それぞれが、それぞれの場所から
早いものでもう参院選から2週間になりますね。ぼくはいまだに選挙の後始末をしたり、選挙期間中に棚上げしたことに取り組んだりしていて、機敏な動きがとれないままでいます。昨今の問題に出遅れているのが残念です。
政治と旧統一協会をめぐる問題について、何か書かなければとはずっと思っていました。ぼくのところにも旧統一協会に関するリプライがやってきます。それらの中には、この件をやや誤って捉えているような印象を受けるものも少なくありません。例えば次のようなリプライです。まずはその辺りから話を始めましょう。
これらは「与党の支持層が旧統一協会と関係しているのだろうか」という疑問ですが、より断定的なものも数多く寄せられます。
けれども現実の与党の支持層は、旧統一協会とは無関係な人たちがほとんどです。これは確認しておいた方がよいと思うので、少し数字を用いて見てみましょう。
ところで、数字といってもどのような数字を使うのかという問題があります。文化庁によって実施された令和3年度の宗教統計調査によると、日本における神道の信者は8792万人、仏教が8397万人、キリスト教が192万人、諸教が734万人となっています。合計すると日本の人口を上回るほどになってしまい、把握されている信者数が実態と乖離していることがうかがえます。こうしたデータを参考にしても勢力の実態はわかりそうにありません。
こうしたときには世論調査が威力を発揮します。つまり、「あなたは何か宗教を信仰をしていますか」と質問し、信仰の自覚を聞いてしまえばいいわけです。これは実際、1996年にNHKによって実施された全国県民意識調査のなかで聞かれました。データがやや古いですが、2、30年程度では宗教に大きな変化がないという前提をおいたうえで見てみることにしましょう。
これは当時の16歳以上を対象として行われた全国世論調査なので、1ポイントがおよそ100万人に相当します。合計すると31.2%なので、これは3120万人ほどです。一番多い浄土宗・浄土真宗系が1290万人で、創価学会は300万人、キリスト教系が150万人、神道系が120万人などとなっています。実は神道は少ないんですね。
おそらくここを見ている方の中には地理好きの人も多いでしょうから、せっかくなので、それぞれの宗教について作った地図を掲載しておきます。記事のバランスが悪くなってしまうとも思ったのですが、他に出す機会もなさそうですし、よければ見ていってください。
浄土宗・浄土真宗系がいわゆる北陸三県に強いこと、創価学会が都市部で強いこと、歴史的な経緯からキリスト教が長崎を地盤とすることなどがうかがえます。
また、以上の全ての宗教を合計した「宗教信仰率」の分布は次のようになります。ぼくはこの西高東低の傾向が、日本の世論や選挙を検討する上で軽視できないのではないかと考えてきました。
この辺で話を戻すことにしますが、ここで取り上げた図表の細かいデータを知りたい方は、NHK放送文化研究所編『現代の県民気質―全国県民意識調査―』を参照してください。政治観、宗教観、人生観から好きな花の種類まで、多くの項目が載ったデータ中心の本になっています。
さて、ここまでで挙げた図表には旧統一協会の項目はありません。この調査を行った時、NHKが旧統一協会を宗教団体とみなしていなかった可能性もあるかもしれませんが、より考えられそうなのは、信者数が少ないため、選択肢として設けるのが難しいと判断されたケースです。
一般的に世論調査の質問と回答は適当に作っているわけではなく、できるだけうまく情報を得るために綿密な計画が練られます。ここで紹介した世論調査には県民性を知るという目的がありました。この調査では各都道府県で900件の回答を得ていますが、一定よりも信者数が少ないと、その回答数の調査には引っかからなくなってしまいます。すると当然、県民性につなげた議論をすることもでないので、選択肢にはふさわしくないということになるでしょう。
先のNHKの調査に載っていた立正佼成会の信仰率は0.5%でした。日本全体で50万人相当です。全員同じ党を支持した時の支持率も0.5%、全員同じ候補に投票しても全国比例代表で議席に遠く届かない、そういった数字です。旧統一協会についてはなおさらですから、信者の票が自民党を支えているだとか、自民党支持者の多くが信者とつながりがあるなどとみなすことはできません。それは数としてはとても小さいものであるはずです。
数としてなら小さな部分。しかしそれが政治の中に深く入り込んでいる――そういったことが問題の中心にあるわけです。
これは、旧統一協会そのものの信者数や票数は少ないものの、選挙の時にお金と人手を出すためです。単に選挙の際の「集票マシーン」として機能するだけではありません。政治家が望むのが集票だとしても、協会は協会の利害で動き、ボランティアや秘書を入り込ませるなどの手法を通じた浸透が行われてきました。そういった秘書にスキャンダルをおさえられ、首に鈴をつけられた政治家も大勢いるのでしょう。単なる集票マシーンとして矮小化して理解するのでは、これほど政治に浸透され、マスコミにも浸透されてきたということが説明しきれません。
旧統一協会は国会議員の私設秘書だけでなく、地方議員の周辺にも入り込んでいる可能性もあります。それをひとつひとつ明らかにして追求していく必要があります。そして最終的には、そうしたものは政治の場面から退場させていかなければなりません。
「カルトは話が別だ」「被害を止めるべきだ」と公然と批判できる政治家はよいですが、「あれも一つの宗教ですから」「信仰は個人の自由ですから」などと問題をそらしたり擁護しようとする政治家は注意が必要です。
そしてまた、自民党には旧統一協会に浸透されてきた面がある一方で、左派やリベラルを攻撃するための実働部隊として協会を利用してきたのではないかということもまた、厳しく問われなければならないでしょう。
いま持ち上がっている旧統一協会の問題は日本のナショナリティにかかわる問題です。今の国のあり方は一体どうなってしまっているのか、「まっとうな政治」とは何なのかということが再び日本社会に問いかけられているわけです。
このまま旧統一協会が政治に入り込んで引っ掻き回して行くのを止められないでいれば、日本はボロボロになってしまうでしょう。それを立て直すため、あちこちに浸透している旧統一協会を切断しなければなりません。いわば日本を「洗濯」するような作業が必要になるはずです。
すると次に問われるのは、いかなる勢力がそれを成し得るのかということです。先日、石垣のりこ氏らのグループが前に出て期待と注目を集めました。共産や社民も、こうした問題と長きにわたって戦ってきていました。れいわも動き出しました。そしていま立憲も被害対策本部を設置して、役者は揃いつつあります。それらがつながり、この問題に危機感を覚える人たちと呼応し、国民運動のようなものに広がっていっていくのなら、展望が開けるかもしれません。
そして、その運動の一環として、民主主義や、憲法解釈や、安全保障などのつながった問題をとりあげることはいくらでもできるでしょう。森友問題や加計問題もつながってくるでしょう。司法の問題、マスコミの問題。それから人権の問題。立憲をはじめ野党各党がこれまで取り組んできたジェンダーの問題もつながります。若い世代を中心として圧倒的に賛成の多い選択的夫婦別姓がなぜ実現しないのか。自民支持層でさえ賛成が多いのにも関わらずなぜ阻まれてしまうのか。そこにもちらついて見えるものがあるわけです。この10年間というような短い期間で考えたとしても、様々な問題がつながります。
ですからこれは野党が協力して向き合う大きな課題になるはずです。やりようによっては大きく形勢を押し戻す局面になるかもしれません。
日本社会の中に、日本をなんとかしなければ、カルトから守らなければ、という緩い繋がりがうまれてきたわけです。それをどう固め、強化し、損なわれてきた民主主義を再び蘇らせるという方向に前進させていくことができるか。参院選が終わった今、それぞれが、それぞれの場所から、この民主主義の危機に対して何ができるかが問われることになるはずです。