民行動代表、「極右ではないし、歴史否定したことない」


正義記憶連帯(理事長李娜栄(イ・ナヨン)中央大学社会学科教授)等『日本軍慰安婦』関係団体から告訴・告発された人々が自分達を告訴・告発した彼らを逆に告訴した。

金柄憲(キム・ビョンホン)慰安婦法廃止国民行動代表
2022.3.23./写真=パクスンジョン記者

金柄憲(キム・ビョンホン)慰安婦法廃止国民行動代表(韓国史教科書研究所所長)は23日李宇衍(イ・ウヨン、落成(ナクソン)大学経済研究所研究委員(経済学博士)と共同告訴人で韓京姫(ハン・ギョンヒ)正義記憶連帯事務総長等を刑法上侮辱と名誉毀損、情報通信網利用促進及び情報保護等に関する法律違反(名誉毀損)容疑で告訴するという内容の告訴状をソウル鍾路警察署に提出したと明らかにした。

今回の事件の被告人達は、この16日、ソウル鍾路警察署の嘆願室の前で記者達を集めて、ソウル鍾路区旧日本大使館の向いにある『日本軍慰安婦』銅像(所謂『平和の少女像』)の前で正義記憶連帯に反対する集会を行ってきたこれらを侮辱と名誉毀損、集会及びデモに関する法律違反(集会妨害)容疑等で告訴するという趣旨の記者会見に参加した人達だ。

金所長は「一般的に『極右』という用語は『極端な暴力を伴った反自由主義的政治思想』一般を指すという点で嫌悪・軽蔑的表現と言えますが、私達は『日本軍慰安婦』銅像が位置した栗谷路(ユルゴクロ)2通りで集会をしている間に、いかなる暴力も行使しなかった」、「韓日両国間の友好関係の回復を望む気持ちで合法的かつ平和な集会を開催してきた我々を名指しして『極右』としたのは明らかに『侮辱』に該当する」と主張した。

そして、金所長は「『日本軍慰安婦』は、日本軍や官憲によって強制連行され、『慰安婦』としての生活を強要された事実無いので、『日本軍慰安婦』強制連行事実がないと事実を話してきた我々を『歴史を否定する勢力』と規定したのは『虚偽事実』に該当する」と付け加えた。

一方、金所長等を告訴・告発した主体は▲正義記憶連帯▲民族問題研究所▲平和蝶ネットワーク等7団体だ。

彼らは、金所長等が、この2020年6月から正義記憶連帯の『水曜集会』を妨害して『日本軍慰安婦』問題と関連して、虚偽事実を流布してきたため、告訴・告発に達したと述べた。

パクスンジョン記者francis@pennmike.com

©ペンアンドマイク出典明記の転載・再配布は歓迎します
パク・スンジョン記者

ひと言 

a.半島文明の証か?

 名誉毀損と侮辱の告訴は、韓国では双方がやり合う文化がある様だ。
 まあ、本件とは異なるが、韓国の首脳や外交コメントは、概ね、少し前に、自らが投げかけられたことを、そのままオオム返しに返していることが多いくらいなので、そうなってしまうのであろう。
 しかし、本件は論理で観る限り、「正義連側が、感情論で告訴提起」を行なったのに対し、慰安婦法廃止国民行動側が、アッサリと、客観論理で切り替えしているから、笑えてしまった。

b.基準は侮辱指数なのか?

 恐らくは、正義連側の捉えたは「感情的高まり」を侮辱指数の実体として、主観脳で感じ、それを告訴として、「実体」を勝ち取ろうとでもしている様に、自分には視える。
 確かに、一見、名誉毀損と侮辱は、個人の感情的保護の為のものに視える面も無くは無いが、その判定は「俺はこれだけ怒っているんだ」という主観的指数でするものではない。慰安婦被害者法の『定義』にある支援対象と同じで、客観的証拠に基づき判断されるものなのである。

c.回復されるべき法益を考えて試よう

 名誉毀損や侮辱は、言葉等による攻撃で、「回復されるべき法益」が在るから、公的秩序的観点から犯罪として、その犯罪構成要件が定められているのではないかと自分は考えます。

 法的に観た時、「正義連の水曜集会」は、①集示法違反であり、②ウィーン条約違反を犯し、開催され続けたものであり、その行為は③日本と日本人の名誉を毀損し、侮辱を続けたことは確かなことです。②の国際法に反してまで、侮辱を継続すること、国内法に照らしても違法な行為を、続けていること自体は、どれだけ憤っていたとしても在ってはならないことなのです。

 これは歴史問題とは無縁の「現在の継続的犯罪事象」なのです。

 慰安婦法廃止国民行動側は、その違法状態を解消し、彼等の求める日韓関係を追求しようとしたと述べています。この要求と目的を達する為に、合法的に、集示法の定めに従い集会の申請を出し、集会を開き集会場所で声を上げています。デモという「示威行動」を行なっているのです。その内容が、違法ならば、警察は取締ることです。違法性が無い限り、デモの取締は出来ないと言うのが、韓国民主主義の基本だそうなので、自らの行為や意見を否定するデモだからと言って、①〜③の違法性を帯びた自らの行為が、優越するとするのは、主観論に過ぎるのではないでしょうか?

 韓国に於いて、護るべき法益が、常に「特定の感情」ならば、正義連側の勝利かもしれませんが、感情は常に遷り変わるものです。人に寄っても変わるものです。それを、正義連が、自らの団体が掲げただけの要求が満たされないからと言って、違法な集会をしては成りませんし、警察はそれを取り締まらねば成りません。でもそれはしていません。

 正義連の所謂「水曜集会」の舞台に掲げられた項目
これを満たしたか否かの判断は、団体の正義連が決め
デモという行為で、政府間の条約も合意も全て覆して
きたのです。政府は、選挙という民主主義の手続きで
作られた「国家として唯一の正式で正統な機関」なの
です。それをデモで覆して来ました。※この要求で、

 とすると、法律上、正義連の要求が法的に神聖なものとして規定されて居ない限り、慰安婦法廃止国民行動のデモ行為は、当然取締法規内で、真に「暴力」の定義に当たる行為をしていない限り、警察としても取締るものではありません。取締るとしたら、違法性を帯びた「正義連側の水曜集会」です。「30年続いた伝統が大切だから護りましょう」という法律がありますか?

d.法の上に存在する価値観や感情を認める社会に生きますか?

 尚、「暴力」とは、基本的に
「他者の身体や財産などに対する物理的な破壊力
人を従属させる破壊的な強制力のこと」
を言います。

 人を従属させる破壊的な強制力を、自称人権団体を名乗ったら、他者にして良いのが、韓国と言う国家なのでしょうか? 韓国人社会の在るべき姿なのでしょうか? 
 貴方がたは、政府決定の一つを、今牛耳っています。それは正統な政府に対する、反社会団体と言われる可能性すらあるのではないかと、思います。国家は、自らの収める域内で、自らと同等以上の行為を行なうものを排除して初めて成立するものです。
 事実に基づかない主張で、韓国人を感情的に扇動し、韓国人社会に、募金、支援金と名の付いた集金システムを構築し、その継続の為に、達成項目を、実現不能な主観的領域に置いて継続させ続けていることが、韓国人にとって、幸せなことなのでしょうか?それならば、どうぞ永久にお続けください。

e.支援老人は既に個人保障をして享けている存在

 でも、能く考えて下さい。「慰安婦被害者法」で、対象とされた老人は、既に、国家から金銭的保障を得ています。この水準は同年齢の老人と比べてまだ低いのでしょうか?まだ、可哀想なのですか?
 日本と韓国は、日韓基本条約で国交正常化を果たしました。そこで、全ての個人保証は、韓国政府の要求で一支払をとの指定でした。それが、今、申請した老人には成されているのです。それでも可哀想なのでしょうか?
 確かに、時の政権朴正煕大統領は、そのお金の殆んどを個人保証にはむけませんでした。でも、今享けているでしょう?

f.経済復興に使ったお金は社会を巡り今の韓国人達は生まれた

 そして、その用途、当時最貧国となり、皆が食えなくなっていたことを救うための産業振興の形で使いました。直接は貰えなかった皆様が居たとしても、その経済復興の恩恵は、当時の韓国人享受したのです。その中で、皆様の両親も生まれ育ちました。ですから、韓国人は、既に社会を今に持ち上げることで、政府政策からそれ以上の恩恵を享けたのです。
 で、「慰安婦なら別枠」主張をして来たのです。で、今は「徴用」にも「強制」を付けた言葉にして、デモすれば「別枠」だとしました。共に、法的根拠はありません。事実認定の要件が不足しています。戦後直ぐに問題視されなかったものが、何故今頃出てくるのでしょうか?

g.感情を基準にする社会は自らをリセットし続ける

 韓国人は、能く考えて試て下さい。何処で、そう在るべきと考えていますか? 人類では、それを感情論と言います。
「思ったら、謝罪して貰える。お金に成る」何時迄も過去に遡及出来る。
そんなこと言っていたら、今の実際に生まれ生きている韓国人皆が、存在しなかった、理想の現在を所望しているとこになります。

 時間認識が薄弱過ぎますよ。人類は過去から学び、今に活かし、未来を拓くことで、前に進んで来ました。確かでない過去を感情で盛上げ、その主張で、無から有を勝ち盗ろうとする社会だから、前進する前に群れの中で、前進がリセットされ続けて20世紀の旧韓末を迎えたのです。
 していることは、旧韓末と同じですよ。戻ることが、自分等の在るべき姿と思うなら、どうぞご勝手に。他の人類は、皆様をそのまま置いて行くだけです。別の人類として。共に歩める人類に成りましょう。

 その道が、何方の方向かは、客観的に考えれば判りきったことです。そうではないですか?


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