道東偉人伝 vol.4 岡村文四郎さん
戦前から戦後を生き抜いた上渚滑の開拓移民出身の政治家がいるのをご存知でしょうか。
岡村文四郎さん。
1890年高知県に生まれ、1912年に一家で渚滑村立牛に移住。上渚滑村会議員を経て国政に進出されていて、紋別市の名誉市民にもなっています。(岡村文四郎Wikipediaより)
岡村文四郎さんの人となりについて、国会でのご発言から読み解くことができます。
第34回国会の参議院農林水産委員会(第29号昭和35年4月28日)での岡村文四郎さんのご発言を見てみます。(国会会議録検索システムより)
開拓営農振興、開拓者への資金融通に関する法案審議の中で、開拓者出身の岡村文四郎さんの並々ならぬ思いを感じることができます。
今回は3つの発言をまるまる抜粋してみました。
『お伺いをいたしますが、一体開拓行政というものを永久に続けるつもりで、開拓者というものは死ぬまで開拓者でいくような格好なんですか。これはどういうわけなんですか。日本の開拓行政というものは非常に間違っておる。それは、ちっとも知らない者がやるから間違っておるので、知らぬものだからこういう格好になるので、どうにもならぬ。いつまで開拓者になっておるのか、まず、この一点。』
『ですから何とかこれを開拓者扱いをされぬように、大体五年たてば開拓者という名目をなくするのがほんとうでございます。私は四年で成功いたしましたが、なかなかその四年の間というものは、農協に入って役員をするとか、あるいは部落の世話をするということはできません。』
『両院に議員がおりますが、僕のような開拓者が一人でもおりますか。だれもおらぬでしょう。本人が言っておることですから、間違いない、苦労した本人が。』
発言はあくまで抜粋なので、全体の流れを見ていただきたいのですが、これだけ見ても岡村さんの熱い思いが伝わってきます。
激動の時代を生き抜いた人たちのすごさを改めて感じました。
○参考リンク
岡村文四郎Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/岡村文四郎
国会会議録検索システム
https://kokkai.ndl.go.jp/#/
第34回国会の参議院農林水産委員会(第29号昭和35年4月28日)会議録
https://kokkai.ndl.go.jp/minutes/api/v1/detailPDF/img/103415007X02919600428
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?