100万年の先からみた人が生まれた意味
700万年前に森から追い出されて、それでも手と歩行を生かして生き延びた猿がたまたま出会った石との再会によって石器を手に入れ、手に入れる食料を増やし、たまたま二本の足で立っていたことで頭が大きくなっていって、
40万年前にホモ・サピエンス・サピエンス現れる。
人類がなぜ生まれたのか、というと、それは環境による淘汰圧と適応の結果としての進化だろう。
そして、人類が生まれてきた意味は一体何だったのか、と問われると、それは何なのだろう。
石を手に入れ、火を手に入れ、歌と踊りを手に入れ、家を建て、言葉を手に入れ、死を思い、未来を手に入れ、祈り、集まる。そうして歩んできた先にある現代のさらにその先の先に、人類が生まれた意味は何だったのかが帰結する。
人類が未来を想うことと物語を語ることを手に入れたことで生まれた、自分たちの行く末という問いは、問われること自体がそれまでには起こり得なかった新しい現象で、その時その未来は人知れずスタートラインに立った。
とするならば、私たちはどこに向かっているのか。100万年の先から見たとき、今私たちはどのくらいの収束でその未来に向かえているのか。
その方向につながる道は手に入りかけているようで、まだはっきりとはわからないし、でも常にその方向に向かって人類は向かっている。あるいは、その先には何もなく、全く違うところから次の世界が現れるのか。
水素が生まれ、原子の集まりから星が生まれ、恒星が生まれ、惑星が生まれ、地球が生まれて、生命が生まれ、前のものが次のものを生み出し続けてきた中で、人の次にくるものに向けて人は日々の生活を繰り返しながらどこかに向かっているとしたら、それは一体どこなのか。
15,000年前に祈りのために集まってから、都市が生まれ、大きな危険の中でそれを乗り越えるための方法と工夫を産み続け、今も大きな危険の中で暮らしている先に何が生まれるのか。人が集まったことに意味はあるとしたらそれは何なのか。
人の行く末はどこに続いていくのか。その答えを見つけるために、私たちがするべきことは何なのか。何をすればそこに一歩でも近づけるのか、それを知りたい。
トップ画像:https://www.wikiwand.com/ja/%E6%98%9F%E5%BA%A7(wikipedia)
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