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参院選を終えて

 参院選からもう一週間になりますね。政治の世界はすでにめまぐるしく動いているけれど、ぼくはまだ消耗から回復していません。

 今はひとまず、情報部をやり遂げることができてほっとしています。多くの人に支えていただいたおかげです。

 また、すべてにお返事するのは難しいのですが、いただいたメッセージには目を通しました。本当にありがとうございました。

 参院選の期間中にドタバタしながら書いてきた記事が3つ出ているので、もしまだ読んでいない人がいたら、目を通していただけると幸いです。大局的に敗北が見えている中で、何をすくい取り、どうすれば希望をつないでいけるのかといった問題意識で書いたつもりです。

 少し紹介させてもらうと、第1回はここ3年間の世論と選挙を概観する内容です。共有すべきものをまず示したという感じで、内容としては起伏の少ないものに思われるかもしれません。政党が支持を伸ばすのはどういうことかという点についてと、誰がれいわ新選組を支持したかという点については、うまく踏み込めたのではないかと思います。

 第2回は野党共闘について徹底的に検討を加えました。立憲民主党がいかにして支持を得て、いかにして支持を失ってきたかということを考察した箇所は、多くの反響をもらうことができて嬉しかったです。労働組合の話はいずれ、もっと深めて書いていきたいです。

 第3回は今から3年前に提唱した「政治の空白域」の話です。若年層から50代までに存在する(政党)政治に失望した人たちの集団のことを、以前、文藝春秋に書いたときこう呼ぶことにしたのでした。空白域という言葉はもともと地震学の用語で、「プレート境界のうち、大きな地震が長いこと起きていない領域」のことです。そこは地震によって歪みが解放されることがなく、長きにわたって蓄積を続けてきたわけですから、やがては大地震に至ります。空白域というのはただ空っぽの領域なわけではなく、歪みが蓄積されているところであり、やがて大地を揺るがすのだ――「政治の空白域」はそういったイメージからつけた言葉でした。

 3回を通して、選挙はここまで解剖できるんだというおもしろさを伝えたい気持ちがありました。「選挙は闘わなければ埋没する」というメッセージもありました。他方でその裏では、一貫して政治に失望した人たちに光を当てようとしてきたつもりです。

 今の選挙があまりにそうした人たちを置き去りにしているように思えてならないから、その人たちに目を向けなければだめなんだということをぼくは訴えていきたいです。

 参院選が公示される前の日に、ある政見放送の動画を紹介しました。政見放送に限らず、あらゆる訴えかけをする上で、多くの候補者や支持者にとって得られるものがあると考えたからです。まだの人は、冒頭30秒でも見てもらえたら、雰囲気が伝わるのではないかと思います。

 この動画の良い点はいくつもありますが、そのうちのひとつには、人々の顔や対話の場面があることが挙げられるかもしれません。当たり前なようでありながら、見過ごされがちなことです。

 今回の選挙で、多くの著名人の応援表明を並べてサイトを飾っている候補者を見かけました。一般の人々の顔がない。言葉がない。ぼくはそう感じました。

 若者の投票率を上げるにはどうしたらいいのかと訊かれることがあります。けれどぼくは、それは問題の捉え方がずれているように感じます。

 政治家が「若者」と言うときに、念頭にあるのが「政治に関心のある若者」ばかりであるように思えてならないのです。例えば学校でイベントをやった時に発言するような、あるいは自ら政治のイベントにやってくるような、関心の高い、聞き分けのいい、そういった若者ばかりを見たがっているのではないでしょうか。

 そうして集会やイベントをやって、若者たちをバックに集合写真を撮って真ん中で政治家が笑っていたりする。ぼくにはそうした政治家がどこか道化師に見えるのです。呆れるほどの現実との乖離がある。

 大事なのはそういうところに来ない若者ではないですか。圧倒的多数の、政治に失望した人たちの一部分をなす若者たち。そして様々な世代にいる政治に失望した人たちの全体。その人たちが未来への鍵ではないですか。この国の閉塞を打ち破って未来の扉を開いていくとしたら、鍵を握るのはそういった人たちです。

 最低限、それを気にかけるということがないのなら状況なんて変わりません。にもかかわらず、それをことごとく置き去りにした選挙が続けられている。それを変えていくことができなければいつまでも小さいパイを争っているばかりで、何も良い方向には変わらないようにぼくには思えます。

 「私の主張を聞いて」というのではなく、「あなたの声を聴かせて」という候補者が、ぼくはもっと見たい。

 さて、参院選の分析や総括はぼくの調子が戻ったら徐々にはじめていくとして、結果にがっかりしている人たちに向けてちょっとだけ書いて終わることにします。

 民主主義においてやらなければならないことが100個あるとするならば、選挙はそのうちの1個か2個にすぎません。

 有権者が選挙でできるのはあくまで「代表の選出」です。政策が選べるわけではないですし、選ばれた代表が何を実現するのかも、一つ一つの出来事を前にしてどのように振舞っていくのかも、選挙では決まりません。選挙の際に掲げた公約が後から反故にされたとしても、法的な責任が問えるわけでもありません。

 だからこそ、選挙後が大事なんです。特にこれからの3年は。

 選挙はあくまで権力の座を空白として、その空白に一時的に誰をいれるのか、どの政党をいれるのかをそのつど選んでいるだけです。だから「次」を変えることを考えて、臆することなく発言してください。

 そして10年、20年たってから今を振り返ったときに、あそこから未来が開けたと思い返せるようになればいい。そのように現実を変える力を人は持っているはずだから。

 がんばっていきましょう。ぼくもまたがんばるから。ね!

 2022.07.16 三春充希