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拝啓インフルエンサー様、対等な子育てってどういうことでしょうか

数日前のこと、Twitterのタイムラインをぼんやり眺めていたら、とあるインフルエンサーさんのツイートが目に入りました。

前提条件として、私はフェミニストではないしシオリーヌさんをフォローしていません。なので前後の文脈や彼女の普段の子育てのスタンスや思想などをよく知るわけではないです。

そんな中に、ポンっとこの文章が飛び込んできて、ふとこの言葉が引っかかったのです。

「対等に子育てに参画する」ってなんだろう。

ちなみに辞書にはこう書いてあった。

「双方の間に優劣・高下のないこと。双方同等であること。対々。「―のつき合い」「―に並ぶ」
広辞苑より

平等、均等、これらはざっくりまとめると差がなくフラットな状態を言うけれど、どうやら対等は「差や違いがあったとしても優劣があるわけではない」ということなのかな?と解釈した。

対等という言葉に私が引っかかってしまったのは、子育てはどう頑張っても平等にはならないと思っているからだろう。

我が家の子育て状況

ます、これまでの我が家の話を少し。

私はフリーでパーソナルスタイリストをして働く新米ワーママです。今年の2月に生まれた息子はつかまり立ちの真っ最中。7歳年下の夫はスタートアップで働く会社員です。

息子が生後2ヶ月の頃から、平日1〜2日は自治体の託児所を使いながら、土日も半日ほど働きました。さらに生後7ヶ月になった9月からは保育園に通っています。

夫は在宅勤務が多めではあるけれど、まだまだ発展途上のスタートアップなので出社した方が何かとスムーズに仕事ができる様子。今は平日2〜3日出社しているけれど、帰宅は遅くほぼ私のワンオペ。代わりに土日は夫が面倒を見るのが我が家のルーティンです。

妻サイド:産後の働き方、隣の芝生は青すぎる

さて、そんな我が家でちょっとした歪みを感じ始めたのは育休が開けて少しずつ働き始めた産後3ヶ月ごろのこと。

まずは仕事面。寝室ですっぴんボサボサ頭で授乳をする自分と、扉の向こうで楽しそうにオンラインミーティングをする夫。当時は広告業界にいたので会食や出張も多く、それはそれは輝いて見えたものです。あと広告業界って美女しかいない(笑)。

かたや、私が平日働く時は託児所の予約を取って、取れない時には日程変更をお願いして、時には愛知に住む実母に来てもらい…と調整しなければならない。託児所に連れて行ったら熱があり預かってもらえず、泣きながら帰宅して取引先にお詫びの電話を入れたこともあった。

いいな〜いいな〜〜〜私も誰にも気を遣わずに好きなタイミングで思いっきり仕事したいよ〜〜〜〜!

もちろん夫も北海道へ遊びに行ってるわけではない。在宅勤務とは言っても朝から晩までみっちりスケジュールは埋まっているし、昼食を食べる暇はおろかトイレに行くタイミングすらないので、冷静に考えれば全然羨ましくないのだけれど。

隣の畑は青く見えるよね…。

夫サイド:乳なきものはお呼びでない

そして育児面では母乳育児が不均衡の元になっていました。

生まれてすぐはミルクと混合だったものの、私が母乳過多気味で図らずも完全母乳に切り替えざるを得ず。挙句のはてにミルクを完全に拒否…。

土日に仕事から帰宅すると、お腹が空いてギャン泣きする息子と疲れ切った夫という地獄絵図。(保育園に通い始めてミルクに慣れ、今は難なく飲みます。)

この頃を振り返ると、夫は「乳がないせいで(?)親としての役割を拒否される」という何とも不遇な仕打ちを受けていたわけで。これはもうアンフェアの極みじゃないかと思うのです。

そして、完全母乳育児をしていると息子にとっては母乳が命を繋ぐ唯一の手段になってしまいます。結果、父<<<<(越えられない壁)<<<<母となり、息子からすると「乳のないやつには引っ込んでろ」の構図ができあがってしまいました。

なんだか不遇すぎる。かわいそうすぎるぜ夫。

私たちは平等にはなれないけれど

子育ては平等にできない。男と女の体の構造が違う以上できること/できないことはある。その不均衡を是正するために完全ミルク育児にするのも私にはしっくりこなかった。

さらにちょっと大袈裟なことを言うと、この世界には夫が必要なのだ。夫が活躍することで世の中はもっと良くなっていくと、結構本気で思っている。仕事が忙しい分家事や育児を私が担うことで彼の応援ができるなら、それは喜ばしいことだ。

どうやっても私たちは平等にはなれない。でも、それでいいと思っている。

違いを含めてお互いを認めること、相手の仕事や育児の役割に尊敬と感謝と思いやりをもって接すること。そうすればできることや役割に差はあれど、優劣なく対等な関係でいられるんじゃないだろうか。

「金を稼いでやっているのはこっちだから」「こっちが育児をしなければ成り立たないくせに」「それだけしか稼げないなら家事や育児はやって当然」

妊娠出産は女性にしかできない。長い短いの差はあれど、どうやったって女性の方が歩みを止めざるを得ないのが現実だろう。

それに輪をかけて互いに優劣を主張し始めると関係はギスギスしてしまう。仕事にせよ育児にせよ、大切にしているものを否定されれば誰だって傷つくだろう。

対等のその先に。違うことで得られる豊かさはきっとある

私と夫の間にもたくさんの違いがある。

男と女、会社員とフリーランス、ズボラと綺麗好き、料理上手と料理下手、マルチタスクとシングルタスク。その違いがお互いを助けることにもなれば、選択肢が増えたり人生の豊かさにも繋がるだろう。だから懲りずに2度も結婚したのだ。

不公平でも、不平等でも、対等でありさえすれば、私たちはきっとうまくやっていける。

それを見た息子がどう感じるかはわからない。彼が大人になる頃に世の中はどう変わっているだろう。いずれにせよ、少し先の未来で答え合わせはできる。その時を楽しみに、今を生きていけたらいいな。


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