ある、ミライ①           (小説) どこかにある(かもしれない)国で、ひとり生きる女の子のお話。

1.智恵理 九才

 同じ色をした髪。目。
 目、目、め、め。
 目。
 ここにあるぜんぶの目が、わたしを見ている。
 クラクラする。

「えっ? 何? もう一回言って?」
 円くならんだイスの、わたしから見て、やや右よりの席。いかにもはしっこそうな男子がそう言って、わざとらしく、耳に手を当てるジェスチャをした。
「あのっ、戸賀、ち……」
 ここは、九才の子だけのクラス。
 わたしがいるのは、ドアに一番近い席。もっと言うと、先生のとなり。あせって大きな声を出そうとしたら、裏返った変な声になった。たちまち、ほおが熱くなる。
「だーかーらっ。聞こえないんですけどー。」
 さっきの男子が、みんなと同じ色をした目を生き生きときらめかせ、せせら笑った。
 茶色がかった、黒い瞳。
 毎朝、バスルームの鏡の中からこちらを見返してくる目と、いっしょの色。
 みんなが同じような見た目というのはやっぱり、変な感じがする。ここに来る前に、美鈴ちゃんからもさんざん、聞かされていたはずなのに。
 25区に住んでいるのは、だいたいが、『とどまっている』人たち。その人たちの親も、親の親も、親の親の親も、とにかくすごくむかしから、この土地で暮らしてきた。黒い目、髪。はだは、あせた麦わらの色。
 チョコレート色をしたはだをした子や、ピンクがかった、そばかすの目立つ白いはだ、金や茶色のかみ、緑や青の目の持ち主はまず、いない。ルーツのちがう人々とは、ほぼ映像の中でしか出会うことはない。
「もう一回、聞こえるように言ってあげてください。」
 先生のことばに、男子がフフン、というように口のはしを上げた。それをにらみつける余裕さえ、わたしにはない。
 前にいたところでは、自宅学習がふつうだった。
 先生や友だちと話をするのも、発言や発表をするのも、ぜんぶ、ライブカメラを通してだった。こんなふうに、おおぜい(先生は、わたしを入れたら二十一人になると言っていた! )が一度に集まって、カメラも通さずに何か言うなんて。それまでは一度もやったことがなかった。
がんばって、とはげましてくれる子も、いることにはいた。けど、クスクス笑う声のほうが、ずっと大きかった。
「ほら。みんなしずかに。」
 でも先生がそう言ったとたん、ものすごく静かになった。
 やめてよ。
 目、目、め。
 にげたい。帰りたい。でも、どこに?
「戸賀、智恵理です。……どうぞ、よろしく、おね」
 わたしはやっとの思いで、もう一度そこまで言った。
 なのに。
「せんせーっ。やっぱり聞こえなかった。」
 さっきの男子が、また言った。「べつに、ふざけているとかじゃなくてさ。ほんとうに聞こえないんだ。」
 わたしがくちびるをかんでうつむいていると、あちらこちらで、「わたしも。」「ぼくも。」とささやき合う声が聞こえてきた。
「もう一回。今度はもっと、大きな声で言いましょうか。」
 そんな。
 信じられない思いで顔を上げたら、先生に、さあ、とうなずきかけられた。
 何度やったって同じなのに。わからないの?
 のどが、ぎゅっとつまる感じがした。大きな見えない手に、じわじわとしぼられていく。苦しい。――わたし今、息、ちゃんと吸えている? 自分で、わからなくなる。
 息が吸えなかったら。
 死んでしまう。
 死んでしまったら。生き返れないんだよ。
 ここにいる子たちは、まだそういうのを知りもしないんだ。ふとそう気づいて、むねが焼けつくようなここちがした。うらやましくて、どうしようもなくねたましかった。
 ずるい。

「トカチ?」
 だれかのつぶやきが、ふと耳を打った。すぐ近く。「名前さ、さっきトカチって言ったんだよね。」
 おだやかな調子にハッとした。
 とたんに。

 ドッ、と、むねの中に空気がなだれこんできた。
「かはっ。」
 わたしは、むせた。
 息をまともにつくのには、しばらくかたを上下させていないといけなかった。それでも、助かった、と思った。さっきのはまるで、呪文みたいだった、と。
 空気が吸えるようになる、呪文。
「ぼく知ってる。第52区をむかし、そうよんでいたんだ。十、勝つって書くんだよ。」
 おだやかな、けれどよく通る声が、ほがらかにまた、そんなことを言った。
 声の持ち主を、わたしはさがした。呪文をとなえた子。――いた。
 先生をはさんで、となりの、となりの席。
 どうりで、近くから声が聞こえたわけだ。
 目が合った。
 男の子にほほえみかけられて、わたしはとつぜん――はらが立った。
 だってわたしは、トカチじゃない。戸賀だ。
 ふん、とにらみつけたら、男の子は目を丸くした。
「戸賀、智恵理ですっ。トカチじゃありません。52区からじゃなくて、7区から来ました。」
 わたしは鼻息もあらく、自己紹介をやり直した。
 怒りにまかせて声をはり上げたら、さっきとは比べものにならないくらい、大きな声が出た。ただし、ものすごく低くて、かたくて、そして、とがっていた。先生が言った。
「はい。よかったですよ。これからは、いつも今くらい、はきはきと発表しましょう。」
 ぜんぜん、よくない。
 こんなふうになるはずじゃ、なかったのに。

 朝の会のあとで始まった一時間目は、算数だった。やっていた内容は、それほど難しくはなかった。家で学習していたのより、かんたんなくらいだ。
 これならやっていけそう。
 ほっとしていたところにチャイムが鳴って、明かりが切りかわった。キリっとした青白い光から、リラックス用のやわらかい光へ。――こういうの、 25区でもやるんだ。
 意外に思いながら見回していたら、せかせかと教室を出ていく先生のすがたが目にとまった。
「次は社会科ですよ。」
 それだけを言い残して。
 そんな。置いていかないで。席で、わたしはひとり、すくんでしまった。
 みんなが何となく、こっちを見ているのがわかる。なのにどちらを向いても、だれとも目が合うことはなかった。すっ、と視線を外されてしまう。
だれか、話しかけてくれたらいいのに。どうすればよいのか、わからない。 
 口の中が、カラカラにかわいている。水が飲みたい、と思った。そこに。
「きーめたっ。」
 場ちがいにはしゃいだ声。「こいつのあだ名、〈トガリ〉なっ。」
ギクリと顔を向けると、ずっと、『聞こえない』としつこく言い続けていた、あの男子だった。
 ただし、顔からはあの二ヤニヤが消えていた。
「何だよ? にらむなって。顔、チョーまっかだし。」
「……それが、何? 顏が赤いからって、あんたにめいわくなんかかけてないでしょ。」
 わたしが言い返すと、男子はきょとんとして、それからすっと目を細めた。
 それが、笑っているのだと気づくまでに、時間がかかった。
 イヤな笑い方だ。そう思った。映像資料で観た、ヘビみたい。
 画面の中で、ヘビは小鳥の巣にシュルシュルとはいよって行って、中のたまごをまる飲みにしていたんだった。
「……まあ、いいや。とにかく、おまえはこれからトガリだから。」
 男子は目を細めたままそう言うと、いいよな? というように教室を見わたした。
 何も考えていなさそうにわらっている子、目をふせる子。
「決定だなっ。」
 二十人、いや十九人か――もいるのに、ヘビに立ち向かおうって子はだれもいない。
「なんでトガリ?」
――ひとり、いた。「だったらトカチのほうが、ぜったいにいいって。」
 さっきの「トカチ」の子だ。そしてまた、というかまだ、「トカチ」って言っている。自分がピンチなのもわすれ、わたしはあきれてしまった。
「いいから。」
 ヘビの男子が、なれたようすで手をしっしっ、とふった。「ユウヒ。おまえは、だまっとけって。」
 ユウヒ。どうやらそれが、男の子の名前のようだ。
「えー? でもさあ、」
 ユウヒは、ヘビがこわくないらしい。それどころか、仲がいいみたい。
 ふたりはしばらく、ああだ、こうだと言い合ってじゃれていた。
わたしのあだ名のことは、そのままうやむやになった。


奇特な貴方には、この先幸運が雨あられと降り注ぐでしょう!