noteを書くことは調整
つながっている楽しさと、つながっている息苦しさがある。
ダンナの実家の介護や断捨離
自分の実家の断捨離
どちらも営業妨害してはいけないので、すべてを書くわけにはいかない場所もあり。県外に行ってしまった娘や息子とSNSでつながっていたりして、本当の心のうちは書けないと思っていたら
そうだ、noteだけが知り合いとつながっていない!!
困るんだったら書かなきゃいいじゃんと思われるかもしれないけれど
どこかの知らない人でも
誰かが読むかもしれないということが
自分に言葉を選ばせる。
ただゲロゲロ吐き出すわけにはいかない。
その言葉の変換をさせていく中で
自分の心も変換させることができると思う。
だから日記にゲロゲロ書くよりも
誰かの目に触れるかもしれないということが
私の思いを調整してくれる。
私が誰であるとか
フォロワーがどうとか
そんなことはどうでもよくて
ただ、言葉によって心の調整をする。
私にとってのnoteは健全なる毒吐きである。
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