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習近平氏、防疫対策「新段階に」 ゼロコロナ転換を強調~中国共産党の信頼性は?~【日経新聞をより深く】

1.習近平氏、防疫対策「新段階に」

中国の習近平(シー・ジンピン)総書記(国家主席)は31日、2023年の年頭所感を公表した。新型コロナウイルスの感染を徹底的に抑え込む「ゼロコロナ」政策について「いま防疫対策は新段階に入っている」と強調し、転換する姿勢を示した。

中国国営中央テレビ(CCTV)が31日伝えた。習氏がゼロコロナ政策の転換に事実上言及するのは初めて。

習氏はコロナ対策を巡り「みんなで堅忍不抜の努力をしている最中で、夜明けの光はすぐそこにある」と話した。国内で感染爆発に不満や不安の声も広がっているが「団結することがすなわち勝利だ」と指摘し、国内の一致結束を求めた。

習氏は「コロナが発生して以来、我々は科学的で正確な予防・コントロールを堅持し、時と状況に応じてコロナ対策の最適化と調整を進めてきた」と話した。「国民の生命と健康を最大限に守ってきた」とこれまでの対策を正当化した。

1年前の年頭あいさつよりもコロナ対策への言及が増えており、ゼロコロナ対策を終了させた節目をアピールしたかったとみられる。

(出典:日経新聞2022年1月2日

中国のゼロコロナ政策が終了しました。しかし、感染の拡大が深刻になっています。この感染の拡大は、習近平政権の信頼性を揺らがすことになるのでしょうか。

2.中国の歴代王朝の長さ

古代王朝は除いて、秦から振り返ってみます。

秦(紀元前221年~207年)期間14年

最初の皇帝である秦の始皇帝は中国で初めて皇帝の称号を名乗った人物として知られています。始皇帝は他の国と戦い征服していくことによって中国統一を果たしました。秦は最初の統一王朝となりました。始皇帝は王位に就いた後、法制度を確立し、国の権力を集中させました。また、重さの測定単位そして、初期体系を統一しています。万里の長城や兵馬俑などの素晴らしい建築物も残しています。しかし、歴史的経験不足により二代目の秦王朝は消滅してしまいました。

漢(紀元前206年~西暦220年)期間426年

漢王朝は中国の歴史上最も強力、最も長い王朝です。また、その後の王朝にも大きな影響を与えています。

漢王朝は中国と中央アジアおよびヨーロッパを結ぶシルクロード貿易を行うことで知られています。

漢王朝では功徳による官僚制度が確立され国家は国家統治のために儒教を取り入れました。その他にも農業や手工芸品、商業が急速に発展しました。

武帝の統治時代(紀元前140年~西暦87年)に漢政権は最も繁栄しました。漢族の政権下では民族国家の団結がより強くなりました。

三国時代(220年~265年)期間45年

漢王朝衰退後、三国時代といわれる戦乱の世となりました。

晋王朝(265年~420年)期間155年

司馬炎が魏の最後の元帝から禅譲を受けて建国しました。280年に呉を滅ぼして、三国時代を完全に終焉させました。しかし、権力を抑えきれば、再び分裂し、南北王朝時代に入ります。

南北王朝(420年~589年)期間169年

中国の混乱の時代であり、中国の南北に王朝が並立していた時期を指します。この混乱の中、多くの宗教が出現しましたが、その中でも仏教に対する南北朝の支持は強く、この時代に思想が広まりました。400年にわたる混乱の後、隋王朝はついに581年に再び中国を統一しました。

隋王朝(581年~618年)期間37年

581年、楊建は北部で王位を奪い隋の皇帝として中国の他の地域を統一しました。隋は短く、熾烈な王朝で、大運河と万里の長城の再建など偉大な権利と業績を残しました。隋文帝の最も重要な成果の一つは科挙を確立したことです。科挙とは高級官僚を登用するための試験制度のことです。隋の始祖文帝によって初めて導入され、1904年の清朝末期に廃止されるまで、1300年以上続きました。隋の時代はその後の唐王朝と共に偉大な時代と考えられています。

唐王朝(618年~907年)期間289年

唐王朝は、隋王朝の科挙試験制度を継続し、それを発展させていきました。3世紀にわたって統治し、誌や絵画、唐三彩、木版画の黄金時代でもありました。7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、中央アジアや東南アジア、北東アジア諸国(朝鮮半島や渤海など)に、政治制度、文化などの面で多大な影響を与えました。

唐王朝の後、五代十国(907年~960年)の時代になりました。960年、趙匡胤が五代最後の後周から禅譲を受けて「宋」を建国しました。

宋(960年~1297年)期間337年

宋王朝は中原と中国南部を統一しました。しかし、北宋時代(960年~1127年)の支配範囲は唐王朝の頃よりも小さいものでした。北部の河北省は契丹人によってつくられた後に占領され(907年~1125年)北西部では支配的な西夏王朝(1038-1227)が現在の甘粛省と西北部の陝西省を支配していました。

12世紀の前半までに女真族(現代の満州人の祖先)が南部に侵入し、北宋は滅亡しました。康王趙は南京で即位し、南宋をつくりました。女真族は黄河流域に金王朝をつくりました。

宋王朝は中国における商品経済、文化、教育、そして科学的革新のために繁栄した時代でした。宋の時代には手工業と国内外の貿易が盛んになりました。多くの商人や他国からの旅人がここへやってきました。

中国古代の「四大発明」(紙、印刷、コンパス、および火薬)は宋王朝でさらに発展しました。

元王朝(1271年~1368年)期間97年

1206年、チンギス・ハーンはモンゴルのすべての部族を統一し、大モンゴルをつくりました。

12世紀の終わりまでにモンゴルは統治されていきました。チンギス・ハーンと彼の子孫が領土を拡大し、モンゴル帝国は東ヨーロッパに拡大しました。

1271年、フビライ・ハーンが皇帝となり正式に元朝となり首都(北京)を立ち上げました。

元朝時代には貿易、技術、外交関係は発展し続けました。元王朝は商取引を推進し、商品経済を繁栄させ商品交換に適応するために世界最古の完全な紙幣流通システムを確立し、中国で最初に紙幣を流通通貨として使用した王朝となりました。

明王朝(1368年~1644年)276年

漢民族が率いる一連の反乱運動と自然災害ののち、1368年に朱元章により明王朝が設立されました。

明朝初期、明政府は中央集権化を強化し、経済を発展させるための一連の措置を取り入れました。軍事防衛力を強化するため永楽帝は首都を北京に築き、移転させました。 北の国境を統合するために北に万里の長城を建設しました。永楽帝は国際貿易をとても支持しており、海外との関係をさらに強化するために政府は鄭和を外国へ7回派遣しました。

これは繁栄の時代ですが、商品経済の発展により長江の南のいくつかの場所に資本主義の芽が現れました。 明代後期には封建制度は衰退し、社会的の問題はますます深刻になっていったけれど結局は農民の蜂起と満州族の攻撃が頻繁に起こったため明朝は滅亡してしまいました

清王朝(1644年~1912年)期間268年

明朝末期、中国東北部の満州人の勢力はますます増加しました。満州族は3世代にわたり中国を攻撃し、最終的に清王朝を樹立しました。これは歴史上最後の帝国です。

清王朝の最も有名な2人の皇帝は康熙皇帝(1661-1772)と乾隆帝(1735-96)です。彼らによる統一は「繁栄の黄金時代」でした。

しかし清末のアヘン戦争により最後の中国の王朝は半植民地の半帝国になってしまいました。

中華民国、中華人民共和国(1912年~)期間111年

1911年、孫文による辛亥革命により清の支配は終わり中華民国が設立されました。 しかしこの時点では中国はまだ建国されておらず数十年にわたって内戦が続きました。

中国共産党が1921年に結党され、1949年に中華人民共和国が建国されました。中国共産党は2020年に結党100周年を迎えています。

3.中国共産党政権は続くのか?

過去の王朝を振り返ってみると、200年を超える王朝がいくつもあります。一方で、100年未満で滅亡している王朝もあります。未成熟な王朝は長続きしていません。

では、現代の中国を統治している中国共産党はどうなのでしょうか。私の個人的見解からすると、コロナ前がピークだったと考えます。その理由は二つあります。経済成長率がピークを越えて、下落していくこと。そして、もう一つは人口減少です。

現代の中国は世界一の人口を背景に、世界の工場として発展をつづけました。しかし、かつての大帝国であった中国は政治システム、文化でも優れていました。ところが、現代の中国は改革開放によって、経済こそ発展しましたが、政治システムや文化で世界をリードするような面は見られません。今のコロナの感染爆発も世界の流れからは離れ、独自路線を突っ走った結果です。中国の路線を世界が支持しているわけではありません。

発展を続けてきた経済にも黄色信号がともっています。それは、習近平政権の進める共同富裕。鄧小平の改革開放政策以来、先富論で、発展してきました。一部の人を先に豊かにさせるというスローガンです。しかし、貧富の格差の拡大から習近平政権は共同富裕へと政策転換をしました。IT産業、不動産業など、中国経済を引っ張ってきた産業に規制を強化しています。これらの政策をやらなければ、政権を維持するのが難しいのではないでしょうか。

また、権力確立のために、鄧小平以来の政策を転換する意図もあったはずです。いずれにしても、経済成長が厳しくなると思われ、中国のパワーのピークは過ぎたと考えます。

そして、人口も世界一の座をインドに譲ります。今後、中国は急速な人口減少に見舞われます。また、今回のコロナで出生率は落ち込むものと思われ、簡単には回復しないのではないでしょうか。

中国の人口減少は、深刻な問題です。世界も中国だけではなく、インド、インドネシア、そしてアフリカなど人口が増大している国へと注目は分散していきます。

中国共産党の政権はすでにその力のピークは過ぎたところで、今後は、どこまで維持できるのか?が焦点ではないでしょうか。

しかし、政権を維持するための政策が今後展開される可能性がありますので、注意は必要です。

未来創造パートナー 宮野宏樹
【日経新聞から学ぶ】

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