ミュージカルCATS グリザベラがジェリクルキャッツに選ばれた理由を考察してみた
劇団四季ミュージカル「CATS」を観ました。
4回目の観劇でやっと自分なりの考察ができるようになりました。
1回目はただただ圧倒され、サウンドトラックを即購入。音楽を聴き込んで望んだ2回目は生音に感涙。3回目は推しの猫様を凝視し。
4回目でやっと音楽とダンスに酔いながら、自分の頭で歌詞や演出の意味を考えることができたように思います。これまでは音楽とダンスが素晴らしすぎて、「考える」ことに脳のリソースを割けなかった…というのが近いです。。
だからミュージカルは何度も観てしまうのです!
さて、タイトルの件。
CATSは、ゴミ捨て場を舞台に年に一度開かれる猫たちの舞踏会。その舞踏会で、行動力と個性を持ち誇り高い「ジェリクルキャッツ」が選ばれます。
犬に打ち勝つ勇敢な猫、数々の舞台にたった俳優猫、誰をも魅了する鉄道猫など、魅力的な猫たちが次々に歌い踊る中、ジェリクルキャッツに選ばれたのは娼婦猫の「グリザベラ」。ツギハギだらけの服を身にまとい、きれいな身なりとはいい難い様子。他の猫たちからも煙たがられる存在です。
しかし最後にはグリザベラが選ばれ天井に登ります。
「ジェリクルキャッツ」とは何なのでしょう。
劇中に「ネーミングオブキャッツ‐猫の名」という曲があります。
「唯一のその名」とは、明確に他者と自分を分けるもの、自分を自分たらしめるものでしょう。唯一のその名を求めるのは、誇り高い自分でいるため。
グリザベラは、若い頃は名のしれた娼婦だった猫。劇団四季HPの紹介文では「老いさらばえた姿」と書かれています。そのグリザベラが歌うのが名曲「メモリー」です
曲の前半では、過去の思い出にすがるような歌詞が綴られます。若い頃の楽しかった栄光時代を思うグリザベラの心情でしょうか。
しかし、夜が明けるように、過去にすがるだけだった日々から抜け出します。
月灯りに照らされ、幸せだった過去を回想する日々はその月夜に置いて、明日への一歩を踏み出します。「この夜を思い出に渡して明日に向かうの」という歌詞は、過去との決別とも解釈できますが、私はどうしても、グリザベラが自分の過去を否定し、新たな自分を生きていく決意をしているようには思えませんでした。曲の終盤に向かって、グリザベラがどんどん凛々しく歌い上げるからです。未来に向かって決意を新たにしたというより、これまでの自分の生き方を認め、確かな土台の上にしっかりを両足を踏ん張っている用に感じられたのです。
そして、曲のクライマックス
グリザベラがさわってほしい人は誰なのか。
私は神だと思いました。
ジェリクルキャッツは選ばれて天上に昇ります。孤独なグリザベラが最後に救いを求めた相手が神だったのではないでしょうか。
グリザベラは過去の幸せな日々にすがったこともありましたが、それでもこれまでの生き方に誇りを持ち、救いという「希望」を捨てませんでした。そして自分自身のままで「触ってほしい」「抱いてほしい」と声高に訴えます。
ジェリクルキャッツが、誇り高い猫でいるために、自己を確立させる唯一の名前を求める猫だとしたら、グリザベラはまさに、自分が自分のままで、誇り高い猫でいられることを心から求めた存在であった。だからこそジェリクルキャッツに選ばれたのではないでしょうか。
メモリーは、グリザベラと、生まれて間もない「シラバブ」が歌い上げます。シラバブは純粋さの象徴です。年老いたグリザベラとは対象的な描かれ方がされています。この2匹がメモリーを歌うのも象徴的な意味があるように思われますが、この点についてはまた改めて考察したいと思います。
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