ビューティフル・ワールド

年度末で色々とまとめに入っています。ただの自営業から高校教員もやるようになって3年という月日が流れ、この3年という期間が生徒が一周するタイミングということもあり、私生活含めありとあらゆることに結論をつけるこの頃です。そう思って生きていると、日常生活で自分に入っくてる情報の至るところから、一定のベクトルを持った訴えを感じてることができてしまっていて「そういうことかぁ」みたいな、わかった気がしてしまっています。

シン・エヴァンゲリオンを公開初日にみまして、やはりここでも私の心は揺さぶられます。「そうだよなぁ」「なるほどなぁ」という感覚が溢れて、それを語らずにはいられなくて、つばさ君と語って、今年卒業の教え子と語り、同僚の先生には解説をして、私のRSSに上がってくる記事を読み漁りました。楽しかったです。高校生の時にTV版のDVDを借りてみたときは、本当に何が何なのかわからなかったのだけれど、今は全部わかるんですよ。物語がもつメッセージを体全体で受け止めることができていて、それがとても気持ちいいんでよね。私は子供の頃から、「わかり合いたい」っていう思いが強かったので。わかってくれなくてつらい思いをしてきましたが、私も他人のことがわからない状態だったわけで、それはお互い様でした。そんな漢字でも「「わかり合いたい」」を続けて、修行した結果、わかってね。人並みになれたかなと。その修業の成果が、私の授業そのものなわけで、相手の言いたいことや本質を汲み取り、それを持ってコミュニケーションする、それを売りにできるから、私のだめな部分(例えば約束の時間より自分の体調優先して遅刻するとか)も許容してもらってるとかあります。こんな感じで、エヴァのテーマと親和性高いので、シン・エヴァでシンジ君が綾波に差し伸べられた手に対して、言葉にならない嗚咽混じりのぐちゃぐちゃな涙を返したシーンとかね、めちゃくちゃ共感できるし、というか経験してる。私の師匠が「作品は、作者が体験していることだよ」とかつて教えてくれたんだけれど、そうなんだよなぁと。シンクロ率∞とか、本人そのものってことだもね。監督が自分のことまんま描いてるよね。だから、作品を語るってことは、自分を語るってことだから、私は物語を理解することを通して人を理解しているし、語ることを通して伝えてるつもりです。だから、妻と語るのも楽しみにしてネタバレ控えていたのですが、いざ視聴した感想を聞くと「神木隆之介の声がキモい」というので、なんだかなぁと。そっかぁ。この作品のメッセージを受けて、なお語りたくならなかったかぁと、結構残念だったり。
総括と来年度の展望に思考を使っていて、このエヴァのテーマをメインとして教育に取り込んでいきたいと思っているし、つじさんに見せていただいた幸せのありかについての考え方をあわせて、構築していけたらとおもっています。
そうそう… から始まる話を書こうとして書けずに30分過ぎたので、ここまでにしときます。あー、まだまだ未熟だなぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?