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「高天原」は故郷の地で、自然の摂理に沿い、糧は海原から補った日本人


  この記事は、むすび大学チャンネルの2023-05-13「Googleマップで分かる高天原の存在」に入れたコメントを記事にしたものです。

「高天原」は漢字の当て字

 「高天原」という漢字を当てたことで、その字の意味に引き摺られてしまっているのではないでしょうか?
 また、その訓読み日本語が、必ずしも「高(たか)」「天(あま)」「原(はら)」だったと断定することも出来ない。
 人が暮らした拓けた地から、未開な土地に入る感覚を、「下る」とする感覚であれば、高天原は、高い位置にあり、且つ、広く拓けでいるとの意味で「原」であり、「天」は「海(あま)」から転じ、記載されたとするならば、
おっしゃる通り「高天原」は、その日本人の個々のルーツ次第となり、至る処に存在した故郷と言うことになる。
 それが、記紀編纂時の感覚で、そして、その記述を時の漢字の意味で解釈した人間の脳内で、「神代」の出来事と解してしまい、それを聴いて来た現代人は「神話」としてしまっている様に、私には思えてしまいます。
 記紀は、当時の目的で編纂された筈です。それにより用字も決まった。「天皇」と言う概念語がその用字と共に産まれることで、当時の「大海」等の「海」の文字も「天」に置き換えられてしまった可能性は大いに在るかと思う。
「原(はる)」は、天智天皇が一時期、天皇家の姓とした文字であり、「藤原」姓にも、下賜された文字でもある。
人は入植地で暮らす為に、樹木を伐り、草原を刈り拓いて生活基盤を築く「ひらく」の派生で、そうした地が「はら」との名詞で呼ばれたのかもしれない。「はら」の「は」の発音は、今はH音だが、P音とB音やW音で在った可能性も日本国内の地名や人名の発音から考えられる。花びら、ひらひら、びらびらと、平たく拓ける語義が、そこには透けて見える。

記紀編纂目的は「神話」創りではないかと

 私は、記紀編纂目的は「神話」創りではなかったと考えている。外来の漢字と言う表意文字に、日本語を宛がうことで、既存の重要な知恵のエッセンスを、書留めようとしたのだと思います。
尊、命、神の字は、「尊ぶこと」、核心としての「いのち」、「かみして上に仰ぎ見るもの」との語義で充てたもので、後世の読み手が、文字から抱く信仰上の宗教的「神」とは無縁の概念だったものと思います。

「八百万の神々」は尊ぶべき「自然の摂理」~学びのカテゴリー

 天照と月読は、日照観測、月齢観測から得られる農業と漁業と気象航海術の基礎として掲示したのだと思っています。その知恵を尊重することで、「須佐之男命」が、農業土木等の「荒(すさ)む」との言葉に秘めた力尽くの人の技を加えることで集団の生業が成立し、水田管理の基盤となり、日本の古代律令国家が実現したのです。
 「八百万の神々」とは、際限無い多くの尊ぶべき「自然の摂理」を意味し、学びのカテゴリーを提示し、その概念語で知恵を深めることを願ったのだと、私は思います。人為の在り様は、「自然の摂理」に沿ったものであることが大切である。
 このことは、大陸人に比べたら、日本人に強く共通して在る認識で、今も在ると、私には見えます。
 日本人の生活を大きく支えるのは、「天原」ではなく「海原」で、足りぬ糧は、「自然の摂理」に沿って「海原」から頂き遺伝子をつなぎました。「自然の摂理」に沿わぬ個と群れは、自然によりリセットされ、その遺伝子は歴史を閉じたのです。

大陸人は「眼前の限られた糧」基準、島嶼人は「自然の摂理」

 大陸人の場合は、「眼前の限られた糧」を手にした者の遺伝子が、今日迄続き、それが叶わなかった他者は、人為的にリセットされ、その遺伝子は歴史を閉じたのです。生残り結果のみが正解なのが、大陸人文明には基底に流れているのです。
 大陸では、日常的に人為的リセットにより、その他者が持つ文化も共にリセットされるので、文化的継続が限られたものに成りがちで、モノトーン化が成され、歴史を繰返す側面を持っています。

 それに対し、島嶼で、海原を生きる糧の畑とした日本人は、「自然の摂理」に沿った生き方をした個と群れは、遺伝子をつなぎ、その知恵を次世代につなぎ、多様性を保持し、文化融合で文明として確立して行ったのです。

後書き

文字と概念語の移入と既存語

 日本の正史は記紀を基点にしている。この時期には、仏教等の大陸概念と共に「漢字」が流入し、その漢文と万葉仮名での記述文化が確立した。
 それ以前には、今日、日本人か漢語の概念語として理解している日本語が全く無かった中で築かれた、その言語空間て実現可能な脳内世界で、日本文明は存在しました。その痕跡は訓読み日本語として、今も日本人の言語空間の根幹に在り、漢語と外来語の概念語による論理思考と異なる「脳内世界」を生成する。
 一般に、移入された漢語と外来語は、日本語には無い、限定された一意の概念を著すもので、大陸生まれの概念思考を著し理解する役割を担うのに対し、日本語の言語空間の根幹に在る訓読み日本語は、厳格な概念論を構成する目的を果たす必要がなくなり、外来の概念語と対と成ったものを除き、読みの音感で感じる外国語に翻訳が出来ない傾向にあります。
 例えば、擬態語、擬音語、擬声語に至っては、感じる言葉であり、これを用いることで、同じ情景を群れ内の脳内で共有することが出来るのです。水の流れ一つでも、さらさら、ちょろちょろ、すっと、ぽたぽた、ざあざあ、どっと、…等の様に、豊富に存在し自然の状況を細かく言語空間で共有できるのです。群れの中での自然の共通理解は、その摂理に沿った群れの行動を執る確率を高めました蓄積で、その様な性質の言語システムなのだと思います。

表現時と読み手時の語義変化

 言葉は、その発生時には、その社会環境の言語空間での必要性持ち、作られたものだと考えられる。そして、その言葉は、文献に記載されることで、その綴りが確定してしまいますが、その読み方迄は、その読み手に伝えることが出来ません。
 書き手と同じ発音を承継した言語空間を持つ群れの言葉の中に、同義で引継がれた範囲で、読みと語義が一致することが可能に成ります。されが満たされない限り、語義は違った受け止められ方をしてしまいますし、それを探る方法としては、現在の同じ言語系の言語空間で、可能性を信じ、多数の解釈を並べて行く迄しか出来ません。正解の確定が可能に成ることは略無いと言えるでしょう。
 但し、文献として、その語義か判るものが、遺されていた場合には確からしさと言う程度には、語義を絞り込むことが可能に成ることは在るのでしょうね。

 しかし、言語は、親世代から子の世代に、初めは主に母親から口伝えに伝承され、その語感を周りに在る指標から掴み、話し言葉としての語義を身に着けて行くもののです。世代間で社会変化がない環境ならば、親子共に、その親世代から、同じ概念指標と符合した形で語義を承継しますが、先史の古代から現代に至る迄、恐らく1世紀で5回前後は繰返される。社会変化が在れば完全な維持は難しいことです。
 でも、幸い日本では、大規模な歴史的リセットも、大陸の環境の様に、日常的な「眼前の限られた糧」を手にした者だけが今日の遺伝子をつなぐ様な
生業では、その糧すら閉鎖的な津々浦々の生態系内で糧をつなぐことが出来ません。季節毎の自然の恵みを端境期を埋める自然の摂理に沿った土地の知恵が承継されたから、縄文期から継続した食文化が存在し、言語の連続性も同時に確保されて来たのです。
 日本でも、隔離された津々浦々に分散することで、言語的にはバベルの塔の崩壊は起きたのだとは思います。しかし、大陸人比ではその殆どが遺り継続した。方言や地域の地名や人名や習わしに遺るものから、言語的なルーツを紐解ける確率は大陸人比で言えば、高いものが在ると思っています。

 記紀以前の「古史古伝」は、戦前の皇国史観を正史とする影響も在り、偽書とのレッテルが今尚貼られてはいますが、漢字が使われる以前の「神代文字」も、江戸期の創作とする認識も存在したとしても、部族別や地域別に、独自の言語と文字を承継していたことが無かったと断定することは出来ないと私は考えてもいる。

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