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世論調査の解釈について

 世論調査の解釈について思うところがあったので、簡単に書くことにします。

 事の発端は、衆院議員の米山隆一氏から次のような引用を受けたことでした。

https://x.com/RyuichiYoneyama/status/1825722986068123818

 彼のツイートには、立憲民主党の支持率が先月から2.2ポイント増の12.3%となった共同通信の世論調査を引用したうえで、「私の議論は今の所殆ど全くマイナスに影響していないどころか、今の所立憲の支持は寧ろ増えています」と書かれています。

 ぼくとしては世論調査への言及一般に口をはさむつもりはありません。しかしここでは、ぼくのツイートを引用する形で議員が書いたことが拡散されていたため、その解釈には同意しないということを表明しても構わないと思い、次のように返信をしました。

https://x.com/miraisyakai/status/1827285475960484194

 米山氏が「私の議論」と書いているものが、むしろプラスに働いたのだと受け取る人が生まれないように、待ったをかける意図もありました。

 一般に、各社の個別の定例調査が1か月間隔で行われる以上、その間に起こる様々な出来事がいかに支持率に影響したのかを見定めることは困難です。特に現在は、背後で立憲民主党の代表選挙が進められている状況にあり、報道量の多さから支持率の増加への寄与が大きいと考えられ、他の要因は埋没してしまうとみなすのが自然です。

 したがって米山氏が参照するべきデータはここにはありません。一人一人の議員の発言に注視している有権者は決して多くはなく、世論調査はそういった影響を読み込むことに適してはいないのです。逆に言うと、世論調査に現れなかったからといって、議員は自分の発言の影響を軽視することもできないもので、変化は局所から現れます。現時点では地元の支持者や後援会に聞き取りでもした方がよほど有益であるはずです。

 さて、他方でぼくは2022年7月8日に発生した安倍晋三銃撃事件について、次のようなやりとりをしていました。

https://x.com/miraisyakai/status/1827306586404221269

 この銃撃事件は参院選の投票日(7月10日)の直前に起きたものであり、それが選挙にどれほど影響したのかということは、世論のあり方を考えることだけでなく、野党の敗因をどこに着地させるかといったことにも関わる一つの問題となっています。その影響としては、たとえば次のようなことが自然と考えられそうです。

①安倍氏は知名度の高い政治家であり、彼が銃撃を受けるという形で亡くなったのは、選挙に「弔い合戦」のような意味合いを付与し、自民党に勢いをもたらしたのではないか。

②過去の世論調査から、選挙期間中は野党の支持率が上がりやすいことが知られている。その中で、銃撃事件によって選挙運動が一時的に止まったことは、野党にブレーキとして働いたのではないか。

③銃撃事件が大きく取り上げられたことにより、選挙の終盤で政策論争が後退し、そのことが選挙に何らかの影響をもたらしたのではないか。

 しかしぼくは岩手県選挙区と大分県選挙区について、影響は無かったと判断したので、先のように書きました。米山氏とのやりとりとは特に関係のないことだったのですが、これに対して次のようなメッセージを受けました。

 この投稿は後に消されたものですが、公に議員が発信したものである以上、背後にある論理を示す必要が生じました。ここに改めて整理して記載します。

 以下の表1は、第26回参院選(2022年)の際に大分県選挙区について行われた情勢報道を一覧にしたものです。表中の日付は情勢報道が発表された日で、投票日より一週間以上前を序盤、最後の一週間を終盤と分けています。右端には選挙結果の得票数を示しました。

表1. 第26回参院選(2022年)大分県選挙区の情勢報道と選挙結果

 当選ラインより上の表現にあたるものは暖色系、下の表現にあたるものは寒色系の背景としています。「1 やや有利」などと書いてある数字は、情勢報道に記述された名前の順番です。「1 横一線」など優劣のない表現であっても、名前順が先の候補の勝率が高いことが統計的に明らかとなっています。

 ここで表1からは、序盤、終盤ともに自民党の古庄玄知氏が1位で報じられていることが読み取れます。したがって、序盤から終盤まで古庄氏の方が形勢が良かったと考えられ、7月8日の銃撃事件が影響したとしても票差にとどまり、当落を左右していない可能性が高いのです。

 以下に示す図2は、岩手県選挙区の情勢報道の一覧です。

表2. 第26回参院選(2022年)岩手県選挙区の情勢報道と選挙結果

 序盤では、3社のいずれでも立憲民主党の木戸口英司氏が1番手だったのに対し、終盤では5社のうち4社で自民党の広瀬めぐみ氏が1番手となっています。

 このデータからは、序盤と終盤の間に逆転が起きていた可能性が高く、銃撃事件が影響したとしても票差にとどまり、当落を左右していない可能性が高いことがうかがえます。もっとも終盤の時事通信の情勢が食い違っていることや票差の小ささから、それは大分県選挙区と比べると不確かとなります。

 これらは実は、確率で表すこともできなくはありません。ぼくは衆院選や参院選のたびに選挙情勢の報道をまとめているので、それを繰り返していけば、すぐに数万件の情勢報道がたまります。たとえば前回衆院選の小選挙区には857人が立候補して8回以上(選挙区による)の情勢報道が行われましたが、これだけでのべ7000件ほどの情勢報道の選挙結果との対応が得られます。それらをもとに、こういった情勢報道の並びなら、これだけの勝率であるということを計算することが可能です(もっとも、選挙に対する影響を考慮すると、そこまで加工した情報を公開することには慎重にならざるを得ません。誰もが検証可能な範囲で情勢報道を一覧にするのが限界に近いラインだと考えています)。

 ともかく以上の部分に恣意的な解釈が混ざりこむ余地が少ないことに同意していただけるかと思います。

 それでは、銃撃事件の他に、選挙情勢に大きな影響を与えるできごとがあった可能性はどのように扱っているのでしょうか。銃撃事件が選挙情勢を一方向に強く動かしたのに、それを打ち消すほどの出来事が他にあったなら、やはりトータルの影響は見えなくなってしまうでしょう。

 ここではそれが特になかったということを、特にデータを挙げることなしに承認されるものとしています。もちろんそれは厳密な態度とは言えません。しかし銃撃事件から投開票まで2、3日しかなかった上に、当時の報道を振り返ったとき、銃撃事件に関するものが最大であったことを疑う人は多くはないはずです。

 それが疑われる場合は、さらに報道量の分析によって一定の検証を加えることが可能です。ここで報道量とは、具体的には新聞であれば見出しと本文に登場する言葉の数が挙げられます。テレビであれば報道時間などから定量的なアプローチを試みることができます。それに発行部数や視聴率を掛けるなどしてインパクトを求めてもいいでしょう。そうした努力を行えば物事の解像度を上げることができます。

 しかしぼくは現時点ではそうした作業をしないまま、銃撃事件の報道が大きかったということが無理なく承認されるだろうという前提をおいています。またそれを行ったとしても、人と人の会話などの評価できないものがいくらでもあるので、あくまで考察を補強するデータが得られるのにすぎません。

 こうしたうえで、安倍氏への銃撃事件は投開票の直前の時期に多く報じられたものの、大分県選挙区と岩手県選挙区の勝敗に対する影響はなかったとするのが最も確からしいという考えを持っています。

 以上の事情から、やや曖昧に「一定の解釈を与えることは無理筋ではない」と返信をしました。

https://x.com/miraisyakai/status/1827350916166775081

 対して米山氏は、程度問題で推定に過ぎず、マイナスの影響がなかったとは断言できないと書いています。

https://x.com/RyuichiYoneyama/status/1827354222645669979

 けれども統計は、「程度問題」と「推定」にこそ心血をそそぐ領域です。「0か1か」ではなく「何がもっともらしいか」というように問題を扱います。それを「所詮」と言われてしまったら仕方がありません。病気のリスクが「所詮程度問題」なのでしょうか。事故のリスクはどうでしょうか。いずれも「0か1か」ではないですが、「所詮」と言ったら向上はなくなります。

 はじめに「1か月間の支持率の増減は様々なプラスの要因とマイナスの要因がならされたものなので」「とりわけ代表選という大きなことが進んでいる現在では」恣意的な解釈になるというふうに限定的に書いたのはこのためです。

 他方で2、3日間の選挙の形勢について、銃撃事件という報道で大きく取り上げられた時期の影響を論じたのは、いわば「10分のあいだ呼吸を止めるのは困難である」と言ったうえで1分のあいだ呼吸を止める実演をしたようなもので、混同されるべきものではありません。

 ぼくとしては、引用する形で議員が拡散した解釈を承認しないという態度を示すことが目的だったので、ここでやり取りを終えることにしました。冷たい言い方になったことは反省しています。

https://x.com/miraisyakai/status/1827365384934322515

 世論の分析や解釈は不完全な状態で行われることが少なくないものの、一つの調査からまた別の調査までの間に様々な出来事があるからといって、全ての議論が成り立たなくなるわけではありません。たとえば、昨日(8月26日)の毎日新聞の朝刊2面には、「退陣表明をした岸田文雄首相(自民総裁)の後任を決める自民総裁選の前哨戦が本格化しており、首相・総裁交代による変革への期待感が自民支持率を押し上げた可能性がある」との記述がありました(ここでも「可能性がある」という書き方がされています)。

 この自民党の支持率に関する記述を支えているのは、いま総裁選の報道が増えつつあることや、それが人々の政治的な関心を牽引しているのに違いないという洞察です。その洞察の背後には、過去の総裁選のたびに自民党の支持率が大きく上昇したというデータもひかえています。立憲民主党の代表選が立憲の支持率の上昇に働くということは、自民党で見られたことを一般化したものです。

 再現性の確認は有力で、国政選挙の選挙期間中に政党支持率が全国的に上昇するという「選挙ブースト」などはそういった堅い議論に属します。しかし個別の選挙区で良い選挙ができたかそうでなかったかといった話に立ち入ると、様々な条件の違いがそのつど起こるので、堅い議論ができる範囲は狭まります。もちろん、だからといって現実の様々な出来事を論じる必要があることには変わりがありません。

 世論の複雑さと多様さは、世論調査で数字としてとらえられるものの複雑さを常に超えています。そのため世論の解釈は往々にして統計を半歩踏み越えたものになるのですが、その半歩にこそ努力の甲斐があるようなところもあって、ある人は取材に力を入れたり、ある人は文献を読んだり、ある人は補強するデータを固めたりしながら妥当なラインを目指していくのだと思います。目指しつつ、厳密にたどり着けないということは、恣意的に論じることとは異なります。

 その点で、データを見る側が取材や現場の肌感覚を軽視することは全くありません。ぼくは時々、「肌感覚では支持率はこんなに高くない(低くない)」「身の回りに支持者はぜんぜんいない(多くいる)」といったリプライを受けて「そうした肌感覚には意味がない」というようなことを書いてしまうことがありますが、それは個人では目が届かないところがどうしてもあって、世論調査はそれも含むのだということです。

 たとえば世代なら、いま子供たちの間で何が流行っているのかといったことは、分からない人にはまったく分かりません。そういうようなことが、職業でも、地域でも、男女でも、誰にでも様々な面であるはずです。自分の近所に閉じこもって様々な方面を切り捨てるのでは局所的な物しか見えません。逆にそうした目の届かない方面に自分の意識を開いて接近していくのであれば、そのときの肌感覚には確かな価値が生まれます。良い取材はそうしたことをうまくやるのだと思います。それは、世論をどうにか解釈しようという試みとどこか重なる面があるのかもしれません。

 データをもとに論じると言っても、自分が漬かっている局所的な特殊な世界の一角からそれをやるしかないので、現場の声は貴重です。全て計算なんていうことはなくて、むしろ考えているのは計算以外のことが多いくらいです。いろいろなことを補強に使います。そうして半歩まで踏み越えます。その透明な足場を支えることができるのは、現実との関わりのなかで体得された社会観であるようにぼくは思います。

2024.08.27 三春充希