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合理的な新型コロナ対策のために

 新型コロナウイルスの全国的な拡大は深刻であり、早急に合理的な対策を講じなければ、さらに多くの人的被害や経済的損失が生じてしまうことは明白です。もちろん状況に対応するために病床や収容施設の確保、現金給付や休業補償、ロックダウンなど人出の抑制策、検査拡充といった様々な対策が議論されています。しかしそうした対策の前提として見落とせないものがあることを指摘しなければなりません。

 様々な対策の土台となるのは政治への信頼です。けれども新型コロナが日本に持ち込まれてから一年半を経て、現在はその信頼が著しく損なわれた状態となっています。また今の日本には、新型コロナをめぐる間違った情報があまりに多く出回りすぎています。そうしたものを正していかなければ、市民の協力を得て十全な対策を講じることは実現しないでしょう。実際にとられる対策が申し訳程度のものに終わったり、掛け声程度の協力の呼びかけに終始するという結果にもなりかねないわけです。

 単刀直入に書くならば、この一年半のあいだ、政府や厚労省、そして一部の医師や専門家によって宣伝された偽情報は撤回されなければなりません。PCR検査の感度・特異度が低いというのは嘘でした、我々は間違った情報を広めてきましたと認めさせ、撤回させる必要があります。そうしなければ検査の拡充はこれまでどおり遅々としか進みはしないでしょう。検査を増やさなければといくら訴えたところで、「偽陽性が」といった話が社会に蔓延していては、増やさなければならないという切迫性が共有されていかないのですから。

 情報が正されることは、新型コロナが蔓延する中で生活していかざるを得ない市民にとっても重要なことです。間違った情報が払拭されなければ、たとえ検査で陽性と判定されても、「偽陽性ではないのか」と疑う市民が続出してしまうでしょう。そう思い込みたがる心理が人間にはあります。こうした点においても嘘だったということは周知されなければならないのです。「4日間はうちで」と言ってきたのも間違いでした、早期に隔離施設に収容すべきでしたということも言わなければなりません。私たちはあまりにも大量の感染が発見されて収容しきれなくなることを危惧したのだけれど、それでもPCR検査をやるべきだったと言わなければならないのです。

 現在は統計が歪んでしまうほど検査が少ない状況です。また、検査を希望する市民が速やかに受けられずにいたり、いまだに多くの場合で高額な自己負担が強いられています。このような状況はすみやかに打開されなければなりません。対応は急を要します。こうした偽情報に対する責任がとられ、最低限でも「誤解が広まってしまいました」ということが明らかにされ、状況の立て直しが図られなければなりません。信頼を取り戻すにはそういうことを経るよりほかにないはずです。

 偽情報が払拭され、PCR検査が十分拡大していけば、感染している人に「自分は感染している」という自覚を持たせることが可能となっていきます。「感染していることがわかっても特効薬はないじゃないか」「有効な治療法がない以上できることは変わらないじゃないか」といったことを主張し、「感染していることが分かったって何になるんですか」と言った医師さえいましたが、彼ら彼女らは、感染しているという自覚をもつことが患者本人の行動を変容させることに考えを及ぼしていないのです。

 PCR検査を無料化し、拡充する。駅の近くなど、誰もが通る場所で検査ができるようにする。今なら唾液検査もあるのですから、そうしたキットを配布する。簡単な本人確認ができれば誰でももらえるようにする。そうしたことを行って徹底的な検査を実現し、感染している人にきちんと感染しているという自覚を持たせることは有効です。

 検査拡大とともに統計が改善されれば、今度はデータが政治に対して突き付けられてきます。そうすれば当然、状況に応じた収容施設や医療設備の拡充が問題になるでしょう。もちろん現状がすでに相当厳しいのですから、こうしたことは予測込みで即座に動かなければならないことですが、ともかくそのために労働力と資本をどのように投入していくのかということが政治の課題になるわけです。可能なものについては既存の施設や生産設備を転用するということもあり得ますし、間に合わなければ外国に支援を求めるという選択も考えられるでしょう。

 隔離施設も早期に作る必要があります。各国がやっているように、公的な体育館などにベッドを並べれば、医師、看護師が効率よく診察をすることができます。これが事実上の自宅放置となっている「自宅療養」であるならば、医師や看護師が一軒一軒訪問することは到底できないですし、電話でやり取りするのにも伝えられる情報は簡単な内容に限られます。医師や看護師が直に状態を目で見ることができる、そして患者の声が届く、そういう環境を作る意味は大きいといえるでしょう。症状の重さに応じて隔離施設を複数種類設けてもよいですし、いよいよ症状が厳しいとなった人は病院に送り出していく。こうした見通しをつけて、社会の様々なリソースを組織していくわけです。
 
 政治はこういった構えで物事を進めていく必要があるはずです。ここで書いたことは何も特別なことではなく、単に、新たな問題を前にして社会はどうあるべきなのかという構想を組み立て、物事を組織し、労働力や資本を投入していくということにすぎません。そして普通、社会に何らかの問題が起きたとき、政治はそうしたことを行っていくわけです。

 けれどもこれまでの間、政府は驚くべき問題解決能力のなさを露呈してきました。そればかりか市民の生活を軽視して開き直っている状況です。しかし野党もまた、これまでのコロナ対策の欺瞞や不公正を前にして批判や提案が精彩を欠いています。社会に蔓延するデマ、政治への不信、そうしたことに毅然と向き合うことを抜きにして、「予備費があります」「自粛と補償はセットです」というようなことをいくら言っても、それはコロナと戦う社会の姿を示すことにはならないのです。

 でたらめや欺瞞が社会に蔓延し、人々は政治を信用していません。そして野党自身もまた、人々の感じているおかしさに正面から応え、筋道を示すということを満足にできているとはいいがたい状況です。

 行われた不公正にたいしては、正面から対峙しなければなりません。過ちと向き合って政治の信頼を取り戻すことが不可欠です。そのような姿勢を前提として、まともな、合理的なコロナ対策が講じられていかなければなりません。現政権がやってきたものではなく、コロナと対峙する別の社会の姿があることを示さねばなりません。現政権が拒んでも、こうした姿勢のもとに議論の場で、討論の場で、選挙の場でたたかうことができますし、国民から「こいつらは信用できる」とみなされていけば、状況は打開されるのです。

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