道東教育学『学俗接近の精神を浸透させる』💮

私は、「学俗接近」が21世紀の道東の教育に最も必要ではないかと思います。

学俗接近は社会教育の必要性を訴えた後藤新平さんの自説です。

学俗接近について書かれた後藤新平さん自身の著書について、新潟大学の中島純先生の論文にまとめられています。

後藤新平の遺稿である『学俗接近の生活』の「序」に学俗接近が求められる背景について書かれています。

『大にしては政治、産業、教育等の問題より、小にしては家庭生活、個人生活の末に至るまで、凡てが因習旧踏に依り、凡智、常識に基いて処理せられ、而して甚だ学理的進取改造の努力に乏しい。凡ての施政凡ての活動が、余りに非科学的、非組織的である。それにも係らず、学者は超然世外に高踏して実社会を念とせず、世俗は漫然巷塵の間に蠢動して、強いて学者の 言に耳を掩い、前者は後者の知識を嘲り、後者は前者の迂閥を嗤い、斯くして両々互いに 相反目し、相排攘して居るの観がある。かくては文化の独立などは勿論のこと、産業上の独立の如 きも、容易に其の実現を望み得ないではないか。予之を患うること久 しく、夙くより学俗一致又は学俗接近の要を唱説して来た。即ち立にその大意を述べて、江湖に示す所以である』
(後藤新平著 「学俗接近の生活」|中島純 より)

後藤新平さんは、学者と世俗が接近することこそ日本に必要だと説いていました。

彼の思いは長野県の信濃木崎夏期大学などに引き継がれています。

なぜここまで、後藤新平さんが学俗接近への思いが強かったか。中島先生は、『後藤新平「学俗接近」論と軽井沢夏期大学の実践-新渡戸稲造のかかわりを中心にして-』の中で、自身の経験が影響しているのではと考察しています。

後藤新平さんは岩手県出身で福島県の須賀川医学校に学んだのち、ドイツ留学によって博士号を得て出世した異例の行政官です。(東京帝国大学出身者や藩閥の政治家とは異なる)

こうした背景から学問の重要性を唱え、地方の若者が学ぶ場をつくることに尽力していた姿は本当に尊敬します。

21世紀の現在を見てみて、
「老若男女の一般の人が学問に触れる機会は十分あるでしょうか。」
「学者や専門家は講演会やYouTubeで学術的知識を積極的に披露しているでしょうか。」

今こそ、私たちは後藤新平さんから学ばなければならないのではと思います。

○参考リンク

新潟中央短期大学紀要 暁星論叢 第52号 平成15年6月
『後藤新平「学俗接近」論と軽井沢夏期大学の実践-新渡戸稲造のかかわりを中心にして-』中島純
https://core.ac.uk/download/pdf/70372116.pdf

後藤新平著 「学俗接近の生活」|中島純
https://numcjc.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=394&item_no=1&attribute_id=21&file_no=1

新潟中央短期大学HP
http://www.niigatachuoh-jc.ac.jp/about/facilities_kiyou.html

新潟大学HP
https://www.niigataum.ac.jp/guidance/teacher/jun_nakajima-2/

信濃木崎夏期大学
~100年前の熱き思いを今に~
| 大町イイコトリストウェブページ
https://omachi-chiiki2.jimdofree.com/大町イイトコリスト-11/vol-16信濃木崎夏期大学/

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