拒絶の投票――最高裁国民審査の地域分析
のべ6億の投票
最高裁の裁判官は司法のトップの人たちです。けれど信用を失えば「さらに偉い人」の手によって辞めさせられることになっています。その手を担うのが有権者――。国民審査はそうした意図をもつ制度であるといえるでしょう。
国民審査が実施されるのは衆院選と同じ日です。投票する際は辞めさせた方がよい裁判官の氏名の上に「×」を書き、続投してよい裁判官には何も書かないままとします。開票の結果、「×」が書かれた票が有効票の過半数に達した裁判官は、所定の期間を経た後にその地位を失います。「×」が書かれた票は正しくは「罷免を可とする票」と呼ばれますが、この記事では簡潔に「罷免票」としました。
第25回国民審査(2021年)で用いられた投票用紙の見本を図1に示します。最高裁の裁判官15人のうち、この回は第24回国民審査(2017年)以降に任命された11人が対象となり、のべ6億2898万8848票の有効票が投じられました。
初めてこの制度が導入された1949年から現在までに審査された裁判官は179人にのぼります。しかし罷免が成立した事例は一つもないため、制度が形骸化しているとの指摘も少なくはありません。確かに昨今の情勢においては、国民審査は罷免の成立が見込めないものと化していると考えざるを得ないでしょう。他方でそれは、結果の見えた投票だからこそ、全てを承知で罷免票を入れた人たちの意思表示のありかたを描き出し、問い直すことが意味を持つとも言えるのではないでしょうか。
罷免票の全国集計
次の図2に示したのは、第25回国民審査(2021年)の全国における罷免票と「罷免を不可とする票」の集計です。裁判官は罷免票が多かったものを上から並べました。なお罷免票の相対得票率とは有効票に占める罷免票の割合で、以降は簡単に「罷免票の割合」と呼ぶことにします。
図2において、裁判官の氏名の横には三つの色をつけています。
灰色は、任命されたのが第25回国民審査(2021年)の直前であったため、審査の時点では最高裁で判断を下した事件がなかったことを表します。これには2021年9月に任命された岡正晶氏と堺徹氏、2021年7月に任命された渡邉惠理子氏と安浪亮介氏が該当し、罷免票が最も少ないグループをなしていることがうかがえます。投票の際の判断材料の乏しさから、これら4氏の罷免票には全裁判官に「×」を書いたものが多く含まれると推測され、それは一人一人の裁判官への否定的な評価というよりも、今の司法そのものに対する不信任の票に近いと考えられるのです。
青と赤のグループは、夫婦別姓をめぐる憲法判断で分けています。青色は、夫婦別姓を認めない民法と戸籍法の規定を合憲とした深山氏、林氏、岡村氏、長嶺氏の4名です。赤色は、これを違憲とした宇賀氏、草野氏、三浦氏の3名です。これらのグループには票差が見られました。
投票日より前に行われた裁判では、他にも参院選の一票の格差をめぐる憲法判断が割れています。また林氏、長嶺氏、宇賀氏、渡邉氏が所属する第三小法廷では、渡邉氏の任命より前に袴田事件の再審や、沖縄県名護市辺野古における基地建設の埋め立てにかかわる「辺野古サンゴ訴訟」、契約社員に退職金を支給しないことが不当かが問われた「メトロコマース事件」が扱われ、宇賀氏が反対意見を述べています。
これらの罷免票に対する影響は後ほど細かく検討していきますが、まずは各裁判官の区別をせずに、総じてどこで罷免票が多く、どこで少なかったのかを見てみることにしましょう。
地域分布の全貌
国民審査は人々の関心が低いためか、詳細な情報を明かしていない自治体が多く存在しています。しかし今回は各地の選挙管理委員会の協力を得て、前例のない市区町村レベルの解像度での分析が可能となりました。
次の図3は、市区町村ごとに各裁判官の罷免票の割合を求め、そうして得られた11人の結果をさらに平均したものです。一人一人の裁判官について別々に見たい方は図64~74をご参照ください。
図3からは、北海道、東京都、京都府、沖縄県などで罷免票の割合が大きかったことが読み取れます。関東地方や近畿地方、沖縄県については、それぞれ以下に拡大図を示しました。
有権者密度との関係
以上からまず見えてくるのは、北海道と沖縄を別としたとき、都市部で罷免票の割合が特に大きいということです。都市部は人口密度が高い地域ですが、いま行っているのは票の検討なので、人口のかわりに有権者数を用いた「有権者密度」で考えてみましょう。
次の図7は、縦軸を罷免票の割合の平均、横軸を有権者密度(対数軸)とした、市区町村の散布図です。特に罷免票の割合が大きかった沖縄県、東京都、京都府、北海道、神奈川県、大阪府は固有の点で示しました。なお沖縄は図の上限を超えている自治体が存在することに留意してください。
図7は込み入ったものですが、東京都の自治体を先頭群として、左下にかけて点が密に分布する領域があることがうかがえます。対して沖縄県と北海道のほとんどの自治体は、その領域から大きく上にずれています。
ここで、2つのデータの関係性の強さを見るために相関係数を計算してみましょう。相関係数は、データが完全にばらついていて傾向の見られないときは0となり、データがばらついていたとしても総じて右上がりの傾向をもつときはプラスの値をとるものです。傾向が明瞭なほど値は大きく、一般には0.2~0.4で弱い正の相関、0.4~0.7で中程度の正の相関、0.7~1.0で強い正の相関があると言われます。逆に全体として右下がりの傾向があるときは相関係数はマイナスで、負の相関と言われます。
図7について相関係数を求めると、それは0.41で中程度の正の相関となり、データ全体は、有権者密度が高いほど罷免票の割合も大きくなる傾向を持っていることが明らかとなります。
これには、都市部には若い層が比較的多く、夫婦別姓を認めない規定を合憲とした裁判官に多くの罷免票が投じられたことが一因として挙げられます。他方で後に触れるように、都市部は過去にも一貫して罷免票の割合が大きい傾向が見られました。これは、都市部に大学が多く立地する事情と関係があることを改めて指摘します。
さて、図7では、点が密に分布する領域から、沖縄県と北海道が上に大きくずれているのでした。つまりこの2道県には、有権者密度とは異なる事情が働いていると考えられそうです。そこで沖縄県と北海道を除外すると、相関係数は0.66に上がりました。
また東京都と大阪府に注目すると、人口密度が同じ程度の自治体を比較しても、大阪のほうが低くなっていることが読み取れます。こうしたことは何に由来すると考えられるのでしょうか。
野党の地盤との関係
罷免票の割合の高かった京都府は、共産党の地盤であることが知られています。北海道では立憲民主党が強く、沖縄では多様な野党各党が厚く支持されます。そこで今度は、野党の票との関係に着目してみましょう。
次の図8は、縦軸を罷免票の割合の平均、横軸を野党(自民党と公明党以外の全政党の合計)の相対得票率とした、それぞれの市区町村の散布図です。相関係数は0.57となりました。
維新の強い大阪府では、野党の相対得票率の高さのわりに、罷免票の割合はそこまで大きくはありません。逆に沖縄県は野党が弱い市町村でも罷免票の割合が大きいことが読み取れます。
密な分布を外れている沖縄県を除外すると、相関係数は0.76に上がり、罷免票と野党の比例票の間には強い相関がみられました。対して沖縄県では、与党が強い市町村でも多くの罷免票が投じられていることがうかがえます。
罷免票の割合が大きかった市区町村
罷免票の割合が特に大きかった市区町村を以下に示しました。順位は罷免票の割合の平均でつけており、これは図3~6に示した地図と同じデータによっています。また「罷免票の割合」の欄には、平均だけでなく11人の裁判官の最小値と最大値もそれぞれ示しました。
1位の沖縄県大宜味村は野党が卓越する自治体です。実に第49回衆院選(2021年)の比例代表では、共産党の得票数が自民党を上回り、立憲も自民を上回り、社民とれいわの合計も自民を上回る結果でした。ここでは罷免票の割合の最大値が50%を超えた裁判官が2名確認されました。罷免票が過半数となった裁判官がいるのは全国のうちここだけです。
1位から25位まではほとんど沖縄県の独占となりましたが、5位には立憲民主党の日本一堅牢な地盤である北海道音威子府村が、24位には共産党の牙城で京都大学の立地自治体でもある京都市左京区が入りました。
次に26~50位を見てみましょう。
27位には北海道の占冠村が入っています。かつて北海道で強みを見せた社会党(1945~1996年)の地盤が民主党(1998~2016年)に受け継がれるなか、占冠村は音威子府村とともに新社会党の支持が厚い「孤島」として残り続けました。現在、音威子府村は立憲の、占冠村は社民の地盤となっています。
東京都で最も上位にきたのは、東京大学の立地する文京区(34位)でした。このように、主要な大学が立地する自治体で罷免票の割合が大きくなるのはしばしば見られる傾向で、都市部の高い関心を支えていることがうかがえます。
51位~75位を見てみましょう。
沖縄県の自治体はなくなり、京都府、東京都、北海道の自治体が占めました。京都市内の多くの地域や、東京都区部の大半がここまでに入ります。
結果が衆院選に左右される
第25回国民審査(2021年)の罷免票の割合について、野党の地盤や都市部で多いことや、沖縄が突出することなどを見てきました。では、そうした傾向はいつごろ顕著になったのでしょうか。今度は時間的な推移を検討したいのですが、その前にまず次の事実から指摘しなければなりません。
国民審査には、信頼に値する裁判官の罷免票は少なく、信頼に欠ける裁判官の罷免票は多くなることが期待されるでしょう。しかし現行の制度では、裁判官に対する罷免の可否という評価が、衆院選という別の事柄に大きく左右されているのです。次の図12に、第20回国民審査(2005年)から直近の第25回国民審査(2021年)までに審査された裁判官の罷免票の割合の平均を赤線で示しました。他方で国民審査の投票率を青線で示しました。これらはいずれも全国の合計によっています。
このうち罷免票の割合の平均が最も少なかったのは第21回国民審査(2009年)で、これが実施されたのは民主党への政権交代が起きた第45回衆院選(2009年)と同日です。逆に最も多かった第23回国民審査(2014年)が行われたのは、衆院選の投票率が史上最低となった第47回衆院選(2014年)と同日です。
実にこの図12から明らかなのは、各裁判官の平均においては、罷免票の割合が高くなるのはただ投票率が落ちる時であるということです。図12に示した罷免票の割合はそのとき審査された全裁判官の平均であるため、判断材料の少ない新人裁判官が多く対象に含まれた回は、すでに図2で見たように「×」を書く人は少なくなっている面もあるのでしょう。しかしそうしたことさえも衆院選の投票率の前にはほとんどかき消されてしまうのです。
投票率に左右される理由は単純明快です。国民審査の投票率は、同日に実施される衆院選とほとんど変わりません。そのため、衆院選の投票率が伸びるときには国民審査に対して関心の低い層がより多く投票所へと足を運び、国民審査の投票用紙を受け取って、そのまま投票箱に入れるのです。つまり全体として罷免票の割合が減ったとしても、一概に最高裁の裁判官への信頼が増したわけではなく、その逆もまたいえるのです。こうした制度がいつまでも続けば、どこかの時点で衆院選への関心が裁判官の命運を左右することになってしまうでしょう。
2014年に起きた沖縄県の突出
以上のことは問題ですが、日本社会のありかたをとらえるという問題意識の側からは検討を進めることが可能です。図12に示した罷免票の割合の平均を、今度は都道府県ごとに分解してみましょう。
結果が投票率に左右されてしまう以上、この図13ではそれぞれの都道府県の位置関係に注目する必要があります。
都道府県の入れ替わりは少なく、都市部はほぼ一貫して罷免票の割合が大きいことがわかります。対して沖縄の位置は、第20回国民審査(2005年)と第23回国民審査(2014年)以降で高く、近年は他の都道府県との差が開いていっています。
第20回国民審査(2005年)は、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した事件の翌年にあたり、日米地位協定に対する問題意識の高まりが反映したと解釈できるでしょう。第23回国民審査(2014年)以降は、沖縄県名護市辺野古の基地建設をめぐる民意の動きと考えられそうです。
無効票はどこで多いか
次に、第25回国民審査(2021年)で投じられた票のうち、「×」以外のことが記載されていて無効票となったものの割合を調べました。全国の地図と、関東地方、近畿地方、沖縄県の拡大図をそれぞれ示します。
沖縄県で高いことがここでも浮き彫りとなっています。
都市部で罷免票の割合が大きかったことはすでに見てきました。その一方で図14~16の結果からは、都市部に無効票の割合が大きい傾向はほとんど見られません。北海道も同様です。しかし沖縄県では罷免票と無効票の両方が多いのです。
もっとも沖縄県の無効票の割合は一般に高いことが知られています。しかし第49回衆院選(2021年)の小選挙区をみると、全国の無効票の割合が2.45%だったのに対し、沖縄県は2.14%と、むしろやや低いほどでした。これが比例代表になると、全国の2.42%に対して沖縄県は3.70%と超過します。そして同日の第25回国民審査(2021年)に至っては、全国の2.38%に対して沖縄県は7.08%となるのです。地元の代表を選ぶときには無効票は少なく、それが比例の九州ブロックとなると増え、全国の国民審査となるとさらに2倍に増えています。これは沖縄から見た本土との距離感を表すものといえるでしょう。
また、このことは次のような観点からも問われなければなりません。周知のように沖縄県には米軍基地が集中しており、県民は騒音による健康被害のほか、航空機からの落下物や墜落事故、有害廃棄物の流出といった危険におびやかされています。そうした状況は差別にあたるとして、国連人種差別撤廃委員会は日本政府に是正勧告を行いました。
自国民の人権が侵害されている事態を前にして、最高裁はこれまで責任を果たしてきたと言えるのでしょうか。むしろ砂川裁判より65年、日米安保に関わる司法判断を放棄して、憲法に書かれた権利が侵されている状況を黙殺してきたといえるのではないでしょうか。
図17からは名護市やそれに隣接する自治体で、無効票の割合が突出することが読み取れます。名護市では市内の辺野古で新基地建設のための埋め立て計画が進められており、県民投票で反対の民意が示されても、反対の知事が当選しても、国は無視してこの計画を強行してきました。そうした状況の中で、国民審査で「×」を書いても仕方ないのだと考える人が多いことは想像に難くありません。いずれにせよ沖縄県の無効票がこれほど突出することは、今の社会の著しい歪みと不平等を象徴するものと言わざるを得ないでしょう。
この現実をどうするのかということを、データは問いかけているのです。
以上で序盤の議論を終わります。ここからは個別の裁判官の意見を検討し、夫婦別姓を認めない規定や参院選の一票の格差について、合憲と判断した裁判官と違憲と判断した裁判官の罷免票の地域差を描きました。また、特徴的な結果が見られた市区町村を個別に取り上げ、衆院選と国民審査に著しい投票率の差がある自治体の存在を指摘します。末尾に全ての裁判官の罷免票の分布を地図として示しました。
みちしるべでは様々なデータの検討を通じて、今の社会はどのように見えるのか、何をすれば変わるのかといったことを模索していきます。今後も様々な発見を共有できるように取り組んでいくので、応援していただけたら幸いです。