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人と仲良くなりたい(11/27夜)

大学生になってから既に7ヶ月もの時間が経過したのに、数少ない友達は居るものの、未だに他人と友好的な関係性を結ぶことの難しさに頭を抱えている。
出来上がってきた仲良しグループ、先輩と共同で制作をする者、段々と剥がれてきた人格のメッキ、
その全てが俺に焦燥と劣等感を与えていた。

どうしたら人と仲良くなれるのだろうか。どうして目に付く他人のような人格者になれるのだろうか。
群れているのに個々の境界を持ち、たとえ一人の時でも立派に生きてるように見える彼ら彼女らに、俺は言いようの無いルサンチマンを煮えたぎらせていた。
いや、「言いようの無い」は嘘だ。
"羨ましい"という簡単な言葉で表せることを、下らないプライドによってそれを誤魔化そうとする悪癖だ。

人と仲良くなりたい。
そんな単純なことを考えながら向かった先は、18年間腐るほど見た河川敷である。
そこには穂先を揃えて、仲の良さそうに音を立てて揺れるホソムギが群生していた。俺はその姿や音がどうにも人のように見え、人と仲良くなる秘訣を探るため、河川敷の中心で、自分の姿をホソクサに変えた(俺はイネ科の植物に変身する事ができる)

この行動を起こすにあたって、ホソクサは風に煽られ、隣のホソクサに当たることで音がサワサワと鳴り、コミュニケーションを行っていると仮説を立てていた。
しかし、いきなり話しかけてもキモいと思われそうだったので、初めの二時間はどんなに強い風が吹いても、直立不動を貫いた。
正直何度か話しかけるチャンスはあったが、
万全では無かったために、相槌のような独り言を発することしかできなかった。
すると、段々と周りのホソクサが少しだけぶつかってきたり、好奇に近い視線を送ってくるようになった。
俺はホソクサ達が小声で話していることが何かはわからなかったが、やはりそれらの行動を肯定的に捉えることができなかった。
居心地の悪さを考え事で誤魔化し、
ホソクサは実は話してなんかないんじゃないか、という邪推も脳裏によぎるほど退屈な時間が過ぎた。
結局その日の晩、その気まずさに耐え兼ね、風が止んだ時にホソクサの姿から人間に戻り、逃げるように帰路へ着いた。

翌日、大学へ行ってみた。
しかし、ホソクサの社会を体験したことで変わったことといえば、駅でぶつかってくる中年に苛立ちを覚えなくなったことくらいだった。
やはり相変わらず人とは上手く話せなかったし、他人には羨望に溢れた眼差しばかりを向けていたら、授業もすぐに終わってしまった。

帰路を辿る間、昨日居た河川敷が目に入ったが、ホソクサは全て刈り取られていた。

丸裸になった河川敷を見て、
また一つ季節が、何も出来ないまま終わっていくことによる焦燥感を噛み締めた。

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