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祇誣村(ぎぶそん)

                          未来不

アイドリング
 困ったなぁ。月末が〆切だってのに書きたいことが何も
ない。それもこれも学会に提出する症例報告書作成なんて
いう色気もへったくれも無い作業を強いられた後遺症なん
だろう。おそらく国内の医師にとって1%にも満たない知
名度の日本呪医学会の専門医資格なのに、妙にいきった老
害理事たちの意向で五年に一度「ちゃんとした症例報告書」
を添えて更新申請せねばならんのだ。ちゃんとした、つう
てもとどのつまりは「法力で治癒せしめた」ってことだも
んなあ。なんであんな学会に入っちゃったんだろう。
 物語を語るツールとしての文体って使ってないとすぐに
キレが悪くなるから、1日に数行でも綴るなど鍛錬を怠ら
ぬようせねばいかんのだが、たつき仕事が終わるとつい嗨
棒など飲用して弛緩しきってしまうのと、報告書作成の苦
痛から解放された打ち上げ感を引きずってだらだらと怠惰
な日々を過ごしてしまっていた。と、ここまで書くのに2
時間もかかってるようじゃ間に合いそうにないな。ま、い
いか。これで食ってるわけじゃないし、落としたところで
誰も死なないし。
 さて昼飯に行くかと腰を上げかけたところバルコニーの
窓外に現れた黒い影がコツコツとくもり硝子を叩いた。

たじまはる
 クレセントのロックを外し、引き開けると一羽のハシブト鴉
が首をかしげていた。ハシブトにしてはやや小柄だが通常の鴉
との決定的な違いはその真紅の両眼である。無言のまま窓枠を
蹴り、拡げた黒羽で室内の空気をふるわせつつ着地すると、た
ちまち振り袖姿の少女に化身した。
「相変わらず綺麗だね、はるさん」
 声をかけると赤い両眼でじろりとこちらを見すえ、
「だーから、その名で呼ぶなと言うとるだろうが」
 うんざりしたように応じた。さもありなん。『はる』という
のは彼女が江戸初期に呼ばれていた名であり、齢三百と言われ
たような気分になるからだろう。そう、彼女こそかつて地獄少
女閻魔あいと呼ばれた女性で現在は俺の実父、宝伝流呪医術13
代宗主・田中三郎の秘書をつとめる『たじまはる』なのだ。
「で、今日の用向きは?」
「宗主さまがお呼びです」
「電話かメールでいいじゃん」
「内密の案件なれば、とのことで」
「もう大げさなんだよなぁ。しょうがねえ行くか。ところであ
いさん」
「はい?」
「タージ・マハルって知ってる?」
「G G G ……」
 怒りに我を忘れたせいか外装のコントロールを失い、少女か
ら三百歳の老婆に戻ってしまったはるさんが俺を指差し、いつ
もどおりの決め科白を投げつけてきた。
「いっふぇん、ひんでひふ?」
 入歯が外れたらしい。

          *

 というわけで、この後宗主のもとに赴いた自分は隣県のある
村で発生した疫病かもしれない現象の調査を命ぜられるのだが、
その場面の記述については割愛させてもらう。理由は面倒だか
ら。どんなところに住んでいて、その住居の内外観はどうか?
父親の容姿や声色は? 呪医術とは何ぞや? 調査を託された疫
病の概要は? 等々、微に入り細を穿つ描写をせねばならぬとい
う伝統的小説作法など隣家のツチノコに食わせてしまったので、
もはや在庫が無い。そもそも小説を読むにあたって何もかも作
者に解説させ、自前の想像力を一切稼働させずにすませような
どは横着に過ぎるのではないか。それも無料で。
 とまあ、かかる言い訳をネチネチ書き連ねる手間を考えれば
素直に場景描写を書けばいいようなものだがディテール考える
のかったるいんだよね。気になる向きはググるか自分で書いて
くんなまし。

毛腹村
 県境の峠を越して車で30分ほど走ると巨大な木製の鳥居が道
をまたいでおり、それをくぐって500メートルほど先の集落が
目的地の毛腹村だった。左右に並ぶ家屋はいくつか旧家らしき
ものもあるが、ほとんどがありふれた今風木造住宅である。村
自体はナビの地図にもちゃんと登録されており、ほどなく目的
地に設定しておいた村役場に到着した。
「お忙しいところ、遠方までご足労いただいて恐縮です」
 村長の火鳥氏は60がらみの男性で、柔和な在野の研究者とい
った佇まいである。
「父から大まかな事情は聞いております。大学の同期でいらし
たとか」
「はい。クラスは別でしたが部活が一緒でした。私は卒後基礎
医学のほうに進みましたので機会は減りましたが今でも年に一、
二度は酒席をお付き合いいただいております」
「それは存じませんでした。父はあまり自分のことを話しませ
んので。ところで今回の件ですが保健所のほうにはご相談され
たのですか」
「ええ一応は。全てを伝えたわけではありません。発症したの
は三人ですが最初の一人はもう居りませんので」
「というと入院されているとか……あ、それとも、その」
「いや、入院はしてませんし死んだわけでもないのですが、生
きているかどうかもまた不明なのです。形としては失踪という
ことになりましょうか。なので彼女――櫛田美咲のことですが
――については、取り合ってもらえぬだろうということになり
他の二人の状況のみ報告しました」
「で、あちらから連絡は?」
「二週間ほど経ちますがまだ何も。病気として取り扱うべきか
どうか迷っているのかも知れません。それと」
「なんです?」
「この村そのものに関わる気があるかどうかも」

          *

 彼に勧められたこともあり、まずは櫛田美咲の祖父(両親と
は八年前に交通事故で死別。父方の祖父と同居中)に話を訊い
てみることにした。

櫛田製作所
 櫛田恵須治――村長言うところの通称『エス爺』――の自宅
は住居兼工房といった風情だった。作業台横の壁には楽器店の
ギター展示に使われるような陳列ラックがしつらえてあり、そ
こに様々な義足が並べられている。クラシカルな木製のもの、
子ども用とおぼしきサイズのもの、はては金属むき出しのロボ
ット風のものまでが整列しており、さながらムーラン・ルージ
ュのラインダンスのようだ。
 作業台の上には成人サイズの大腿義足が横たえられていたが、
まるで今しがた生体から切り離されたような外観と質感をそな
えており、内股には透けるような白い肌に走る青い皮静脈まで
が再現されている。
「突然おじゃましてすみません」
「ああ、別にかまわんよ。村長から電話も来とるでな」精密リ
ューターの電源を切り、手術用ルーペを外しながらエス爺はう
なずいた。
「しかし見事なものですねえ。これは女性用ですか」
「メディテク・ボディ社からの特注品でね。汎用の義体パーツ
では満足できないご婦人もいるんだろうよ。一本ずつ手作りで
二ヶ月はかかりきりなんで効率は悪いんだが、職人てのは因果
なもんでつい血が騒ぐちゅうか」はにかむ感じでニカっと笑う。
「こういった技術はどこで習得されたのですか?」
「爺様も親父も義足屋でね。ものごころ付いたころにゃ関節の
パーツで遊んどったよ。あ、ちょっと待っとくれ」言いおいて
事務室に行くとスチール保管庫の扉を開け、蒔絵仕立の文箱を
かかえてもどってきた。
「うちの先祖は三世紀ごろ大陸から日本に渡ってきたらしいん
だが、その経緯を書き記したものがこれだと言い伝えられとり
ます」わりと無造作に文箱から取り出した古文書らしきものの
表紙には、



 ややかすれた文字が墨書きされていた。
 一瞬思考停止した俺の耳にエス爺が一族の歴史を注入しはじ
める。
「……というのも一族の身体的特徴として左右、あるいは両方
の大腿が半欠損して出生するものが多かったがため、自然と義
肢を製造する技術が発達し、それが子々孫々に伝承されてきた
というわけじゃが、いつからか事故や戦で四肢を失った者たち
の依頼に応え、生業にするようにもなり……」
 めまい感とともに声が遠くなっていく。
 こりゃダボラ出血熱。あんなふざけた文書が実在するわけが
ない。ひとめで出鱈目だとわかるような似非古文書をあつらえ
る目的はなんだ? いやまてよ、ではあの精緻な義足も贋物な
のだろうか。とてもそうは思えぬ出来ばえだったが。それとも
あくまで仕事は本物で、はじめての来客者をからかうためだけ
にああいった趣向を用意しとるのか。いずれにせよ、まともで
はない。俺は何しにこの村へ。

 約一時間後。気を取り直して聴取した櫛田美咲(15歳・女性)
の症状・経過はつぎのとおり。
①2月13日:特に誘因なく両肩甲骨部の腫脹・疼痛出現。
②2月15日:起立歩行不能となり臥床。翌々日の県立総合病院
受診を手配。
③2月17日:長径一メートルほどの白い繭状形態に変形。耳を
当てると呼吸音が聴取されたという。とりあえず病院受診は延
期とし様子をみることに。
④2月18日:朝がた祖父が様子を見にいったところ繭状物は中心
が大きく裂け内容物は消滅していた。以後の消息は不明。
 この情報だけでは疾病か否かすら判然としないが、とりあえ
ず二番目の発症者に会いに行くことにした。

三三五
 櫛田製作所から西に六百メートルほど行った道沿いに建つ旅
館『華戸屋』の奥座敷の寝床にひとり娘の三三五(みさこ)だ
った白繭が横たえられている。変わり果てた17歳の愛娘のそば
に寄り添う亭主夫妻は心労のためか通常より30%ほど縮んで見
えた、とはいっても元の大きさを知らないが、こういう場合の
相場はだいたいそのくらいということだ。普通ならここで両親
との会話があって、主人公が本格的に巻き込まれていく感じに
なるんだろうが辛気臭いからやめる。

          *

 今日はこちらに宿泊する旨を告げ、客室の準備をするため亭
主たちが退出したのち鞄から聴診器をとりだし繭に当ててみた。
規則的な呼吸音が聴こえるので生きてはいるらしい。それはま
あいいとして入室時より気になっていた、こちらに背を向けて
床の間に寝ている奴に声をかけた。
「おい、そこのお前」
 沈黙。
「お前だよ。返事くらいしろ」
「んだよ、うるせえな。てか見えるのか?」背を向けたまま言
う。
「ああ、見えるよ」
「人間では久々だな」ごろりとこちらに向き直った。
「座敷童子まがいってやつか。いつから居付いてる?」
「ざっと三百年てとこだな」
「今回のことで何か心当たりがあったら教えてくれんか」
「無いね。基本的に自分以外のことなど知ったことではない」
「ひょっとしてお前」
「そうさ、他人事主命(ひとごとぬしのみこと)だよ」
「なんで座敷童子とかやってんだ」
「楽だからな。ときどき姿見せてやりゃ有難がられ供物もそれ
なりに入る。神ってのもこれで大変なんだよ。メジャーどころ
以外はさ」
「ふん。まあいいか。それと宿泊客で気になるような奴はいな
かったか」
「だから知らねえって……ん、そーいや」
「いたのか?」
「いや、ここはもともと商人宿で村もこんなだから観光客はま
ず来ないんだが、伴天連の男が泊まったことがあったな。パリ
ッとしたスーツ姿の白人だったよ」
「そりゃいつごろだね」
「ええと、この娘の具合が悪くなる二日前だったかな」
 
         *

 子の刻ごろ繭が鳴動しはじめ振動が床を走った。駆けつけた
両親と俺・部屋で寝ていた他人事主命が見守るなか、いきなり
長軸に沿って真っ二つに裂け、中から身長10cmほどの有翼ヒト
型生物たちが一斉に飛び出した。百匹ほどのそやつらは天使風
の翼をふるわせ、金色の鱗粉を撒き散らしながら部屋中を飛び
交っている。落下した鱗粉が付着した二の腕の皮膚がチリチリ
と灼けた。
「吸い込んだら死ぬぞ。はやく部屋から出ろっ」
 言いおいて襖を開け廊下に跳び出し、とっさに掃き出し窓を
蹴り外す。どっと流れ込む夜風の中を金色の群れが飛び去って
いった。
 翌朝、宿を辞した俺は次の現場、村の西南端にある祇誣神社
に向かった。

土地神
 社務所兼住宅の居間で宮司の大比留氏が語ったところによる
と、ここ十日間ほど異常と思えるほどの食欲亢進がみられてい
た息子さん(泰司・18歳)の背部に腫れ物が出現したのは2日
前で、翌日から意識朦朧となり現在は腹臥位のままこんこんと
眠り続けているそうだ。
 さっそく隣室で臥せっている本人を診察すると、両側肩甲部
が縦横30 × 10cmの範囲で高さ8cmほどに隆起しており、伸展
され薄くなった皮膚の下には白色の羽毛が透けて見える。やは
り注病のようだ。大比留氏が覗き込む。
「病気なんでしょうか?」
「一種の寄生現象みたいなものかと」
「何科で診てもらったらいいんですかね」
「寄生虫症なら感染症内科でしょうが、これはちょっと難しい
かも」
「そんな……」
「まずは応急処置をしておきましょう」
 鞄から軟膏壺を取り出し患部に阿竭陁膏を塗布したのち、
「彭常子 入窈冥之中 去離斯身」
 庚申真言を唱えると皮下の羽毛が身悶えするように蠢いた。
「一時的ですが、これで進行が遅くなると思います」
「ありがとうございます。ではあちらでお茶でも」
 居間にもどり、供された本格的煎茶を喫しながら気になって
いたことを訊いてみた。
「最近、外国人の参拝客はいましたか?」
「二週間くらい前にお一人でおいでになった方が……私は英語
がさっぱりなんで息子に応対してもらいました。小学生のころ
から英会話教室に通っとるんで日常会話はできますから。たし
かフェンデルさんてお名前だったかな」
「息子さんはその人について何か」
「仕事のついでに観光しに来たらしいと。ただ妙だったのは母
国を訊いてもニコニコしてるだけで教えてもらえなかったとか。
あ、お昼食べましょうか。村に一軒だけ蕎麦屋がありまして出
前もするんですよ。蕎麦はお嫌いですか」
「いや、大好きです」
「それじゃメニューをと……あぁここにあった。この店は鴨南
蛮蕎麦が人気でして」
「いいですね。じゃそれでお願いします」
 出前の到着を待つあいだ、彼は息子さんについていろいろ話
をしてくれた。青年期にありがちな潔癖性から本音のぶつかり
合いを重視するあまり周囲に煙たがれることもあったが、最近
は少々やわらかくなり神職を継いでもいいと言いはじめた矢先
だったことなど。さらには村社の由来についても。
「ここの御祭神は誣言彦命(しいごとひこのみこと)でして、
嘘を司る土地神なのです。嘘の対義語は本当・真実・誠などで
一般的にこれらは嘘よりも尊いものと思われていますが万人に
福を齎すものとは限らない。むしろ知ったがために福感が減じ
てしまうことだってある」
「そうですねえ。いきなり本音を伝えたら険悪になることもあ
りますしね」
「なので、福を齎すための嘘を授けてくれる神として信仰する
者たちが住み着いたのがこの村の成り立ちです。江戸時代には
信者が過激になり、嘘や作り話が下手で本音や事実しか言えな
い者が村八分になったりして周辺地区から『嘘つき村』とか『法
螺村』などと揶揄されたこともあったそうですが、逆にそれが
ひそかな評判となり近代以降はネタに詰まった戯作者や小説
家・ギャグ漫画家などがお忍びで参拝にみえられます」
「ううむ、この作者も早急に参拝するべきですな」
 出前が届いた。
「ちわーす。まいどありぃ」
「はい、ごくろうさん」
「いやぁ先週、北京に行ったんだけどさ、役人らしい若い男が
前から歩いてきた猿にすれ違いざま後ろから襲いかかり素手で
絞め殺したあと、あれよという間に肉と骨と内臓にさばいてま
ったんよ。目撃者はおれだけだったらしく唇に人差し指当てて
シィーって目くばせするんで好的好的つったら肉と脳味噌分け
てくれたの。だから今日はサービスで猿鴨南蛮ね。猿かもね」
 ニタニタしながら蕎麦屋は帰り、とどいた鴨南蕎麦には、あき
らかに鴨とは違う肉と灰白色の大脳皮質ぽい塊がトッピングさ
れていた。
「あ、心配いりませんよ。ただの豚肉と鱈の白子ですから。あ
あ言うのがここの風習なんです」
 いや奇習だろ。

フェンデル
 蕎麦は美味かった。白子と鴨出しの相性が抜群で、つい汁ま
で飲み干してしまった。血糖値上昇とともに眠気がさし、大比
留氏に断って横になりうとうとしかけたとき隣の部屋から異音
がした。イオンが。様子を見にいった大比留氏の叫び声に飛び
起きた。
「先生っ泰司がっ」
 腹臥位のまま泰司くんが宙に浮いていた。全身が金光に包ま
れている。その傍らにダークスーツ姿の白人が立っていた。
「どうしてフェンデルさんが!?」
 聴き終える間もなく床を蹴った。走りながらベルトのシリン
ジホルダーの蓋を跳ね上げ、取り出したレラキシン500mg+ボト
ックス10万単位溶液入りの18G針付30ml注射器を逆手に構えた。
背部に回り込み右上臀部に突き刺したが弾かれた。針がくの字に
曲がっている。
(鉄のパンツかよ)
 内心毒づくと裏拳が飛んできた。右腕でブロックしつつ後退。
受けとめた前腕がビリビリする。生身の硬度ではない。
(外皮強殻化術!)
 右ストレートを繰り出してきた相手の顔面に注射器を投げつ
け、ひるんだすきに前腕を巻き込み脇固めで床に抑えつけた。
すかさず左膝頭で肩甲骨部を固定。上衣の内ポケットから取り
出した解術呪符を三角筋後部に貼付。全身は無理でもスポット
的無効化は出来るはずだ。2本目の注射器を呪符ごしに突き刺
す。が、またしても弾かれ針が折れ曲がる。
「それじゃだめだな」耳元で他人事主命がささやいた。いつの
間にか隣に来ている。
「呪符がちがうのか?」
「いや合ってるが呪文の字が間違ってる」
「あらま」
「予備の呪符は?」
「無い。注射はあと1本だけ」
「よし。言霊祓いをやるから唱え終わった瞬間に刺すんだ」
 言うと蟇そっくりの声色で祓詞を唱えはじめた。
「ひふみよいむなやこともちろらねしきるゆゐつわぬそ
をたはくめかうおゑにさりへてのますあせえほれけ」目くばせ
と同時に最後の注射器をずぶりと突き立て、薬液をいっきに注
入した。
 フェンデルの身体は弛緩し、皮膚がみるみる透きとおってジ
ェル化していった。海月状となったそれは徐々に溶解がはじま
り、10分後には水たまりの中に空ろになった衣服だけが残され
ていた。
 泰司くんは布団の上に戻っていた。金光は失せ。背中には大
量の発汗が見られたが、肩甲部の隆起は縮小しつつあり、羽毛
もほとんど消えかかっていた。他人事主命が無表情でそれをな
がめている。
「助かったよ、ありがとう」
「いや別に。大したことじゃない」
「あいつが何者なのか知ってたのかい」
「天使だよ。名前の最後がエルなのは天使で堕天使になると外
れる。たとえばルシファーは天使長だったころルシフェルって
呼ばれてた。で、フェンデルもフェンダーになりたがってたの
さ」
「そらまたどうして」
「よくわからんが、神につくられたってだけでいいようにこき
使われてるうち嫌になったんじゃないか。あっちの神って冗談
通じねえし、嘘は厳禁で本音しか言わないから使われるほうは
たまったもんじゃないかもよ」
「ふーん。だからって何でこんなことするんだろ」
「いきなり堕天使にゃなれなくて、まずは人間に変性しなきゃ
ならないんだが、それには自分のランクにみあった頭数の人間
を天使化しないといかんのよ。それがフェンデルの場合は三人
だったってわけ」
「等価交換ってやつだな。この村とあの三人がターゲットにな
った理由はあるのかな」
「そりゃ嘘言い合って楽しく暮らしてるとこなんて他にないだ
ろ? 人選についてはだね、嘘が達者になった大人じゃ天使化が
難しいんだとさ」
「じゃ義足屋の爺とか蕎麦屋の親爺は」
「そう。絶対無理」
 泰司くんの意識が戻ったらしく父子が抱き合って歓声を上げ
ている。
「ところであんた他人のことはどうでもいい割にゃ天使のこと
とかずいぶん詳しいけど何で?」
「あぁ、じつは五百年以上前になるけど京都でロレンソなんち
ゃらって人間のとこに居候してたことがあってさ、そんときに
いろいろとね。門前の小僧習わぬ経を読む、的な」
「あはははは、神なのに。でもキリスト教が嫌いってわけでも
なさそうなのにどうして加勢してくれたのさ」
「そらま、虫が好かなかった、ってやつよ」答えてニヤリと笑
った。
「あんた、はじめて笑ったな」
「ふん、そっちもな」言うなり姿が消えた。
                          (了)

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